第3話 カロリーナ・ベランジェ公爵令嬢は元婚約者の願いを叶えなかった

 呼ぶ声が聞こえていた。

 カロリーナ様、カロリーナ嬢、カロリーナお嬢様。

 私のカロリーナ、大切な一人娘。僕のカロリーナ、最愛の娘。

 繰り返し何度も聞こえてくる声は、最初はなぜか酷く遠くに聞こえていて。壁一枚隔てた向こうから聞こえてくることもあって。

 呼ばれているのは自分ではないのではないか……そんなふうに思っていた。


 カロリーナ・ベランジェ。公爵家の娘。フェルディナン・バダンテール王子の婚約者として、王妃として相応しい存在となるべく、努力を重ねていた。

 その彼女が他でもない、婚約者の言葉によって心を病んでしまってから、一年ほどの月日が流れた。

「今は休息が必要なのよ、カロリーナ。王妃だって、休まず働くことは出来ないわ」

 母親にそう説得されたカロリーナは、言われるままに「休息」をとった。両親の代わりに仕事をすることも、勉強をすることもせず、ただ毎日静かに本を読んでいる。そして毎日やってくるコレット・アルノー男爵令嬢とアベル・カルリエ侯爵子息の話を聞いていた。

 コレットは学校であったこと、家族と出かけたときのこと。時折手作りのお菓子を持ってきて、カロリーナに振る舞った。

 アベルは、季節の話や流行りの本、あるいは舞台の話。騎士としての訓練のことや、――いつかの、自分たちの話。懐かしむような声は寂しげで、でも酷く優しい響きを持っていた。そして時々、フェルディナンの現状についても話していた。


 カロリーナ嬢、……カロリーナ。

 完璧じゃなくていい。弱さを見せてもいい。どうか頼ってくれ。どうかその心に寄り添うことを許してくれ。

 守れなくてすまなかった。

 守ると決めていたのに、昔から。何があってもカロリーナ、お前だけは必ず守ると誓ったのに。


――そう、ずっと聞こえていた。その声は幼い頃からずっと、共にあった。

 寂しげで優しい声。いつも呼んでくれた声。

 昔からずっとずっと、絶えることなく、繰り返し。



◇◇◇



 カロリーナはゆっくりと目を開いた。

 見慣れた天井、だけれど随分久しぶりにしっかり見上げたような気がする。暖かな毛布の感触に、微睡みそうになる。

「お嬢様。カロリーナお嬢様。おはようございます、間もなく朝食の準備が出来ますよ」

 優しい声は、やはり聞き慣れたもので。カロリーナは緩慢な動きで顔を向けて、声の主――執事長へ声をかけた。

「おはよう、じいや」

 執事長の目がはっと見開く。

「お、お嬢様……?」

「どうしたの、じいや。今日の朝食は何かしら。――カーテンを開けてくれる?」

「は、は! すぐに!」

 慌てて窓辺に近づいて、カーテンを開く。窓から差し込む日差しは暖かく、カロリーナの表情は穏やかに綻んでいた。

「……随分と長い間、心が深く眠ってしまっていたみたい。心配をかけてごめんね、じいや」

「――いいえ……いいえ! よく、……お目覚めに……!」

 執事長は言葉をつまらせ、目頭を押さえた。ずっ、と鼻をすする音が聞こえて、カロリーナは優しく瞳を細めた。泣くまいと堪えている執事長の目は涙に潤んでおり、次の言葉が中々出てこない。そうしている間に、何人かのメイドたちも部屋へ入ってきた。

「執事長、どうかされました?」

「お嬢様は……」

 ベッドの上で起き上がっているカロリーナを見たメイドたちは、その視線を体を震わせている執事長へ向ける。それからまたカロリーナへ視線を戻すと、カロリーナはにこりと笑って言った。

「おはよう、みんな。なんだかみんなの顔を見るのがとても久しぶりな気がするわ。ずっとお世話をしてくれていたのに……」

 メイドたちは顔を見合わせ、息を詰めた。顔を歪ませ泣き出すもの、頬を紅潮させて喜びを表すものと様々な反応を見せたが、そこにいる誰もがカロリーナの言葉に喜び、体を震わせた。

 それまでカロリーナは、執事長に声をかけられて目を覚ましても、挨拶を返すことがなかった。曇った瞳で視線を向けて、目の前にいるのが誰であるのか探って。けれど結局わからないまま、曖昧な言葉を紡ぐだけだった。

 それが今日、返事をした。それどころかさらに言葉を続けて、微笑みを浮かべて。

 彼女が心を病んでしまう前、いつも見ていた「カロリーナ」の姿だった。

 執事長の報告に、両親はすぐに飛んできた。笑う娘の姿に両親は、泣きながらカロリーナを抱き締めた。

「カロリーナ、あぁ、キャロル、ごめんなさい、あなたが苦しんでいることに気づけなくて」

「いいえ、お母様。全ては私自身が招いたこと。あのひとの婚約者だからと、意地を張りすぎてしまったわ。強くなったつもりでいたけれど、私の心はそんなに強くなかった。公爵令嬢としての振る舞いや勉強ばかりに気を取られて、自らの心を守ることを怠ってしまった」

「キャロル……あなたがそんなふうに考えてしまったのは、私たちのせいね。もっと甘えても良いのよ、キャロル。弱さを見せてもいいの」

 母親が何度も髪を撫でて、優しい声をかけてくれる。

 王子の婚約者。次期王太子妃。数ある家門の中から選ばれた、たった一人。

 国母となるべく、強くあろうとした。弱味を見せてはならない、常に凛と胸を張っていなければならない。何事にも動揺せず、国王を支え、国民を守るひとであれ。

 彼と一緒なら、フェルディナンと共になら、大丈夫だと思った。どんなに辛いことがあっても堪えられると。何があっても挫けることはないと。

 だけれど、その支えに突き放された瞬間、共に歩くことが叶わないのだと「カロリーナ」は打ちのめされて。ならば一人で立っていなければならないと、「公爵令嬢」であり続けようとして。

「カロリーナ」の心は、「ベランジェ公爵令嬢」の心の奥底に沈んで、深い眠りに落ちてしまった。

 

 キャロルは必要ない。


 カロリーナの心が病んでしまった原因は、あの言葉だけではなかった。とどめを刺したのはもちろんフェルディナンからの拒絶の言葉であったが、それ以前からも彼は、カロリーナに対して冷たい態度を取り続けていた。

 理由はわからなかった。ただ、いつかは以前のフェルディナンに戻ってくれるものと思っていた。カロリーナが婚約者であることが嬉しいと、立派な王になると約束してくれた彼に、戻ってくれるものと。

 フェルディナンがカロリーナとの接触を拒み、冷たい、素っ気ない態度を取るようになってから二年。入学当初はお似合いであると言われていた二人は、次第に「やっぱり政略結婚なんだな」と噂されるようになっていた。それでもカロリーナは慕われていたために、直接悪意を持ってそんなことを言ってくるような存在はなかったが。聞こえてくる声は、カロリーナの心を蝕んだ。

 学園を卒業をすれば、あるいは……と思っていた矢先に突きつけられたのがあの言葉だった。今思い出しても、カロリーナの胸は小さく痛む。

 カロリーナとしての存在意義を失い、親しいひとの顔すら忘れて。――それなのに。

 ずっと、呼ぶ声が聞こえていた。

 その声が深い眠りについていたカロリーナの心を、目覚めさせた。

「お嬢様。アベル様とコレット様がお越しです。お通ししても?」

 アベルと、コレット。カロリーナの心に、温かな感情が広がっていく。泣きそうになるほどの歓喜に、カロリーナは瞳を揺らし、もちろんよ、と頷いた。

「キャロル、彼女たちは毎日あなたに会いに来てくれたわ」

「えぇ、知っています。彼らの声だけはずっと、聞こえていたの」

 どたどたと、貴族らしからぬ大きな足音が聞こえて、カロリーナは顔を上げる。髪を乱し、息を荒げたコレットとアベルが、カロリーナを見つめていた。

 カロリーナはゆっくりと瞬きをして、にこりと笑う。両親も顔を見合わせて笑うと、立ち上がってカロリーナまでの道を開いた。

「アベル、コレット。ごきげんよう、今日も来てくれたのね」

 戸惑ったような、探るような辿々しい音ではない。はっきりと意思を持った言葉に、コレットは思いきり表情を歪ませ涙をこぼし、カロリーナのもとへ走り寄った。

「カロリーナ様ぁあああぁあ! かろっ、カロリーナ様、わたし、私のことがわかりますか!?」

「えぇ、もちろん。コレット」

「そうです、コレットです! カロリーナ様、よかっ、よかったぁあぁああ!」

 コレットはカロリーナに抱きついて、わんわん泣いた。カロリーナの両親も目に涙を浮かべて、穏やかな笑顔を見せている。カロリーナはコレットの背を撫でつつ、視線をアベルへ向けた。アベルもまた、笑っていた。泣きそうな顔で、微笑んでいた。

「……ありがとう、私を呼び続けてくれて。カロリーナを、呼んでくれて」

 アベルは小さく息を呑んだ。一瞬だけ本当に泣きそうに顔を歪め、すぐに笑顔に戻る。

「何度でも呼んでやる。うるさいって言われても聞かないからな」

「わだしっ、私もっ、いっぱい呼びます、カロリーナ様ぁああ~~!」

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃに歪んだ顔で、コレットはアベルに負けじと叫ぶ。カロリーナはそんなコレットの様子にぱちりと大きく瞬きをして、それからくすくすと笑った。


 王太子妃であるために。王太子の隣に並び立つために。

 必死に、ただ必死に「完璧」であろうとした。

 だけれどそれで心を壊してしまっては、何の意味もない。力を抜くことも、誰かに寄りかかることも、必要だった。

 ベランジェ公爵令嬢ではなく、カロリーナとして。差し伸べてくれる手は、いくつもあったのだ。


◇◇◇



 カロリーナが自分の意思を取り戻してから、三日。

 彼女は自分の心が深く眠っていた最中の出来事も、しっかり覚えていた。

 コレットやアベルが、自分に何を話してくれていたか。学園が、国が、今どうなっているのか。全て理解した上で、目を覚ました。

 当然、自分とフェルディナンの婚約が解消となったこともわかっている。そしてそれが当然の事態であることも。

 フェルディナンはあれから、素行の悪いものたちとの付き合いを止め、卒業までの間に遅れていたぶんを取り戻すべく努力していたと言う。首席で卒業した彼は今、国王になるために更なる教育を受けているとのことだった。

 だが、新しい婚約者は決まっていない。フェルディナンが勉強や教育を理由に見合いを断っているというのだ。

(きっと、それは言い訳ね)

 彼は優しいひとだから、と、カロリーナは瞳を細める。

 あれだけ酷い言葉を向けられても、そのせいで心を病んでも。カロリーナの心にはずっと、優しいフェルディナンの姿があった。

 彼があのような態度になったのには理由がある。そして今はきっと、罪悪感を抱いていることだろう。素行の悪いものたちとつるんでも、彼は根っからの悪人ではない。だからこそカロリーナが心を病んでしまったあと、彼は元の彼に戻ったのだろう。

 カロリーナはふと、自分の手が酷く冷たくなっていることに気づいた。フェルディナンのことを考えると、どうしてもあの拒絶の言葉が甦る。深呼吸をして気を落ち着かせようとして、ぐっと息を詰めた。込み上げてくる感情は、寂しさと切なさだ。

 彼と共に歩むことを夢に見ていた。

 共に国を支えようと思っていた。

 

 だけれど、それは、もう。


「カロリーナお嬢様。……フェルディナン殿下がお越しです。いかがいたしますか?」

「……通してちょうだい。それからお茶も用意して。殿下がわざわざお越しくださったんですもの」

「しかし、お嬢様……」

「大丈夫よ、じいや。そんなに長くはかからないと思うわ」

 その言葉が意図することは。

 執事長は頭を下げ、すぐにメイドたちへ指示を出す。しばらくしてから、執事長と共にフェルディナンがやってきた。部屋の中で立ったままフェルディナンを出迎えたカロリーナは、王子に向かってカーテシーを披露する。

「お久しぶりです、殿下。長い期間、ご心配をおかけして申し訳ございません」

 フェルディナンは、はっと息を呑んだ。少し前までは、自分を自分とも認識していなかったカロリーナが、はっきりと誰であるかを理解して、礼をしている。喜ぶべきことであるのに、フェルディナンの心には別の感情があった。

 カロリーナの態度は、幼馴染みの友へ向けるものではない。そして婚約者へ向けるものとも違う。

「狭い部屋ですが、どうぞお座りになって」

「あ、あぁ……」

 促されるまま用意された椅子に腰を落ち着けて、フェルディナンはカロリーナを見やる。見慣れた姿であるはずが、違和感を覚える。フェルディナンは戸惑いがちに口を開いた。

「その、……もう、大丈夫なのか? 本当に……」

「えぇ、お陰さまで。まだ以前までのように動き回ったりすることは出来ませんが……人と意思の疎通は出来るようになりました」

 二人の間におかれたテーブルに、ティーカップが用意される。メイドの一人がカップへ紅茶を注ぎ、静かに部屋を出て行った。

 何を話せばいいものか、フェルディナンは口ごもる。言わなければならないことはいくつもあるのに、中々言葉に出来ない。カロリーナは紅茶を飲みながら、フェルディナンの言葉を待った。

「……キャロル。本当にすまなかった。僕がきみにしたことは、許されることではない。……本心でなかったとしても、あんな言葉をきみに向けるべきではなかった」

 カロリーナはティーカップをソーサーに置いて、フェルディナンに視線を向ける。冷えた指先を誤魔化すように、逆の手で握りしめた。

「なぜきみに……あんなことを言ってしまったのか……なんで長い時間、きみ自身から目を背けていたのか……アベルに言われるまでずっと、気づかないふりをしていた。私は、ずっと拗ねていたんだ。きみが努力して得たもので、きみがどんどん前へ進んでいってしまうことに焦って、追い付けないことが悔しくて、……不貞腐れた。だからきみが望む僕とは、正反対の僕になるように振る舞った。学生の間だけ、あと少しだけと甘えて、……きみはそれでも僕を見捨てずに、待っていてくれると思っていた」

 フェルディナンが、カロリーナから向けられる愛情に驕っていたのは確かだ。幼い頃からカロリーナは、「フェル様」と柔らかな笑顔を向けて、愛情を示していた。フェルディナンが構うとわかりやすく喜び、会えない時間が増えると悲しげな表情を浮かべる。

 王妃教育の中に、いついかなる場合でも本音を悟られないよう、感情を表に出さないようにするものがある。カロリーナは徐々にそれも習得し、昔ほどあからさまな好意を向けてくることがなくなっていたが――それでも、声や言葉には間違いなく愛が込められていた。

 だがフェルディナンは、それを撥ね付けた。自分は彼女に相応しくないのだと不貞腐れ、わざと彼女を突き放した。

「どれだけ謝っても、許されることではないのはわかってる……それでもキャロル、どうか僕に罪を償わせてくれないか」

「償う……?」

「あぁ。きみが望むことをしよう。なんだっていい。どんな無理なことでも、必ず叶える。きみが望むなら、……望んで、くれるなら……」

 期待の込められた言葉。まるで自分の願いを叶えて欲しいと言っているようにも聞こえた。

 フェルディナンの望む答えが何であれ、カロリーナはもう心を決めていた。

「必ず……ですか。……本当に、叶えてくれるのですか?」

「あぁ、……あぁ! きみが望むのなら、なんだって……!」

 カロリーナは口角を上げて笑った。そして瞳を細めて、にっこりとした笑顔を作り答えた。

「それならば、殿下。どうか、立派な国王になってくださいませ」

「……え、」

「あなたは優しいひとです。そして賢いひとです。私と同じように、たくさんの努力をしていたことを知っています。その努力を無駄になさらないで。これからも国のためにどうか、生きてください」

 静かに、淡々と。カロリーナは言葉を紡いで行く。

「私はあなたと共に歩くことは叶いませんでした。あなたと共に国を支える夢を見てきましたが、それももう潰えました。……だから、殿下。一国民として、あなたの幼馴染みの友人としての願いです。私のことはもうお忘れになって、新しい婚約者を迎え、その方と共に国を支えてください」

 その、言葉は。

 フェルディナンの、求めていた答えではなかった。

 彼女が婚約者に戻りたいと願ったら。彼女が自分と共にいたいと願ってくれたなら。どちらの願いも、叶えるつもりでいたのに。

 カロリーナの口から紡がれた言葉は、決別。

 これ以上、共に歩くことはないという意思表示。

「……キャロル……? それが……きみの、願い……?」

「はい、殿下。私が心を病んでから殿下は、婚約者を決めていないと聞きました。それではいけません。国母となる存在は必要です。あなたを支えてくれる方を、受け入れてください」

「僕を支えてくれるひとはっ……」

 その先の言葉が紡がれることはなかった。その権利は、フェルディナンにはなかった。

 支えてくれていたひとを、隣に立つことを望んでくれていたひとを、手放した。彼女にとってもっとも辛い言葉で。

 彼は期待していたのだ。カロリーナがまだ、自分を想ってくれているのではないかと、また以前のように共に過ごせるのではないかと。

 

 それほど彼女の心が負った傷は、生易しいものではない。


 フェルディナンはぐっと唇を噛み締めて、拳を握った。顔を上げて、カロリーナを見つめる。

 未練を感じない眼差し。彼女の中ではもう、全てが終わっていた。

「……キャロ……カロリーナ嬢。……きみに、誓おう。立派な国王になることを」

「はい、殿下」

 その笑顔は心からのものではなかった。彼女は今、「ベランジェ公爵令嬢」を演じている。そうさせてしまったのは他でもない、フェルディナン自身だった。

「最後に、……本当に、すまなかった。……今まで、ありがとう。キャロル」

 もう婚約者でも何でもない。ただの幼馴染みである自分が、彼女の愛称を呼ぶことは許されない。……彼女はそれを、望んではいないから。

 フェルディナンは頭を下げて、部屋を出て行った。

 部屋に残されたカロリーナは、冷めた紅茶に視線を落としてゆっくりと深呼吸をする。指先は、まだ冷たかった。

 

 フェルディナンを想っていた。彼を慕っていた。

 幼い頃からあのときまではずっと、好きでたまらなかった。

 なのにもう、あのときまでの熱はない。ただ胸が痛んで、指先が冷えた。

 心が、フェルディナンを拒絶している。「カロリーナ」が、フェルディナンにトラウマを抱いてしまっている。


(だからもう、これで良かったの)

 彼と共に歩むことは出来ない。何もかもがもとに戻ることはない。

 カロリーナが心を病んでしまった瞬間から、二人の道はとっくに違えてしまったのだ。

「カロリーナ様っ」

 部屋に飛び込んできたのは、コレットだった。慌ててカロリーナに近づいて、両手をぎゅっと握りしめる。コレットの手はとても、温かかった。

「ごめんなさい、ノックもせずに……でも殿下が出て行くのが見えて、心配でっ! だ、大丈夫でしたか?」

「えぇ、ちょっとお話をしただけよ。……多分、もう……彼に会うことはないでしょう」

 憂いを帯びた眼差しで呟くカロリーナに、コレットはますます手を握る力を強めて言った。

「カロリーナ様。私、カロリーナ様が好きです。一人のひととして、カロリーナ様が好きです! 殿下の婚約者じゃなくなったところで、そんなの全然、関係ありませんから! 私はずっとずっと、カロリーナ様の友達です!」

 わぁああ本人の前で友達なんて恐れ多いこと言っちゃった! と慌てふためくコレットに、カロリーナはやはりぱちりと大きく瞬きをして、それからふふっ、と噴き出した。肩を震わせて笑う様子に、コレットは一瞬だけぽかんとして、けれど次の瞬間には嬉しそうに笑った。

 貼り付けた、作られた笑顔ではない。カロリーナは今、心からの笑顔を見せている。

「ありがとう、コレット。あなたがいてくれて良かった」

 穏やかに呟くカロリーナに、コレットは少し間を置いて、表情を引き締めた。

「私、カロリーナ様には幸せになってほしいです。前みたいに、楽しそうに笑ってほしいです。……だから、そのぅ……えっと、……あ、新しい幸せとか、わりと身近にあると思うんですよね!」

「新しい……?」

「お、お節介かもしれないんですけど! でもあの、ちょっとは気にしてくれると嬉しいかなって!」

「……コレットがいてくれることは、とても幸せよ?」

「あっ! いやそのっ! それは、えぇ! とても、とても嬉しいんですけど! それとは別のやつです!」

 コレットが言わんとしていることを、そのときのカロリーナはすぐに察することが出来なかったが、きっと彼女なりに自分を励まそうとしてくれているのだと思い、胸が温かくなる。冷たかった指先は、いつの間にか温もりを取り戻していた。

「そうね……私も、また新しい道を探さなきゃ」

 幼い頃からの夢は、二度と叶わない。

 彼のために国のために生きていた日々は、終わりを迎えた。

 それなら、今度は。

 自分のために生きてみても、いいだろうか。

 

 新しい幸せを、探してみてもいいだろうか。

 カロリーナ、と何度も呼んでくれた、彼女たちと共に。

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