第一話 なべ底の少女
1-1 終わりの楽園(1)
『イギリカ国』──別名、英雄の国。その国は聖戦の終わりを象徴し、また、人の時代の象徴でもあった。
『
だが、その栄華に影が差す出来事が起こる。
ある時、戦争が勃発した。
その国の名は『アギド帝国』。闇の大陸において、強大な戦力を誇る軍事国家である。
ある日、帝国の軍勢が光の大陸に降り立った。
彼らはイギリカ領内に侵攻すると、話し合いの余地なく戦争は始まった。
侵略と防衛。対立する両者の争いは
誰かが言った──『この戦争は〝新時代の聖戦〟だ』と。
一年、一〇年、二〇年……、年月と共に大量の屍を重ねる日々が続いた。
戦火が途絶える時期もあった。しかし、消えかけていたはずの種火が再び
そして、来たる星紀一〇三六年。帝国が初めて
イギリカ王都襲撃。
膠着を見せる戦況の最中、どこからともなく現れた帝国の大軍によって、イギリカ王都は瞬く間に火の海と化してしまう。
当代のイギリカ王──第二四代イギリカ国王パークス・デウス=イニティウムは同盟国である
こうして、長きに亘る戦争は、アギド帝国がイギリカ国の首都である王都イギリカを占領することで、勝敗を決するのだった。
──時は進み、八年後の現在。
捕らえられたイギリカ人たちは、かつての自分たちの居場所であった王都を失い、その真下にある大きな穴の底へと閉じ込められて日々を過ごしていた。
陽の光が届かないその場所を、人々は『なべ底』と呼ぶ──……。
─────
────
───
──
─
星紀一〇四四年。
なべ底──楽園層。
「はい、これお駄賃ね」
「お駄賃って……」
少女は不貞腐れた表情を浮かべながらも、差し出された硬貨を受け取る。
「いつも助かってるよ。お助け屋のマキナちゃん」
「どうも」
下手くそな愛想笑いを飛ばして、マキナと呼ばれた少女は不器用な笑顔で応じる。
女性が去った後、マキナは路地裏へと足を運んだ。
焦燥に駆られるがままに、手のひらを開いて硬貨の総数を確かめる。
一枚、二枚、三枚。
一枚、二枚……。
一枚……。
「あー!! ダメだ!! 一〇〇ドノレ硬貨が三枚って……これじゃホントにお駄賃じゃんか! これでおやつでも買えってこと!?」
バシッ! と、労働の対価を地面へと叩きつけて、金色の長髪をわしゃわしゃと搔き乱して空に
だが、雑踏へと転がっていく硬貨を目にして、瞬時に我に返った。
「ダメダメ! 待って待って、ちょっと待って!」
情けない声を上げながら、転がり行く硬貨を必死に追いかける。
一枚確保し、もう一枚を確保し、そして、最後の一枚を確保するに時に到っては、その姿は地面に這いつくばる無様なものとなっていた。
「セ、セーフ!」
安堵のため息を吐き出して、マキナは服に付着した砂を払いながら立ち上がる。
その際、道行く人々の奇異の目に晒されていることに気付くと、そそくさと逃げるように裏路地へと戻った。
落ち着いたところで、今度は深いため息が漏れ出てしまう。
「こんな小銭を集めるために、お助け屋なんて始めたわけじゃないんだけどなぁ……」
腰にぶら下げている巾着袋、それを右手で弄るとカチャカチャと貧しい音が寂しく鳴った。
目下、マキナにはお金が必要だった。
それは伸び切った白いシャツや、裾の綻んだ獣革のショートパンツを買い換えるためではない。ましてや、吐き潰れて過労死寸前の靴を買い換えるためでもない。
「どうしよう。フェロニアの資金……」
彼女がお金を欲する理由、それは『フェロニア』の運転資金のためだった。
フェロニアはマキナが居候している
だが、その由緒ある(※店主自称)飲食店は、今まさに経営の危機にと直面していた。
経営難に陥った原因は明白だったが、マキナではその原因に対してどうすることもできず、こうしてお助け屋の仕事で金銭を得ることで、フェロニアの運転資金に充てることが唯一対抗できる手段だった。
お助け屋の仕事内容は言葉の通り、困っている誰かを助けることだ。仕事の料金は内容によって変動するものの、小娘に依頼される仕事など簡単な雑用ばかり。
であれば、相手からの
「……『楽園層』かぁ。どこが楽園なんだか」
空を仰ぐ。
頭上に広がるのは土色の空。帝都イギリカの地盤だ。そこには雲一つなく、本物の太陽が輝くこともない。代わりに、地盤に埋め込まれた『天光石』が、じわりと鈍い光を滲ませていた。
地面からは靴音と砂煙の匂い。遠く空から降り注ぐのは、地上の機械音染みた地鳴り。
「もう八年も前なんだね。
『七五年戦争』と呼ばれる、長きに亘った戦争。その最後の舞台となったのがイギリカ王都だった。
当時、王都から逃げ遅れた者たちはアギド帝国軍に捕らえられると、一つの大穴へと幽閉された。その大穴は王都から名を改め、帝都として生まれ変わったイギリカの地盤の真下に位置している。
勝者が築いた帝国の都。その都がかつての住人たちに覆い被さって蓋をする。
大穴は、いつしかこう呼ばれるようになっていた。
──なべ底、と。
なべ底は三つの区画に別たれると、マキナたち多くの幽閉人は『楽園層』と呼ばれる区画で日々を過ごしていた。
楽園層という名は、三つの区画の中でも比較的生活が保たれており、他の場所に比べれば温情がある──という噂だけで与えられた名前だった。
だが、塗り潰された空と沈殿した空気の中で、どれほどの人がここを楽園だと信じられるのか。
手の中の硬貨が、汗に濡れて冷たい。
拾い集めた三枚の現実。
それが、今日のマキナの立ち位置を否応なく告げている。
この場所の暮らしは、常に誰かの負け残りで成り立っていた。
「うじうじしてても仕方ない!」
天光石のどこか冷たい光を浴びて、マキナはピシャリと両頬を叩く。
不自由に嘆いている暇はない。今できることをやるだけだった。
「一度に貰える金額が少ないんだから、数をこなさないと! そうと決まれば、やっぱり向かうべきは『大通り』だよね!」
⁂
楽園層には人々が多く集中する場所がいくつか存在する。
『下水広場』、『中央広場』、『歓楽街』、そして『大通り』。どれも楽園層に生きるイギリカ人の
その中でも、マキナが向かっている大通りは、特に楽園層の住民たちが多く集まる場所であり、夜間を除いて絶えず人の流れで賑わう場所となっている。
幅員の広い通りから外れると、マキナは路地を突き進む。
路地には建物の屋根伝いに幌が張られると、まるで
路の先から小さな喧騒が耳に届くと、マキナは駆ける足をさらに加速させて、ひと際明るい場所へと飛び出すように現れた。
「到着──っと!」
巨大な大路には一定の間隔で露店が整列すると、それを目当てに訪れた人々で雑踏を極めていた。それにも関わらず、行き交う人々は左右に分かれて進行方向を異にし、人の流れを滞りなく循環させている。
「さて、あたしの大事なお客様はどこかなぁ~」
マキナはつま先立ちをして、低い背を限界にまで伸ばして辺りを見回す。
しかし、一見して、困っているような素振りを見せる者は見当たらなかった。
「……平和だ。な~んにもトラブルはなさ気っぽい」
喜ばしい反面、その内心は『商売上がったりだ』という気持ちでいっぱいだった。
それでもめげることなく雑踏に紛れると、お助け屋としての売り込みを開始する。だが、終ぞ客は掴まらず、簡単な雑用の一つさえも頼まれることはなかった。
「はぁ……どうしよ」
マキナは雑踏から離れると、積み上がる木箱の上に腰を下ろして、重いため息を吐き出す。
天を仰ぐと、天光石の眩しい光に目が眩んだ。そして、朧気になった視界の中で、ある人物の顔が思い浮かんだ。
「そうだ、オビクの所に行ってみよ」
次なる営業場所を思い付くと、マキナは立ち上がって大通りを後にしようとする。
その時、
「──誰か──けて!」
行き交う人々の喧騒に混じって、微かに不穏な言葉が聞こえてくる。
マキナは今一度大通りに目を向けた。
すると、
「助けて!!」
今度はハッキリとその言葉の全容を耳で捉える。
「仕事だ!」
マキナは目を見開くと、大通りに目を凝らした。
そして、声の主を捜していると、少し離れた場所にそれらしき人物の姿を見つける。
「……あの人かな?」
その人物は女性だった。よほど焦っているのか、彼女は綺麗に進行方向が分かれている雑踏の中で、ただ一人だけ流れに逆らって進んでいる。
対面から来る通行人にぶつかっても、一瞥すらくれずに人混みを掻き分けて逆走するその姿は、人に塗れた大通りでも一際目立っていた。
「どうしたのかな?」
女性の切迫した様子に疑問を覚えながらも、マキナは木箱の山から飛び降りて彼女の下へと向かった。
あらかじめ進路を予測すると、先回りした地点で女性を待ち構える。
そして、彼女は飛び出してきた。
「──っ!? 邪魔!!」
「ドンピシャ!」
マキナは投げ掛けられた言葉を無視すると、両腕を大きく広げて女性の前に立ち塞がる。
女性の方は踵でブレーキをかけるような素振りを見せるも、それだけでは勢いを完全に殺すことはできず、案の定、二人は正面から衝突してしまう。
「捕まえた!」
「ちょっ──えぇ!?」
マキナは女性の勢いを受け止めると、彼女の腰に手を回して身柄を確保する。
強引な客引きだった。
「何か困ってると見た!」
「分かってるなら早く放して! このままだと捕まっちゃう!」
「え? もう捕まってるくない?」
「〝あなたに〟じゃない! いいから放して!!」
「あっ、ちょ──そんなに暴れられると──むぐぅ!?」
忠告も虚しく、女性の手がマキナの顔に押し付けられると、二人はバランスを崩して仲良く地面に倒れた。
「いった~」
「っ──邪魔しないで! それとも何? あなたも敵!?」
「敵ぃ~?」
マキナは打ち付けた後頭部を手で擦りながら、上体を起こして尋ねる。
一方、女性の方はすでに立ち上がっており、彼女は眉間に皺を寄せてマキナに来た道を見ろと言わんばかりに指差す。
「〝アレ〟よ! 〝ア・レ〟!!」
「アレ? アレってどれの……こ……と……」
マキナの言葉から歯切れの良さが失われていく。
それもそのはず、視線の先、そこには天光石の光に反射する白い甲冑の姿があった。
「もしかしてだけど……」
壊れた人形のように、マキナはカクついた動きで女性の方へと顔を向ける。
「アレって……〝帝国兵〟のことだったりする?」
「そうに決まってるでしょ!」
「……マジ?」
全身に白い甲冑を纏い、長槍を携えるその姿。槍旗には刺繍されている『塔』の模様は、誰もが知る国の徽章──アギド帝国の徽章だった。
つまり、彼女はアギド帝国軍の兵士にその身を追われているようだった。
そうとなれば、マキナが取るべき行動は決まった。
「早く逃げよ!」
「え──!??」
有無を言わさず、マキナは女性の手を引いて路地へと駆け入る。
「どっかで下水路に入ろう。そこから下水広場にまで逃げ切れば、あいつらも追ってこないはず!」
「ちょっと待って!」
「?」
走る速度はそのままに、耳だけを女性の声に傾ける。
「私を助けてもいいの?」
「え? いや、だって困ってるみたいだし……」
「あなたも帝国兵に追われることになるのよ?」
「……」
「ねえ、大丈夫?」
「……うん、大丈夫」
相手が帝国兵と知るや否や、衝動のまま彼女の手を引いていた。
次第に青ざめていく表情を悟られまいと、マキナは決して後ろを振り返らずに走り続けるのであった。
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