第6話 染高メソッド

 大感謝祭セールの情報がスタッフに開示される。出勤してすぐに確認するすみれ。今回の目玉の一つはvtuberとのコラボ商品が発売されることである。その中にはなんと、すみれが好きなマグロ伯爵も仲間入りしていた。人気vtuberの仲間入りを果たしたマグロ伯爵の名前を見ると嬉しい反面、寂しい思いもあった。底辺と呼ばれある場所から応援を続けていたすみれは、彼の存在が遠くに感じてしまう。

 今、自分の心情はどうでも良くて、気になるのは社員販売の開始日だ。


「……やっぱり」


 わかってはいたが、落ち込むすみれ。コラボ商品は大体、発売日に社員が購入することはできない。数日経ってから、購入することができる。しかし、反響が大きいものは買えない場合がほとんどである。vtuberは人気絶好調で近年、問題となっている転売屋の標的にもなる。

 コラボ商品はオンラインストアでも取り扱うため、黙っていれば買うことはできる。だが、堅物なすみれはそんなことはできずに一人、葛藤している。

 先着で対象商品を二点購入すると、ノベルティのラバーストラップが付いてくる。ランダムではなく、選ぶことができる。もちろんマグロ伯爵もある。


 どうにかして、手に入れる手段はなかろうか。


 宣伝目的で当日、着用する分には購入できる。でも、二十代後半になる自分が公の場で着れるわけがない。コラボ商品にラインナップされているTシャツのフロントには堂々とマグロ伯爵の絵がプリントされている。自分なら刺繍でワンポイントにデザインするのにと思いながら、頭を悩ませる。


「染高さん。また何かありました?」


 また顔に出てしまっていたすみれは反田に声をかけられた。vtuberが好きということは秘密であり、すみれは「何もありません」と答える。

 そして一人だけ、頼める相手を見つけた。

 仕事を終え、夕食を食べ終わったすみれは裕介のいる部屋に入る。


「珍しいね。すみれさんから来るなんて」

「相楽さんに一つ、頼み事があります」


 改まって正座するすみれ。寝転んでいた裕介も同じように正座して向かい合う。


「どんな頼み事でも受けます」


 言い出せないすみれ。今まで何もかも自分で解決し、頼みごとをしたことがない。持っていたスマホから、オンラインストアの特設ページを裕介に見せる。


「……コラボ商品を相楽さんに買ってもらいたいのです」

「ごめん」


 即答で断られるすみれ。さっき何でも受けると言ったのは噓だったのか。


「知ってると思うけど俺、お金ないからさ」


 そういうことなら心配はいらない。お金はすみれが払う。


「なら、オッケーだよ。で、何を買えばいいの」

「マグロ伯爵がプリントされてある商品全部です」

「全部⁉」


 一点、二点の数だと思っていた裕介は驚いた。全部といっても、マグロ伯爵がプリントされている商品は七点ほどだ。

 Tシャツ三着、ポーチ一点、豆皿にシール、ピンバッジ。


「豆皿って……すみれさんの働いている場所って服屋だよね」

「ここ数年、いろんなグッズが出るようになったんです。他にもタオル、マスキングテープなど」

「タオルはわかるけど、シールとかって文房具の分類じゃん」

「需要はあると思いますよ。豆皿は食卓に使えますし」

「そうかな?」


 服屋で豆皿を買う人がいるとは思えない裕介。


「コロナが流行し始めた時期、他社になりますけど、マスクも販売しましたからね」

「へえ、そうなんだ」


 海外に居た裕介は二年ほど、日本の状況を知らない。他社がマスクを販売した時期は不織布マスクが品薄状態の時で、一斉に客が殺到して大騒ぎになったと聞いたことがあったすみれ。


「とりあえず、相楽さん。よろしくお願いします」

「了解! 当日、すみれさんの働いている店に行くよ」

「相楽さん。私の店では全商品、取り扱わないので違う店舗で」

「何それ?」

「コラボ商品などの限定商品を全商品取り扱うのは、エリアで一店舗しかないんです」

「店によって、違うんだ」

「はい。だから、私の働く店舗にはないです」

「わかった」


 部屋から退室したすみれ。


          ※


 道尾の教育係を務めているすみれは頭を下げていた。道尾がミスをしたのだ。道尾は道尾で言い分があるみたいだが、ミスをしてしまったことに変わりはない。素直に彼が頭を下げるとは思えず、代わりにすみれが謝罪する。そのことについても、道尾は納得していない様子。彼の教育係を務めていたすみれにも原因はある。

 二人を叱っていたスタッフが売場に戻り、休憩室に残される。


「染高さんが謝る必要ありましたか?」


 道尾のためにも自分が頭を下げたのに、彼はまるでわかっていない。未だ、道尾は頭に血が上っている。


「部下がミスをしたら、上司も謝ります。私の指導不足。それで私は納得しているから、道尾さんも同じようなことが二度と、起きないようにすればいいのです」


 すみれだって、過去に何度も失敗をしてきた。おそらくミスをしたことのない人はいない。どんなに優秀な人でも、必ず過去に失敗を経験している。

 その時、同じように反田も隣で謝っていた。彼女は自分の指導が足りていなかったと告げていた。


「わかりました。ありがとうございます」


 頭を下げた道尾も気持ちを入れ替えて、売場に戻った。彼のことが心配なすみれはしばらく、様子を見ることにする。


 夕食時、たまたま仕事の失敗談の話題になった。すみれはつい、今日起きたことを話した。恵比寿様と呼ばれている裕介にも失敗が多くあったらしい。


「その子の気持ちもわかるけどね。自分の意見を主張することは大切だと思うよ」

「まずは起こったことに対して、謝罪するべきですよね」

「でも、納得していない中で謝罪するってそれは嘘にならない?」


 二人の会話を眺めていた百合子は、このままだとヒートアップすると恐れている。


「仕事を上手くするには、どこかで妥協しないといけないんです」


 首を傾げる裕介。彼は思ったことをするに口にするタイプで、言いたいことはハッキリと告げる。だから、あとの事を考えていない。


「妥協するって我慢するってことでしょ。それって後々、自分が疲れるだけじゃん」


 疲れるとか、疲れないとかの話ではない。

 すみれだってわかっている。しかし、時に我慢することだって、必要なのである。何でも自分の意見が通るとは限らない。みんなが恵比寿様と呼ばれている裕介のような人ではない。


「まあ、その子の指導はすみれさんの役割だから、やり方はお任せするけど」


 言いたいことだけ言って、最後は放任する裕介。何もかも、裕介に言われなくても自分のやり方ですると決めている。

 食事を終えたすみれは風呂に入って、就寝した。


 翌日の休憩時間。先に休憩していた道尾はスーパーで購入した寿司を食べていた。


「あの、染高さん。マグロ食べます?」

「はい?」


 道尾の前に置かれていた寿司にマグロが残っていたが、彼の言葉の意味が理解できなかった。

 なぜ、私に?


「染高さんの好きなものって、寿司ですよね。特にマグロ」


 道尾に好きな食べ物を教えた覚えはない。それに特別、寿司が好きというわけでもない。道尾は誰かと間違っているのだろう。

 ご時世関係なく、すみれは断る。


「私、別に寿司が好きというわけではないですよ。それにネタはマグロより、イカとかタコとか歯応えのあるのが好きですし」

「え⁉ そうなんですか」


 驚く道尾。


「でも、染高さんの異母きょうだいの相楽さんは好きな食べ物、寿司って言ってましたよ」


 なんで、道尾さんとあの人が知り合いになってんの。

 呆然と立ったままのすみれ。以前、裕介と寿司を食べに行ったことはあるが、好きな食べ物とは話していない。完全にすれ違いが起きていた。それに異母兄妹であることも喋っている。

 頭を抱えるすみれ。


「相楽さんに会ったんですか」

「たまたま下のスーパーで。見覚えのある顔だなって……たしかこの前、店に来てましたよね」


 例の弁当を届けに来た日のことだ。

 避けることはできないと思っていたが、すみれのプライバシーがだだ漏れしていた。


「私の好きな食べ物はカレーライスです」


 間違った内容は訂正しなければいけない。教えるつもりはなかったが、すみれは道尾に好きな食べ物を伝えた。

 バッグから弁当を取り出して、対面にならないよう、斜め前に座る。


「カレーは甘口派ですか? それとも――」


 すみれは口に含んでいる物を飲み込むまで喋らない。その後、飛沫が飛ばないように左手で口を隠す。


「中辛です」


 案の定、道尾は「そうなんですね」と反応が薄かった。

 それから黙々と、弁当を食べたすみれ。


          ※


 今日は昼から出勤したすみれ。休憩室に来て早々、シフトを作成している女性スタッフが声をかけてくる。


「道尾君使って、ポイント稼ぎ?」


 突然のことに話が見えないすみれ。彼女は不気味な笑みを浮かべる。どうやら、道尾が出勤日数を増やしても構わないと彼女に伝えたそうだ。これから、営業が忙しくなる店にとってはありがたいことだった。


「染高さんが教えるスタッフはやる気があって良いね。道尾君に、あの子は……まあ技術は一番だと思っているし、これからの道尾君にも期待大だね」


 肩をトントンと優しく叩かれるすみれ。本来、誰かに教えることが苦手なすみれにとっては荷が重い。期待されると尚更。

 頑張ります、と返事する。


「私が教えている子たちも見習ってほしい……切実に、ホント。じゃないと、昇給チャンスがない!」


 すみれが働いている店舗スタッフの昇給システムは少し特殊である。月末に行われる育成プログラムという評価制度があり、その成績で昇給が決まる。とはいっても、十円二十円程である。


「微々たる額だけど、塵も積もれば山となるだから」


 とりあえず、頷くすみれに熱弁してくる彼女。


「てか、どうやって教えてるの? あるんでしょ、染高メソッドが」


 彼女がいう「染高メソッド」なんてものは存在しない。すみれは自分が教わったことをそのまま、教えているだけだ。


「ってことは、染高さんを育てた反田さんのやり方を盗めばいいのか……ふむふむ」


 彼女はカタカタとキーボードを打ち、凄い速さでシフト作成を再開する。全スタッフのできる業務を把握しており、売場が上手く回るように人員を配置する。

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