閑話 ある若い帝国兵の憂鬱
その若い帝国兵にとって、今日という日は特に憂鬱だった。
いつもは隙間なく閉じられている門が一日中開かれると、大量の木箱が絶えず搬入されてくる。
円形の搬入場の内縁に沿って、積み上げられた木箱の山はまるで小高い連峰だ。
その麓、木箱を一つ抱え上げると、若い帝国兵は持ち場へと立ち返る。
「まったく、なんで俺がこんなことを」
木箱を雑に地面に放り、蓋を開けて脇へ落とす。
次いで、その中身を一つ手に取ると、空いた方の手で別の木箱の上に置いていたバインダーを手繰り寄せる。
バインダーには無数の納品書が挟まれており、そのリストと木箱の中身を検品・照合することが彼の主な仕事だった。
「え~っと……これは酒か」
透明のボトルに貼付されたラベルに視線を走らせ、次にリストへと目を通す。朝からこの作業の繰り返しだった。
もはや処理した木箱の個数も忘れてしまった。それでも搬入される木箱が途絶える気配はなく、いよいよもって溜めに溜めた鬱憤が爆発してしまう。
「酒、酒、酒、肉、肉、肉ぅー、キャベツにトマトぉー! 何か知らない物ぉー!」
バインダーをその辺の木箱の上へと放り投げて、次々に品物を拾い上げては
一瞬にして、作業は
「ったく、どんだけ検品すれば終わるんだよ。俺には崇高な信念があって、軍に入隊したって言うのによぉ!」
日々雑務に追われ、戦闘という戦闘は未だに体験したことがない。
祖国のために仕事をしているという実感がまるで感じられない日々が続くと、曖昧になりつつある信念の輪郭を言葉でなぞっては思い出す。
そうして抗い、不満を零し続けていると、不意に背後から声が投げかけられた。
「手伝おうか?」
「マジっすか!? お願いしゃす!!」
そう言って現れたのは、年配の帝国兵だった。
若い帝国兵は即答でその申し出を受け入れると、二人は背中合わせで作業に取り掛かる。
「先輩はいつから帝
「俺か? 占領とほぼ同時期だな。もう八年近く、本国に帰れていない」
「そんなにスか!? 休暇とかは……」
「取る暇があると思うか?」
「そっすよね。俺もそうなっちゃうのかなぁ」
「仕方のないことだ。
「それは分かってるつもりなんスけどねぇ~」
話し相手が現れたことにより、若い帝国兵は口が止まらなくなってしまう。
代わりに、その手はすでに止まっていた。
「占領と同時期ってことは、王都襲撃にも参加してたり?」
「ああ。まあ、一方的な蹂躙だったから、大した事はしてないがな」
「いやいやいや、それでも羨ましいっすよ! 俺なんて、まだ帝国のために戦ったことすらないんスから。こっちに来てからは検品作業に
「この部隊に志願したのはお前だろう」
「俺はーその~……同期に志願者が多かったから選んだだけっていうか……」
「はは、今時な考え方だな。大方、軍の道に進んだのも同じような理由なのだろう?」
「へ、へへ……恥ずかしながら、はい」
年配の帝国兵は楽しそうに笑う。
一方で、若い帝国兵は愛想笑いでそれに同調する。
結局のところ、崇高な信念など持ち合わせておらず、入軍した理由も、この部隊を選んだ理由も、今の作業を否定したいがための口実に過ぎなかった。
「にしても、まさか
「
「前から思ってたんスけど、なんでツドイ国に支配権握られちゃったんスか? 実際に王都を攻め落としたのって、俺たち帝国軍なのに」
「利害が一致したからだ。俺たち軍とではなく、
「評議院……文官の奴らっすか」
帝国という国の運営は、大きく分けて二つの組織で成り立っている。
それが帝国軍と評議院だった。
帝国軍は文字通り武力を司る機関であり、帝国を治める
一方、評議院は内政を司る機関であり、英帝へ政策の提言や軍部の監視役を担っている。
「イギリカの支配権を巡っては、内政として評議院が主導して話を進めていた。当初は軍が支配権を握る方向で進めていたらしいが、派閥同士で揉めてしまってな」
「派閥ってあれっすか? 英帝派とか王子派とか?」
「ああ、そうだ。英帝派と軍部派が協力して票を集めていたところ、それをよく思わない王子派とツドイ派が対抗して手を結んだ。それにより票数は逆転。わずかな差で、ツドイ国へ支配権を移譲する案が票数を上回った。穏健派の勝利というわけだ」
「穏健派ねぇ。ツドイ国のスパイか何かじゃないスかね、そいつら」
「そうかもな。まだ
「イギリカの最大同盟国っすよね。そこと戦争になるなら、いよいよ俺たちも戦場に駆り出されたり?」
「だろうな。そして、その日が訪れるのはそう遠くないだろう」
年配の帝国兵の声音が、重々しく言葉を紡ぐ。
「その前に、なべ底で反乱なんて起こされないよう、お前も〝
「~~っ! っす!!」
若い帝国兵はやる気を取り戻すと、同じ木箱をもう一度検品し直し始める。
今度は一つ一つ、その中身をきちんとリストと照合して。
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