山椒は小粒で

 あんずの花の香りが漂うころに元気な女の子が生まれた。

 なので名前は『あんず』となった。

 祖母と母曰く、アユの小さいころにそっくりなのだそうだ。


「きっと、この子はおしゃべりでやんちゃになるよ」


 予言は早々に当たり、よく笑ってよく声を上げさらには眠るのを嫌がって夜泣きする子でけっこう手がかかり、みんなで寝不足気味になった。

 それでも、あっという間に成長するのは上の二人と変わらない。

 三人で仲良くころころと畳を転がり、すくすくと育つ。

 ありがたいことに健康そのものだった。





 一方、尚はミナが在籍している農業高校へ進学した。

 年子だが学年は二つ違いで、通学初日に三年生のミナと一緒に門をくぐった時は多少好奇の目で見られたが、予想通りだから気にならない。

 父に似て背が低く丸顔のミナと一重瞼で細い目元の尚は、アユたちと違い倭人の血が濃く出て似通っている。

 姉弟で通う姿も初めは物珍しいだろうがすぐ飽きるだろう。


 ちなみに、尚は祖母の一番上の兄に似ているらしいが、なんせ二回りも上だったらしくとうの昔に鬼籍に入り、実家から貰ったという古ぼけた小さな写真を見せられた時も、そんなに似ていると思わず首をかしげた。

 とりあえず、身体つきはその大伯父からの遺伝子のようで父より骨格は丈夫で大きくなり、家族の誰よりも高いところに手が届くようになったのは働く上でありがたいと心の中で感謝する。


 そして学校生活に馴染んだ頃、ミナが『サンショウ』とあだ名されていることを知った。


「山椒大夫? それともサンショウウオ?」

「ぜんぜん違う。あの、小粒でピリリの方だよ」 

「ああ…。なるほど。ミナはしっかり者だからな」


 教えてくれた同級生の井上はついでに『狂犬』というのも半笑いで追加した。


 道理で『これがあのミナ先輩の弟…』という声が聞こえるわけだ。

 帰宅後にどんな武勇を働いたのだと尋ねてはみたが、ミナは「ふふ」とアルカイックスマイルを浮かべたきり、語ろうとしない。

 その後の井上情報で、いまどき自分たちほど辺鄙な場所で育った生徒はなかなかおらず、地味な見た目で抜群の筋力と機動力というギャップと教師にすら巻けない口達者ぶりが『山椒』のいわれだと知った。


 そのうち集落のどこからか話が漏れたのか後を追うように『種無し』という言葉も耳に入ったが、それで虐められたり揶揄われることはほとんどなかった。


 ミナの露払いのおかげかもしれない。

 高校生活は思ったより恵まれている。


 そう思った矢先の体育祭の練習中に、命知らずな上級生が尚を『去勢馬』呼ばわりところに運悪くミナが通りかかり、烈火のごとく怒り狂った彼女は超絶早口の攻撃でその男子生徒を完膚なきまで叩きのめした。

 ギタギタのメタメタで、学内で少しモテてちょっと調子に乗っていたらしいその生徒は涙目になって逃げだして、翌日の練習も出てこなかった。


 以来、ミナの二つ名は『山椒』から『キャロライナ・リーパー』へ変わった。

 死神の名を冠する唐辛子の名だ。


「俺のために怒ってくれたのはありがたいけれど、大丈夫?」


 学校からの帰り道、電車の中で姉弟並んで座り尋ねた。


「女子たちはおおむね大丈夫だから心配ないよ」

「ミナ、同級生に彼氏いるってこの間…」

「ああ、いいのいいの。このくらいで引くような男は柚木でやっていけないから」


 つまりは、別れたってことだ。


「ごめん。俺の問題なのに」

「いや、問題なんてないよね? ほんとは種無しなんかじゃないんだから」

「まあ、たぶん」


 医師の見立てが間違いなければ。


「そもそもさあ。あのナス男、ナオがこの体育祭で女の子たちに注目され始めて勝手にライバル視してやらかしたんだからさ。気にすんな」


 ちょっと細面の美男をミナはナス男呼ばわりしたのち、ぽんと尚の肩を叩く。


「で。ナオはこのままでいいの?」

「うん。そうだな。…なんて言えばいいのかな。女は婆さんと母さんとマユとミナで充分って言うか。あ、中ノ家のおばさんもだけど」

「は? どういうこと」

「もうこれ以上の凄い女性は世の中にいない気がするから、無理に探さなくていいかなって」


 尚なりに考え考え答えると、ミナは顎に手をあててしばらく唸って考え込んだ。


「うーん。ううーん。そういう? まあ、あんたがそれでいいならいいか。アユも健ちゃんもしたいようにしてるし、私もそうだし」

「うん。俺は親父たちとアユの子と暮らしながらのんびり土を耕すのが一番合ってると思う」


 尚は上の三人に比べて自分がかなり内向的な性格であることを自覚している。


 尚は誰かにときめいたことがない。

 女の子を見てかわいいとか、好きだとか。

 そんな気持ちになれなかった。

 時々思い出すのは、縁側で無心にトウモロコシを食んでいたアユの姿で。

 恋とは面倒で。

 恐ろしくて。

 いつか変わるかもしれないが、変わらないかもしれない。

 今はとりあえず家族と畑があれば良いと思う。


「…そっか。悪いけど私は農大行ってくるから、その間牛たちとパパママの方も時々よろしくね」

「わかった」


 車両が一つしかない小さな電車は集落を目指してカタタンカタタンと軽やかな音をたてて進んだ。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る