應譏(ChatGPT訳)
ある人が私を非難してこう言った。
「聞くところによれば、君子というものは行動も立ち居振る舞いもきちんとしていて、軽率なことはしないといいます。今のあなたの主君は、陰陽の調和した美を備え、賢聖の風格をすべて持っておられる。まさしく世の常人の及ぶところではありません。
ところが、あのような豺狼(残虐な権力者)が横暴の限りを尽くし、国家が傾いた時に、節を守って義に殉じ、主君と生死を共にすることはできず、むしろ危難を避け、戦功をひけらかして山東一帯にその名を轟かせ、民を苦しめ、朝廷には疑念を抱かせ、逆臣を排除するふりをして、かえって自分が雑言や噂の非難にさらされ、他人に討伐の功を奪われてしまった。これでは努力も功績も無駄になり、徳をもっていたはずが怨みを買ってしまう。
今や文徳(学問や礼による統治)を軽んじ、武勇を尊び、権謀術数を重用して旧来の法制を無視している。これでは純粋な至徳の美しさを欠いてしまい、後の人々に誤った手本を残すのではありませんか?」
主人は答えて言った。
「なんと的外れな言葉だ!
そもそも兵(軍隊)というものが設けられたのは遠い昔のことであり、それは道を外れた者に威を示し、悪しき行為を罰するためのものだ。
かつて申鳴は父に背き、楽羊は子を食らい、季友は兄を毒殺し、周公は弟を誅した。それでも彼らがそれを実行したのは、国家の大義を果たすためにやむを得なかったからである。
ましてや、讒言や悪人の疑いを恐れて国家の危機を見捨て、一時の労苦を嫌って民を救おうとせず、長期の安定を忘れるなどというのは、つまらぬ凡人でもやらないことだ。それを世を率いる英雄がやってよいはずがない。
思い起こせば、大洪水が天をも覆うほどに荒れ狂い、中原を水に沈めたとき、大禹はみずから陣頭に立ち、家に寄ることすらせず、万民を率いて溝や水路を整えた。やがて『簫韶』が九回奏されると、百獣すら踊りだし、天下は静かに平和を保つようになった。これは決して、かつて勤労を好み、のちに安楽に流れたのではない。前の苦労があったからこそ後の安楽が得られたのだ。
世の中が平和なときには人を礼で裁き、乱れているときにはその働きで人を評価する。これが時に応じた正しい道である。
だから、清らかな宗廟の中で戦争の論を唱えるのは狂気であり、戦場で祭器を並べるのは道理に反するのである。
ゆえに、真に道理をわきまえた君子は、時勢に応じて功を立て、状況に即して物事を処理するものだ。
孝霊帝が崩じた後、奸臣が乱を起こし、正臣は殺され、宮殿は炎に包まれた。そうした中で主君は、悪党の一族を一掃し、不義の者を討ち、朝廷を洗い清めて正道を取り戻したのである。
その後、董卓が毒蛇のような存在となり、帝后を幽閉し、暴力で国を支配した。これを討つだけの力がなかったのでやむなく都を去ったが、それは道理にかなっている。
それゆえ天は味方し、人々の和も得られ、軍勢は百万にも達し、その動きは手のひらの上のように自在だった。これこそが義である。
いま、君主は寛大で包容力があり、仁義をもって国を導いている。その徳は地が万物を載せ、天が覆うように深く広い。
笛や鼓の音を聞けば民の病苦を憂い、羽毛のように美しい武器を見れば将兵の苦労を思い、農作物の育ちが悪ければ民の困窮を憂い、高殿を登って景色を見れば労役のつらさを思う。
ゆえに、心を空にしてへりくだり、他人の計を受け入れ、四方の門を開いて諫言を求め、正直な言葉を尊び、巧言や偽りを退け、自らに独断を許さず、功績を独り占めせず、何事も人に尋ね、間違いを恐れて常に耳を澄ます。
こうして賢者・知者は知恵を尽くし、勇者・忠臣は力を尽くすので、欠けることなく万事が整い、その威風は遠くまで轟くのである。」
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補足:
**「客」**は、文徳を重視し武力行使を批判する人物像。
**「主人」**は、時勢に応じて武を用いた正義の行動を力強く弁護します。
議論の中心は、文徳と武功、忠義と現実、理想と時宜とのバランスについてです。
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