第5話

 入学式は粛々と進む。

 真梨の時のこういう式典はあんまり面白いものではなかったが、今回は偉い人の話がいちいち聞き応えがあって引き込まれる。貴族として雄弁術を学んでいるのもあるだろうし、ここで偉い人と言うと軍司令官や魔導部隊長のように大勢の士気を鼓舞するような演説をする立場の人達だというのもあるだろう。間の取り方や強弱、視線の使い方がいちいちうまい。何というか「王国万歳!」とか叫びそうなテンションになる。

 テンションになる、のだが。

 中央の席をちらっと見やる。

 その瞬間、すっと目線を外される。リコッタ公爵令嬢だ。なんだかこの講堂に入ってきてからずっと視線を感じるのだ。自意識過剰かと思っていたが、どうにもおかしい。

 マリーとリコッタに面識はないはずだ。他の新入生は王都の学園で顔見知りだから見慣れない顔に興味を持ったのかとも思ったが、それにしてもここまでジロジロ見られるものだろうか。

 ひょっとしてガン飛ばされてる?これもゲーム補正的なやつ?何か理由があるのならはっきりさせておいたほうがいいだろうか。それとも迂闊に接触しないほうがいい?考えるにしても情報が足りなすぎる。うーんと頭を悩ませている間にも入学式は進んでいく。

 偉い人達の式辞が終わり、事務的な説明が始まった。学園にはこの大講堂の他に学年毎の小講堂が3つ、各種実習を行う実習室が1つ。他に図書室と各教授の研究室、事務室が別棟にあり、自由に使える応接室もある。講義は基本的に午前中のみ。真梨の時と比べると授業時間は短いが、午後は自習と生活上のあれこれに充てる時間というのがこの世界の基本だ。多くの者は教授の元で研究を手伝いながらノウハウを学んだり、書物をあたって知識を深めたりする。学問は一方的に与えられるものではなく、自ら掴み取るものという考え方だ。

 王城勤めの文官も公的な仕事は午前中までで、昼食後は社交という名の調整と密談が行われる。マリーがいたような田舎でも市場は夜明けとともに動き出す。農家から作物を仕入れてそれを売り捌き、昼食をとったら解散だ。日が暮れるまでに家に帰り、夕食準備を含めた家事を終わらせないと基本的に夜は何もできない。わざわざ明かりをつけて作業をすると赤字になるし、何より焚き火にしても蝋燭にしても暗くて手元もよく見えない。真梨の頃のようにスイッチ一つで眩しいくらいの照明を扱える世界ではないのだ。


 今日は1年生の小講堂の案内が終われば解散だそうだ。王子様と公爵令嬢が最初に立ち上がり、そこからは身分の上下に合わせて後に続いていく。私は初日にダイアナさんに案内してもらってるけれど、大人しく最後尾についていくことにする。

 そう思って立ち上がると、いつの間にか後ろに来ていたダイアナさんがすっと鞄を持った。どうやら使用人として振る舞ってくれるらしい。笑顔の無言の圧が怖い。今日は使用人問題から逃げ切れないかもしれない。


 小講堂は演壇を中心に机がコの字型に並んでいて、大まかに身分の高い者ほど演壇に近い場所に座る形になるようだ。ただここからは各家の繋がりや派閥に応じたまとまりが関係してくるので、単純に身分順というわけではない。王子様と公爵令嬢が演壇に近い一角に座ると、その周囲を取り巻くように男女が座りはじめる。反対側の列に座っているのが対立集団だろうか。私は空いている端の席に腰掛ける。

 今年の新入生は22人。王子様を取り巻く集団は14人。反対側に座るのは6人。どこに座ってよいのか分からない感じで端に座ったのは私を含めて2人だ。もう1人のあぶれ者の女の子ににっこり微笑みかけると、向こうもほっとしたように笑顔になった。


「はじめまして、マリー・クラインです。これからよろしくお願いします」

「ハンナ・チェリーです。よろしくお願いいたします」


 ハンナさんは焦茶色のふんわりした髪とラベンダー色の瞳が可愛らしい、ちょっと気弱そうな印象の子だ。王都で金融業をしている家の長女で、魔力があることで両親にものすごく期待されているらしい。たぶん主に政略結婚的な意味で。


「両親は基本的にクルセウスの流れなのですが、パラキウセスの方々とも交流があって。どちらに与していると思われても困るのでどちらの家門の方々ともお付き合いをしていたら少し浮いてしまったようで…」

「クル…?パラ…?」

「ええと…?」


 ハンナさんが困ったように首を傾げたので、私も反対側に首を傾げてみる。微妙な空気になりかけたところで、後ろにいたダイアナさんが咳払いをした。


「差し出がましいようですが、マリー様は少々世事に疎いところがございます。後程私からも補足いたしますので、今日はこの辺りで一度失礼させていただいては?」

「アッハイ」


 ダイアナさんに促されて会釈して立ち上がる。ハンナさんと友達になれるといいな、と思っていると、また視線を感じた。振り返るとやっぱり赤い瞳がこっちを見ている。周りの取り巻き達とにこやかに話しているが、公爵令嬢の目はまっすぐに私に向けられている。

 公爵令嬢にもぺこりと頭を下げると、私はダイアナさんの後を追って小講堂を離れた。



◆ ◆ ◆



「…さて」


 ダイアナさんに連行され応接室の1つに入り、椅子に座るように促されたのでゆっくり腰掛ける。気分は生徒指導室に呼び出された中学生だ。


「マリー様。以前から申し上げておりましたように、どなたか身の回りのお世話をする者を選んでいただけませんでしょうか」

「えーと、はい。スミマセン」

「差し出がましいようですが、ある程度の人選はこちらで行っております。ご要望があれば承りますが」

「あ、あのですね。何というか、私にも人を雇うような余裕はないといいますか」

「費用面でしたら全額学園側で負担いたします。魔法学園に係る一切は便宜を図ることとなっておりますので」

「え」

「…入学に際して最大限の便宜を図る、と最初に説明を…」


 ダイアナさんがまた遠い目になる。なんだか根本的に私の認識がズレているっぽい。というかマリーの認識?ああややこしい。でも確かに制服にしても食事にしても費用を請求されることは無かった。まさか使用人まで必要経費扱いとは。


「申し訳ありません。私はたぶん皆さんの常識が分かっていないようです。先程のハンナさんとの話でもそうですが、何を言われているのか分からないことがあります。できれば、そういうところを教えてくれるような人がいいのですが」

「基礎教養についての教育を受けている者、ということでしょうか。それならば…」

「あ、ダイアナさんが一番いいかも」

「…はい?」

「今まで私にいろんなことを教えてくれてますし、いつも気を遣ってもらってますし。ダイアナさんなら間違いないかなって」

「…私には学園の仕事がありますので」


 ダイアナさんが俯きがちに答える。さすがに呆れられたかもしれない。そう思っていると、なんだか吹っ切れたような笑顔でぱっと顔を上げた。


「ですが、心当たりがあります。今日中に手配いたしますので、準備ができ次第ご案内いたします」



◆ ◆ ◆



 今日中に、というか、お昼ごはんを食べている時にダイアナさんはもうその子を連れてきた。ちなみに私は魔法学園の職員食堂みたいなところで食事をとっている。普通は自分の使用人を通して下働きに食事を部屋まで運ばせて以下略な感じだそうだが、一人で部屋で食事をとっているのもつまらないのでここに落ち着いた。

 ダイアナさんが連れてきた子はメラニーさん。緑がかった髪に活発そうな明るい鳶色の瞳の可愛い女の子だ。


「メラニーと申します。誠心誠意お仕えいたしますのでよろしくお願いいたします」


 お辞儀をする姿も様になっている。なんだろうこの世界美男美女しかいないんだろうか。

 メラニーさんはダイアナさんが下働きの中から選抜して教育を施している子で、14歳だが基本的な立ち居振る舞いは身についている。読み書き計算も基礎はできて、一般的な教養についてはたぶん私より詳しい。

 午前中は私の使用人として働き、午後は身の回りのあれこれをしつつ時間を見繕ってダイアナさんが基礎教養の講義をする。そのダイアナさんの個人授業に私も混ぜてくれるそうだ。

 さっそく給仕に入ったメラニーさんに恐縮したら、ダイアナさんに「主人にふさわしい姿勢を見せてください」と怒られた。難しい。

 麦粥と硬い何かの野菜っぽい漬物のお昼ごはんを食べつつ、ダイアナさんにさっきのクルだのパラだのの説明をしてもらった。貴族に限らずある程度以上の市民になると、苗字にあたる家名以外に所属を示す家門名があるそうだ。建国以前からある血統を示すもの云々はよく分からなかったが、とりあえず日本史で言う源氏とか平氏とかみたいなもんだと理解した。主要な家門は3つあって、クルなんとかが王子様と公爵令嬢の家門で、パラなんとかが反対側の席に座っていた人達の家門だそうだ。ハンナさんは富裕層の市民でクルなんとかの家門を名乗っているけどパラなんとかとも関係が深いので、どっちに属するというわけにもいかず中央の席に離れて座った、と。ふむふむ。


「マリー様の場合、その土地の領主が属する家門か主な庇護者となる方の家門を名乗ることになるかと存じます。家門を変えることはできますが、あまりに頻繁だと不作法とみなされますのでご注意ください」

「血統の話なのに変えられるんですね」

「家系を遡ればどちらの家門にもつながっているものです。同じ家門同士で協力し合うので、利益を見据えて別の家門に乗り換えることは少なくありません。現在の王家を含む主流派はクルセウスですが、パラキウセスの利権が強い東方の荘園に興味があるならそちらを選ぶ貴族もおります」


 マリーの知識にはぜんぜん無かったぞこんな話。ダイアナさんの個人授業がないと、ここで生きていけないかもしれない。


 食後メラニーさんが着替えの手伝いのために部屋までついてきてくれた。


「…部屋着はどちらに?」

「あ、それです」

「…え?」

「え?」


 クローゼットの中の私服を見て、メラニーさんがものすごく微妙な顔になる。

 うん分かってる。私の服はどう見ても下働きのメラニーさんのより劣るって。田舎の平民なんだから仕方ないじゃんか。おかげで部屋の外に出る時は制服しか着れない。あってよかった制服。不安そうな顔しないでメラニーさん。


 服についてもダイアナさんに相談してみよう。最大限の便宜を図るって言ってたし。

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