Ⅴ 迷宮で重ねて

 黒鳥が翼を広げたような形の館だが、まさか本当に両腕だったとは。するとこの中央館は、さしずめ魔物の腹といったところか。


「黒羽のヤツ、一体どこへ」


 外から見た建物は二階建てだった。玄関ホールを見渡すが、もちろんこんな目立つところにはいない。あの執事というか館自身が「見つかりませんよ」と言うくらいだから、単純なかくれんぼではないのだろう。


「ナユちゃんがいれば匂いで辿れたのかもしれないな」


 いいや、人に頼ってばかりじゃ駄目だ。考えろと自分に言い聞かせる。

 大事なものを隠すならどこか。ベッドの下、クローゼットの中では定番すぎるだろう。


 玄関ホールから続く階段下は納戸だ。開けてみると箒やバケツや、小振りの斧が入っていた。薪でも割るのだろうか。撃ったこともない拳銃だけでは心もとなく、斧を拝借することにする。


 壁に見えて実は隠し扉があるのではないかと、ぺたぺた触りながら廊下を進む。館が体なのだから、急に間取りが変わるなんて事もあり得るかもしれない。


「ていうか、館が暖かいのはもしかしてこいつの体温なんじゃ……」


 嫌な事を考えてしまった。玄関が口で、階段が歯で、廊下は喉で。


「くっそ気持ち悪ぃ!」


 斧を振りかぶり、ロアンヌ柄の床に刃を叩きつける。床下があるのではないかと思ったが、何度やっても表面を削るだけだった。


「どうだ! 痛かったか⁉︎」


 そんなことをしても不安は拭えないし、フランが出てくるわけでもない。


「くそっ! どこだよ……」


 天井裏も怪しいが、二階はあとにしてまずは一階を探そうと決めた。


 手当たり次第に扉を開けてはフランの名を呼ぶ。大きな玉突き台が置かれた娯楽室、ピアノの部屋に画廊、喫煙室。がらんと人気はないし、どの部屋も長いこと窓を開けていないような匂いがこもっていた。


 廊下の角の扉を開けると、食堂だ。誰もいないのに燭台に火が灯されている。


 十名が座れる大きなテーブルには、オリエンタルな花模様にてんとう虫や蝶が描かれた高級そうな皿と、華奢なワイングラス、カトラリーが何本も並んでいて、いつでも食事会が始められそうだ。


 しかし重ねてある皿を一枚手に取ると、表面にはホコリが積もっているし、金のフォークとナイフも曇ってしまっている。


「いつから準備してるんだろう」


 真っ黒なテーブルクロスも、深緑色のテーブルランナーにも、埃がかぶっている。それでも無言で客人を待っているようだ。


「黒羽の主はなかなか会ってくれないとデビッキ司教が言ってたのは、人格が入れ替わってしまうのを人に知られたくなかったのかな」


 けれどこれを見たら、本当は来てくれるのを待っているとしか思えない。だからどうしても望みを叶えたくて、こんなことをしているのか。


 すると、ルゥの目の前をいきなり子供が駆け抜けていく。


「え? どこから?」


 食堂の奥へ消えていくが、少し経つと戻ってきた。さっきと同じ子だ。サスペンダーに茶色の半ズボンで走る。そして今度は顔が見えた。


「……フランさん?」


 ふわんふわんの白金髪に、キラキラした赤目の子供だったのだ。五歳くらいだろうか。走った先で転んでいる。


「わ! 大丈夫?」


 声をかけても反応はない。膝を擦りむいたようだが、また走って行ってしまった。


 いなくなったと思ったら今度は、うわええぇぇんと泣く声が聞こえる。振り返るとテーブルの下にさっきの子供が座り込んでいる。


「どうしたの?」


 同じように返答はない。

 涙をぼろぼろこぼす子供はやはりフランで、右側の前髪からこめかみの上まで髪の毛がなくなっている。生え際には火傷が痛々しい。


「あっ、もしかして自分で燃やしちゃったの?」


 ついこの間もフランが同じことをしていたので、なんとなくそう思う。

 そっと手を伸ばすと、髪に触れることができた。でも体温はなく、子供のフランも無反応のままだ。どうやらルゥの存在は見えていないし、感じないらしい。


 すると今度はさっきよりも成長した子供姿で、食卓に座りフォークで皿をつついている。料理は見えないが、皿には嫌いなものが乗っているのだろう。不機嫌な顔でフォークを突き刺し、眉をしかめて口に入れると、二回噛んだだけでべーっと吐き出した。


「これはフランさんの過去?」


 テーブルの中央で、ナユと同じくらいに成長したフランが、お腹をさすりながら寝そべっている。読もうとした本の紙面から目を離し、羨ましそうな顔で遠くを見ている。


 今度は左に、ルゥと同じ歳頃の姿だ。あれはナイトクラブでノリノリに踊っているんだろうか。けれど途中でお腹を押さえてどこかに行って消えてしまう。


 テーブルの向こうに、今とほとんど同じフランが現れる。幸せそうな笑顔で、隣にいる見えない誰かを抱いて歩いていく。食堂の奥へ向かっていく姿を追うと、そこはキッチンだった。


 目の前には大きな冷蔵庫がそびえ立っている。火葬場の厨房にもあるが、中には上段に切り出した氷の塊が入っていて、生ものの鮮度を保てるのだ。


「確か新鮮な死体をデビッキ司教が融通してるって……」


 更に事件現場では遺体を掘り返していたと聞いた。冷蔵庫は人が入れるくらい大きい。無機質な金属の扉は、火葬場の遺体安置室の扉とも似ている。


 いやだなぁ。けれどここを見ないわけにはいかないだろう。もしかしたら、もしかするかもしれないのだ。


 冷蔵庫の取っ手に手をかけ、意を決して引き開ける。


「うわわわわああぁぁ! 死体いぃぃ!」


 光のない四つの目がこっちを向いていて、いきなり目が合ってしまう。人? いや豚だったか?

 しかもこっちに倒れてきたのを避けられず、冷えきった肉に押しつぶされた。


「ひぎゃあぁぁっ!」


 のしかかる冷たいのを無我夢中で引きはがす。死体なのに触感がぴたぴたみずみずしくて、鶏肉みたいだ。


 ああぁ怖気おぞけがする。だが——


「フッフランさんっ⁉︎」


 死体の顔なんて見たくもなかったが、それはフランだった。だが白金色の髪と、肌から服から全部真っ赤に染まっている。


 緋雨ひさめに打たれていた。死んだように体が冷たくなっていた、あの日の記憶が鮮明によみがえる。


 二か月前、フランはひどく疲れていた。たぶん以前から体調を崩していたのに、無理して仕事を続けていたのだろう。


 火葬場の食堂調理員だったルゥは、その日は一人残って試作を続けていた。料理長から色々と任されるようにはなってきたものの、自分の得意料理というものがない。料理長のマネばかりではなく、自分だけの味を模索していたのだ。


 すると食堂から何か派手な音がした。こんな夜に強盗かもしれないとモップを手に用心して様子を見に行くと、倒れていたのは人だった。


「ひっ⁉︎」


 血にべったり染まったような髪や肌にぞっとする。刺されているのではと、慌てて確認すると、上から下までずぶ濡れだ。顔にかかった髪を除けると、思わず「あっ」と声が出た。


「もしかしてオーナーですか? どこか怪我してるんですか⁉︎」

「痛った……、座ろうとしたらこけちゃって」


 見ると、椅子が後ろに転がっている。


「それだけですか? 刺されたりしてないんですね?」

「物騒だね」


「よかったぁ。立てますか? おれにつかまってください」


 助け起こすと、体はものすごく冷たかった。唇は紫色だし顔は真っ白で、ほとんど死体だ。


 これはいけないと、調理員用の休憩室に連れて行く。オーナーに使わせるには申し訳ないぺしゃんこのソファだが、休憩室は狭いのでガスストーブですぐ暖まる。乾いたタオルでオーナーの身を包み、氷のように冷えきった足は、湯を張ったバケツにつけてもらった。それでもオーナーの細い体は、ガタガタ震えが止まらない。


「仕事の邪魔して悪かったね。途中でいきなり土砂降りになっちゃって」

「災難でしたね。今、温かいものをご用意します」


 そうは言ったものの、ガスコンロの前でさてどうしようと考える。残り物を出すのはしのびないし、かといって新しく作っては時間がかかる。

 ルゥは作りかけの鍋に再び火を付けた。


「お待たせしました」


 ストーブの前で乾いた髪が、もとの白金色に戻っていた。震える両手でフランは器を包むと、しばらくそのまま温もりを体に移している。


「オーナー室に戻ろうとしたらね、いい匂いがして。料理長がいるのかと思ったんだけど、この匂いだったんだね」


 それから茶色のスープをすくい、ふうふうしながら一口含んだ。


「はぁ、おいしい。すっごく」


 死体だった顔には少しだけ生気が戻り、笑ってくれた。でもとても儚くて、今にもほろほろと崩れてしまいそうな気がした。


「これ玉ねぎでしょ? こんなに甘くなるんだね。魔法みたいだ」


 玉ねぎを飴色になるまでじっくり炒め、ブイヨンで味付けする。焦がさずに飴色にするのは根気と体力のいる作業で、小一時間はかかっている。そしてブイヨンと隠し味で奥行きを追求しなければおいしくはならない。料理長のブイヨンは絶品なのだが、ルゥが求めるのはそれではなかった。


「そんな、魔法だなんて。実はまだ試作中なんです。すみません、中途半端なものをお出しして」


「そうなの? 僕は好きだよ。メニューにしたらみんなも気に入ると思うけどなぁ」

「はぁ……」


「まだ納得いってないの?」

「まぁ……はい」


「じゃあ完成するまでの間はみんなには内緒で、僕にだけ食べさせてよ」

「えっ、オーナーにですか⁉ おれなんかのを? しかも試作なのに」


「うん。また作ってよ」


 そう言った直後、フランは気を失ってしまったのだ。


 あぁ、そうか。

 おれの味、おれの得意料理はあの時に決まったんだった。

 自分で決めたんじゃない。たまたまだった。


 けれどフランが選んでくれたのだ。おいしいと、また食べたいと言ってくれたのだ。


 玉ねぎのスープは、今でもまだ完成したとは言えない。あの時よりは上達したと思うが、まだだ。


「だからフランさん、死なないで」


 おれの料理できっと元気にしてみせる。もう一度魔法をかけてみせるから。


 冷たく濡れたフランの幻影を床に横たえると、キッチンの奥にゾハールの姿を見つけた。

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