第6話
「おーい、お前さんにお客さんだぞーぉ」
「貴様どういうつもりだ」
院内に向かってそう叫んだタカに柚須が低く呟きホルスターに収めた銃のグリップを握る手に力がこもる。
「くだらん時間稼ぎのつもりなら無意味だぞ」
「いえいえ、とんでもない。これで十分なんですよ。言ったでしょお嬢さん。私だって落ちぶれちゃいるが命は惜しいんです。それに」
タカは柔和な笑顔を浮かべたまま困ったように眉を下げた。
「彼は逃げやしませんよ。逃げる理由がないんですから」
「そうか。それは会うのが楽しみだな」
心底楽しそうに頬を歪めた柚須に、一瞬タカが呆けたような顔をしたあと目尻のしわを一層深くして笑った。
「なんだ、お嬢さんやっぱ物騒な人だなぁ」
「タカさん」
ペタペタとモルタルの床を踏む足音と共に若い声が院内から聞こえ、一人の少年が姿を現した。
年齢は十代半ばくらいだろう。黒髪に痩せた体つき、他のホームレス同様薄汚れた服を着ているものの、どこにでもいそうな少年だった。
その両目を除いては。
「随分楽しそうじゃない。珍しい」
「おお、来たね。彼女がお客さんだよ。お前さんに用があるんだと」
「ふうん?」
少年の両目が柚須の姿を捉える。
「成程。確かにこれは金目と呼ぶに相応しい色だな」
おおよそ人間のものではない眼光に一瞬、おぞましさすら感じた。
その事実に驚いたのは他でもない柚須自身だった。
何匹ものキメラをその手で捕獲してきた柚須にとって、人の枠から外れた存在など見慣れたものだ。
その姿、思考、行動どれを取っても人間はいとも簡単に常軌を逸する。
だからこそ哀れで、面白いのだと思っていた。
ほんの数秒前までは。
柚須の心臓は今、震えている。
目の前に現れたこの少年によって。
こいつは本物だ。
「お前がここの食事当番だな」
「まぁ、そうね」
「今自分の置かれている状況を理解しているか?」
「状況って言われても。あんたがこの人らに歓迎されてないってことは分かるけど──ああ、前にタカさんが言ってたやつか」
少年がタカをちらりと振り返る。
「俺のやり方じゃいつか罰が下るって」
少年は迷惑そうにしかめていた顔の頬を歪める。
「あんたがその罰だって?」
「どうだろうな。それはお前次第だよ」
「俺次第?」
「私と一緒に来い。悪いようにはしないさ。お前を殺すつもりもない。ただ、お前のようなその日を食いつなぐために人を殺す奴を野放しにすることは出来ないからな。私の管理下に置く。そのために私は来たんだ」
「断る」
少年は考える間もなくそう言った。
「俺はここを動くつもりはない」
「お前に拒否権はない。それに、ここよりは快適だぞ。飯に困ることもない」
その言葉に一瞬、少年の表情が揺らぐ。
「お前はここの人間に情があるのかもしれんが、体よく利用されているだけだと気付け。こいつらはお前がいなくても生きる術を持っている」
「はは」
少年は乾いた笑いを浮かべて目を細める。
「あんた、何も知らないんだな。タカさんから全部聞いたと思ってたんだけど」
「お前のことはお前から聞けば済む。お前は話が通じるからな。それで、どうする?」
「あれ、俺に拒否権はないんじゃなかったの?」
「ああ、無いよ。お前が選べるのは今話すか、収容後話すかその二つだけだ」
少年の細く絞られた目に剣呑な光が差す。
「あんたに話すことなんてない。ここを動くつもりも、ない」
「そうか」
柚須はホルスターから引き抜いた銃を少年に向け発砲した。
パン、という破裂音とほぼ同時に腹部を撃ち抜かれた少年が体を折る。
「お、おい……!」
動揺した声を上げるホームレスを気に止めることもなく柚須は少年の体に間髪入れず銃弾を撃ち込みながら距離を詰めていき、うずくまり頭を垂れた少年の後頭部に銃口を押しつけた。
「どうせこのくらいじゃお前は死なないんだろう?」
人間を踏み潰した連続殺人。
当然その圧力は踏み潰した本人にもかかっている。
道具を使わずやったのが人間であれば、被害者と同等の衝撃が加わりまず無事では済まないのだ。
連続殺人など出来ようはずもない。
それをやってのけたのはこの少年の肉体がそれに耐えうるスペックを持っているからだ。
「だが頭をぶち抜かれたら話は別だろう?」
「────」
動いたのは少年が先だった。
己に突きつけられた銃を取りに腕を伸ばし柚須を睨む。
その眉間を柚須は容赦なく撃ち抜いた。
「あぁ……」
発砲音に重なるようにタカが声を漏らした。
頭を撃ち抜かれた少年が仰け反って床に体を打ち付ける。見開いたままの瞳が中空を見つめ、後頭部から垂れ流された血が広がっていく。
「こいつ、本当にやりやがった」
ホームレスがぼそりと呟いた声に、一瞥することもなく少年に銃口を向けたままの柚須が短く息を吐いた。
「聞こえているな。対象は沈黙だ。回収に来い。場所は中央病院の敷地内だ」
柚須は少年を見つめるタカに視線を投げる。
「お前も一緒に来てもらうぞ。こいつについて聞きたいことが山ほどあるんでな」
「お嬢さん」
タカは諦めたような、ともすれば落胆しているようにも見える表情で緩く首を振った。
「あんた、これはやっちゃあいかんことですよ」
「常識からすればそうだろうな。この手合いが常識の通じる相手ならな」
柚須としてもこの結果は非常に不本意なものだった。
生きたまま保管管理することが目的の柚須にとって、コレクション対象が死んでしまっては収集の醍醐味も半減以下だ。
しかし結果としてそうなってしまうことが多いのもまた事実だった。
ひとつには対象であるキメラとの意思疎通が困難であることが大きく関わっている。
獣と何ら変わらぬ思考回路で行動するキメラに交渉する余地はないことがほとんどだ。
だからこそ、この少年を手に掛けることは極力避けていた。
複数の人間とコミュニティを共にし、意思疎通を図れる規格外のキメラ。
うまくいけばキメラとなり得る人間の思考、変異の端緒、変異前後の心境、肉体の変化などキメラ本人から聞き出せる情報は山ほどあった。
だがそれも柚須本には生きていなければ成し遂げることは出来ない。
それ故柚須は己の命を守る選択をした。ただそれだけのことだった。
「私だって出来ればやりたくなかったさ。こいつは今まで見てきた奴らとは違ったからな」
「私が言ってるのはそういうことじゃあないんです」
「どういうことだ」
「あなた、これで彼の敵になってしまった」
「なんだと?」
柚須がタカの言葉に視線を下ろすと、
「なっ」
全身のバネを利用し立ち上がった少年がその勢いのまま柚須の拳銃を掴む。
バキョン、という銃を握り潰す音を聞く間もなく、銃を捨て後方に距離を取った柚須に向かって少年が一足で床を蹴り出す。
その目には感情というものがない。
成程、捕食者の目だ、と柚須はどこか冷静なままの頭で考える。
殺しても死なないまさに不死身のキメラだ。実に口惜しい。
十二分に警戒をしていたつもりだったがこれはいささか規格外過ぎた。逃げたところで助かりはしないだろう。
少年が振りかぶる腕を見届け、柚須が口の端をつり上げる。
「お前みたいな奴がいるのならもっと早くに会いたかったものだな」
柚須の口から出た言葉はまごうことなき本心だった。
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