猫族と暮らす学生の私。お世話をされる、という関係ゆえに、つい言ってしまう。それは、文句だ。だけど、本当に言いたい文句でも、実は言いたくなくて「言わなければよかった……」と後悔することがある方の文句だ。爪を立てないように包む言葉の一つ一つに気を払っていても出てしまう類の。
「養う・養われる」がどうしても食に直結するから、「いつか」だとか「たまに」を願ってしまう。それが私の好きな食べ物であってほしい。願わくば肉。
この関係を便宜上、「お世話」と前述したが、じゃあ偏りがなければよかったか? という大きな問いも同時に突きつけられる。無理してでも作りさえすれば見た目上、人語において愛情だとか、まごころと呼ばれうる「食」とされたとしても、本人にとって生の喜びがそこにある? じゃあ、私は食べない方がいい? 自分で調達するしかない? と。
食べたくないもの(私にとっての食べたいもの)が出されないなら、どこで食べればいいだろう? 給食や外食、頼らざるえない人から提供されることのない「食」への経路は意外と狭い。だけど、食べないという選択そのものを考えれば、本人だってどこか苦悩しているのかもしれない。それが思いも寄らぬ贈り物へと繋がることになるのかもしれないし。思わず即詠してしまいました。企画への参加、ありがとうございました。