第30話 魔法の綾解き
早速魔術の核にわたしの魔力を注ごうとしてみたが核の周りに絡み付いているフェンリルの魔力に妨害されて上手くいかない。
なので、わたしは核を防護している魔力を一つずつ丁寧に解いていくようにしながら核に近づいていく。
「うぅ、結構難しい」
網状になっている魔力を幾つか解いてからわたしは手を休め、息を吐いた。
魔力の網を剥がそうにもハンスを傷つけないように細心の注意を払いながら、わたしの魔力を集中して動かさなければいけないので予想の何倍も疲れる。
「よし、もう一回」
時間的な猶予が多く残されているわけでもないので、こんな初歩の段階で躓くわけにはいかない。
わたしは自分を奮起させて再挑戦する。
試行錯誤しながら解いているうちに、複雑なあや取りの糸のように上手く絡まっていて解けないように見えても、ある一点の糸の交わりを解くと一気に形が崩れることがあるように、この魔力の網も所々連鎖して解けることを発見したわたしは、我武者羅に目についた魔力から外していくのを止めて、何本も絡み合っているところを重点的に狙うようにした。
それが功を奏したようで、一度に要する時間は多くなってしまうが解ける網の本数当たりの効率は大きく上昇して、どんどんと魔術の核に肉薄していく。
「これが最後」
その後の数分間の格闘の後にわたしは魔術の核にたどり着くまでの障壁を全て取り払った。
「次は魔術の核に魔力を注げばいいんだよね」
自問自答をして緊張をほぐして作業に取りかかる。
魔術の核にわたしの魔力を注いでいくと、核内にわたしの魔力も混じっているためか不思議と抵抗が少なく受け入れられている。
一度受け入れられればあとは勢いに任せてどばっと注ぎ込んでいくだけでいい。
「おっと、そうだったね。この魔力を封じないと」
同時に追い出されていくフェンリルの魔力への対処も忘れてはならない。
わたしの魔力をまた別に供出して、追い出されてハンスの中をさまよっている魔力が悪さをできないように包み込んで、一ヶ所に固める。
本当は消し去ってしまう、もしくは体外に排出してしまいたいのだけどあいにくわたしはそんな高等技術を持ち合わせていないので、とりあえず自由に再度終結されないようにして後で神官に取ってもらえばいい。
魔術の核の魔力の内の半分近くをわたしの魔力で染め上げた頃、ハンスが苦しんでいるのが見えた。
意識は戻っていないが悶えるようにして、注ぎ込む魔力への反発がひどくなった。
フェンリルとわたしの魔力の二つもそれも常人ではあり得ないくらいの量を注ぎ込まれているから、許容量をとうに越えているのだろう。
「ハンス様、できるだけ早く助けますから我慢してください。うぅ、もっと急がなきゃなぁ」
細い針穴に太めですぐに崩れる糸を通すような集中をさらに研ぎ澄ませながら、同時に速さも一段階上げて魔術の核を支配下に置く手筈を整える。
核内の魔力の内の大半をわたしの魔力で占有して、追い出した魔力を別の魔力で包み込んでいく。
作業自体は今までのものと何ら変わりはないのに、疲れが比にならないほど強くなってくる。
絶えず全速力で動かし続けている頭は既に周囲の景色も音も、情報の全てを受け付けようとしない。
体がわたし自身を何としてでも守ろうとしているのか、猛烈な眠気が襲ってきていて一度気を緩めてしまえば数日は目覚めないだろう。
わたしはフェンリルの黒き魔術と戦いながら、自分の防衛本能を相手取って闘い続ける。
「あと少し、······やった!」
やっとの思いでわたしは黒き魔術の制御権を握る。
そのまま間髪を置かずに魔術の核を取り出して、木っ端微塵に破壊する。
よかった。
それがこの地での最後の思考だった。
『女神様、また会いましたね』
目を開いて前に立っている人を識別してすぐにその言葉が出てきた。
今度はわたしの脳内とは違うまた別の場所で会話をしてあるようで、わたしと女神のいる白い円の外には広大で終わりの見えない大森林が広がっている。
『本当、よく頑張ったわ。家族でもない人のためによくそこまでできたわね。······でも、貴女の魔力はもうこの先ほとんど回復することはないわよ』
魔力がないということはわたしの暮らしているシルヴェスト王国及びその同盟国のサングレイシア王国、フォーンバーズ王国に於いては上級貴族としては生きていけないことに他ならない。
『確かにもう上級貴族としての生活は手に入れられませんね。それどころか神官になってフォリン大聖堂の中のステンドグラスを鑑賞することも叶わない。折角の恵まれた地位を自ら手放したようなものですよね。でも、······それでいいんです、それだけで』
嘘だ。
お姉さまと対等に近い立場で話すことも会うこともできなくなるし、フリーダやリアーナ達との関係も少なくとも表面上は大きく変化してしまうだろう。
もしかしたら、ハンスとのお付き合いとか結婚に関してもフラベル公爵側に拒否されるかもしれない。
どれも身を裂くような痛みを伴うもので、出来ることなら阻止したい。
だけどね······
『ハンス様はずっとわたしを守ってくれましたから。多分、黒き魔術を受けたときだって対象はわたしだったんじゃないですか?だから、女神様がいらっしゃったのではないですか?』
『そうね。確定であったわけではないようだけど、最初の狙いが貴女だったのは間違いないわ。そこを彼が貴女の魔力の入った魔石で自分の方に引き寄せたというのが正しい事実だわ。そしてその勇敢で貴女への愛に溢れた行動に勇気の神と恋の神が感激して私に助ける手伝いをするように頼んだこともね』
ハンスが事前に察知してくれなかったら、察知しても庇ってくれなかったら、わたしがもし黒き魔術に侵されていても神々に助けてはもらえなかった。
『だから、わたしは恩を返しただけですよ。わたしは魔力と引き換えに命を手に入れた、そう考えれば魔力を失って上級貴族として生きられないことくらいどうってことないですよ。上辺の関係性が変わっても中身の関係性はそのままでいてくれる友人が、家族が、わたしにはたくさんいますから』
『素晴らしい台詞だけど、そんなに涙を溢しながら言われても額面通りには受け取れないわね』
涙を流していると指摘されて初めてわたしは頬に暑くてしょっぱい水分を感じ取って、それを腕で拭う。
『でもでも、恩返しとか信頼とかそんな気持ちだけで動いたわけではないですよ。えっと·······そうだ。打算もありましたよ。事の経緯はどうあれど最終的にはわたしがハンス様を救ったように見えますから、ハンス様はわたしを簡単に手放せないでしょう。ハンス様は行動以上に見た目以上に優しいんです!そんな優しさに付け込むような狡い人ですよ、わたしは。女はしたたかであれとどこかで聞いたような気がします』
『そうねそうね。でも、その狡さを差し引いても貴女の行動は彼への愛が溢れるものだと思いましたよ』
女神はまるで母のような眼差しでわたしを微笑ましそうに見た。
そのあとは正直覚えていない。
疲れてしまったのか、忘れただけなのか、女神と話せる時間が終わってしまったのか
でも、途切れつつある意識の中で女神がわたしに抱擁しながら耳元で囁いたのを感じた。
『お疲れさま』
そのたった一言にわたしがハンスと出逢ってから過ごしてきた時間の全てが集約されているような心地になる。
ありがとう女神様。これからの道程は決して平坦ではないと思うけれど頑張ります。見守ってくださいね。
わたしの意識は混濁の沼に沈みこみ、女神によって与えられた安心の毛布に包み込まれて深い眠りに落ちたのだった。
なので、その続きの言葉は聞こえなかった。
『あとは私に任せて』
そして、本当に目を覚ましたとき、既にあの日から4日が経っていた。
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