第16話:高階邸の団欒

 誰も話さないまま、食事は淡々と進んでいく。師忠は当然のこと、犬麻呂ですら存外に行儀がいい。仁王丸に至ってはまだ一言も発していなかった。


 ――これは、マズい……


 危機的状況にソワソワし始める海人。そんな彼を見て、師忠は不思議そうに首を傾げる。


「どうかなされましたか?」


「えっ……なんというか、その……」


 師忠の問いかけに、海人の言葉が淀んだ。というのも、食事中の会話が結構なタブーだったりした場合が怖い。もしそうなら親睦どころではなくなる可能性もある。

 その事態は避けたい。避けたいが、海人に妙案は降りてこなかった。ならば、虎穴に入らずんば虎子を得ず。彼は意を決して口を開いた。


「折角ですし、お話しでもしながら食べませんか?」


「えっ」


 突然の提案に、師忠たちは少し驚いたような表情を見せた。悪い意味で予期していた反応に、海人は冷や汗を流す。


 ――もしかしてミスったか?


 そんな考えが頭をよぎるが、進んだ以上そのまま行くしかない。海人はさらに言葉を続ける。


「お、俺たちまだ出会ってすぐですし、色々聞きたいなぁ……なんて……」


 力なくぎこちない笑みを浮かべる海人。ポカンとする仁王丸と犬麻呂。そして、微妙な表情を浮かべる師忠。

 なんとなく居たたまれない空気の中、海人の冷や汗はとどまることを知らない。困惑と後悔と羞恥とが混ざったような感情の中、彼はひたすらだらしなくヘラヘラと笑うことしか出来なかった。

 そんな時、師忠はふいに目線を逸らしてうつむく。


「私としたことが気を遣わせてしまうなんて……至らない主人で申し訳ありませんね」


「えっ、いやいや! そんなこと――」


 今度は予期せぬ師忠の反応。だが、海人に責めたつもりは全くない。彼は大慌てで取り繕おうとする。そんな彼をよそに、師忠は顔を上げて満足げに微笑んだ。


「冗談ですよ。貴方の言うことは正しい。食事を団欒の時間としてしまうのも良いではありませんか」


「は、はは……」


 どうやら海人の願いは果たされたようである。第一関門を突破し、海人は内心で大げさなまでに胸を撫でおろした。


 ▼△▼


 ――さて、何の話題がいいかな……


 何とか思い通りの展開に持ち込むことに成功した海人。ただ、言い出しっぺである以上話題は彼が振らなければならない。

 だが、海人は別にコミュ強ではなかった。むしろコミュ障の類、話を主導するのは不得意である。だから、取りあえず何を振っても何とかしてくれそうな人物に照準を合わせた。


「……てことで、師忠さんの趣味って何ですか!」


 顰蹙を買いそうなレベルで雑な振り。だが海人の期待通り、師忠は悠々とした態度でにこやかに口を開く。


「そうですね……古文書の解読、碁、楽器の演奏あたりは好きですよ。特に文書があると一日中読んでしまいますねぇ。生まれた時から文書に囲まれて育ったもので」


「へぇー、流石は平安貴族……てか師忠さん楽器やるんだ」


「まあ一介の公家ですから、多少は嗜みますよ」


「流石……」


 イメージ通りの返答に海人は感嘆の息を漏らした。彼はそのまま、一番向こうの席で油断しながら欠伸している人に話題を振る。


「じゃあ次犬麻呂!」


「えッ、俺もかよ!?」


 意表を突かれて頓狂な声を上げる犬麻呂。海人は内心ほくそ笑みながら、


「そりゃそうだよ! で、何!」


 彼の催促に、犬麻呂は困惑しながらうんうん唸っている。海人はクラスの懇親会で急に話を振られて困った体験を思い出しつつ、そんな彼を見つめていたが、


「趣味かぁ……あ、蹴鞠とか好きだぜ? あと鷹狩りとか?」


「えっ」


 ――思いのほか貴族らしいのが出てきたな……


 意外な答えに、海人は驚きの表情を見せる。その反応に犬麻呂は唇を尖らせて、


「悪いかよ」


「いや、全然いいと思うぜ?」


 海人はへそを曲げる犬麻呂を適当にスルー。


 「……さて」


 残りは問題の少女、仁王丸のみ。海人の肩に自然と力が入った。

 彼女が自分を嫌っていることは嫌というほど分かっている。でも、今を逃せば次はない。海人は覚悟を決めて口を開いた。

 

「よ、よし……じゃあ次は仁王丸っ!」


 しかし彼女は海人とは対照的に、澄ましきった顔で淡々と、そして事務的に口を開く。


「……趣味というほどではありませんが、武芸の稽古は欠かしませんし、古典も嗜みます。それと、笛を少々」


 相変わらずの感情のない声。だが無視されなかった分、先程廊下で交わした会話よりは多少マシだろう。海人はしばらく安堵したような表情を浮かべていたが、


「あ、仁王丸も楽器やるんだ」


「ええ。笛以外はからっきしですが」


 目を伏せてそう告げる仁王丸。謙遜には違いないが、ここまで嫌味のない言い回しもそうはない。だがそんな時、師忠が楽しそうな顔を浮かべて、


「仁王丸の笛はなかなかのものですよ。宮中でも十指に入ります。それ以外はからっきしですが」


「宰相殿?」


 想定外の横槍。仁王丸の表情に初めて変化が生じる。さらには犬麻呂も割り込んできて、


「姉貴は変なとこ不器用だからなァ。他の楽器はヘタクソだし、舞はヤベェし」


「なっ……!?」


 目を見開いて動揺をあらわにする仁王丸。いつも冷静沈着で、クールビューティーという言葉が似合う彼女には珍しい反応だ。

 そんな時、ふと海人は廊下での会話を思い出す。その内容と、今の情報と合わせて彼の脳は一つの答えを導き出した。


「もしかして、仁王丸って意外とドジっ子?」


「しっ、知りませんよ! 多分違いますっ!」


「多分そうじゃね? ドジっ子が何か知らねェけど」


「犬麻呂は黙って!」


「こらこら、あまり仁王丸をいじめないでやって下さい」


「師忠さんが発端じゃん!」


 海人が話題を振り、師忠がひっかき回し、佐伯姉弟が振り回される。広間には、楽しげな声がしばらく響いていた。

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