第10話 マリア・スミス


「なんなのあの男ッ! あの小娘も!」


 弁護士マリア・スミスは荒れていた。

 1年半ほど前から自身を雇っている子爵令嬢と、その令嬢に取り入った薄汚い探偵が原因だ。


 そもそもは高位貴族の専属となっている先輩弁護士から紹介された仕事だった。

 そのころ丁度、首都の一流事務所から独立して、故郷に最も近い大都市であるベクトラシティに事務所を構えたばかりのマリアには、メリットの方が大きいと判断してその依頼に飛びついた。


 依頼は「著名な貴族の養子となった娘が天涯孤独となったので、専属の代理人として細々とした処理を行う」というものだ。

 形式上はその娘に雇われているが、後見人となった大貴族の紹介で来ている、という体だ。実際には大貴族寄りの立場だとマリアは考えている。


 また「貴族関連法学を担当する教育係」および「世間知らずの少女の生活のサポート」も、とも言いつかっている。

 どう考えても弁護士の仕事ではないと思える業務が多々含まれていて些か不満はあるが、高い報酬に加えて、高位貴族の伝手ができるのは大きい。

 博士が無くなったペンドルトン家には旨味は無いように思われるが、その養女の後見人の公爵家は権勢も財力も申し分ない。


 これらの仕事の他、娘の生活や人となりを報告するように、とも先輩弁護士から言われている。要は監視である。

 通常の弁護士業務、家庭教師、生活サポート、監視、これらそれぞれに対して報酬は別途出ているのもこの仕事が美味しいと判断した理由だ。


 子爵令嬢、レイン嬢とはベクトラシティのホテルで初めて顔を合わせた。

 レイン嬢は美しい少女だった。

 容姿には少なからず自信があったマリアが、嫉妬の気持ちが湧くのを抑えねばならない程だったが、世間知らずで大人しく、扱いやすい娘だったため、後に厳しく法学の教育を行って溜飲を下げた。


 レイン嬢の泊るホテルは仮住まいだったため、不動産業者に依頼して転居先を探させた。レイン嬢は不動産業者とさかんに話し合っていたが、なかなか気に入る物件が見つからなかったために難航していたようだ。

 新事務所の立ち上げも並行して行っていたマリアは多忙を極めていたため、転居先探しを含めた生活上の細かく面倒な用事は、担当業者か、ホテルの従業員か、後見人がつけていた彼女の護衛の黒服を頼るよう伝えた。


 また、この街には裕福な子息が通う学園があったため、その学園への編入を目指して、マリアを含めた複数の教師がついて学習が開始された。

 少女は非常に賢く素直で、紙が水を吸うようにあらゆる知識を吸収していき、わずか1年ほどで私を含めたほぼ全ての教師から太鼓判を押されるに至った。

 さすがは亡くなった高名なペンドルトン博士の血族だけのことはあると納得させられた。



 問題はレイン嬢が気に入った転居先にあった。

 レイン嬢が選んだのはやや古びた雑居ビルで、正直、趣味を疑ったが、比較的学園に近く、広さは十分にあったため、時間をかけてビルの外観とペントハウスを改装したことにより、子爵令嬢が住むのにまあまあ十分な住居になった。


 ビルを買い取り、通いの家政婦を雇ってレイン嬢の生活の世話はすべて任せ、護衛たちともビル管理を含めた契約に変更した。レイン嬢の資産は貴族であることを考えても驚くような額であったため、経済的な問題は皆無だった。


 先輩弁護士経由で、このビルでの同居と、できる限り毎日最低1度は接触して様子を報告するよう指示され、仕方なくビル内に一室準備させて引っ越した。

 毎朝階段を登り、食事を共にして言葉を交わすのが面倒ではあるが、後見人からの指示では仕方がない。


 入居して数日後、レイン嬢は突然「このビルの新しい大家となったのだから、自ら足を運んで各テナントに挨拶しに行く」と言い出した。

 貴族のすることではない、とマリアは反対したが、彼女は妙に頑なで、自身の考えを押し通した。

 そして、『草薙調査事務所』とかいう零細探偵事務所の、あの地味な東洋人と出会った。



(あれからだ。レイン嬢が妙に生意気になりだしたのは。あの男が何か吹き込んだに違いない)


 遺憾ながら、貴族の方々の一部(あるいは大多数)が性に奔放で『お気に入り』を囲うのは、この国では半ば暗黙の了解になっている。

 なので後見人たるステュアート女公爵に報告を上げても、なんら問題なしと判断されてしまった。

 おまけにそれまで付いていた護衛たちの1人がレイン嬢の美貌に狂って、彼女が危険に曝された挙句、それにあの探偵が適切に対応して高い信頼を勝ち得てしまい、それからレイン嬢の護衛はあの男1人だけになってしまった。

 あんな地味で細い男に令嬢の護衛など務まるわけがないと思っていたのに、ボロは出さないし、レイン嬢はひどく懐いていて、マリアが本業である自分の弁護士事務所に行っている間に、足繫くあの調査事務所に通っているようだ。


 何ならあんな不愛想で地味で気色の悪い東洋人風情が、マリアの視界に映りこむのがそもそも不愉快だ。

 レイン嬢にもあの探偵にも、何度も忠言をくれてやったのに、改まる気配も無い。


(挙句の果てに、私に謝れ? ふざけている! 何様のつもりよ!)


 服飾店から自分の弁護士事務所へ戻り、イライラしながら業務を処理する。

 最後に、作成途中だった先輩弁護士への報告書に、レイン嬢とあの男の、いかにもありそうな醜聞を追記した。

 多少、報告を盛ったところで問題はない。

 信頼がどちらにあるかなど明らかだ。

 高位貴族に目を付けられて理不尽な目に遭うがいい。



 報告書を作り終えてふと気付くと部屋は薄暗くなっていた。

 貴族の通例とセキュリティ上の理由とやらで、メールでの報告は認められておらず、報告書は署名を入れて紙で提出しなければならない。面倒だが明日にでも印刷して投函することにする。


 さすがにもうレイン嬢も家に帰っているだろうが、今日は帰ってレイン嬢の顔を見るのも気分が悪い。

 今日は夕食をともにするのは無しにして、帰るのは深夜で構うまい。たまには外で酒をやるのもいいだろう。あの家政婦が作る料理はおいしいが、毎日食べるには少しカロリーが高すぎる。

 ひとつ息を吐いて椅子の背に身体を預け、スマートフォンで近所の飲食店やバーを検索する。



「仕事は終わったか?」


 急に間近から掛けられた聞き覚えのある低い声に愕然とする。


「クサカベ?!」


 デスクの前の応接セットのソファに、足を組んで腰かけている薄汚い黒コートの探偵、クサカベがそこにいた。

 顔には不気味な笑みが刻まれていて、相変わらず何を考えているのかよく分からない。


「ふ、不法侵入よ!」


 いつ入ってきたのかも、いつから居たのかも分からない。

 得体のしれない恐怖がじわじわと湧いてくる。

 クサカベはマリアの焦った様子に構わず、悠然とした態度で彼女を見つめている。

 おもむろにその口が開き、マリアの訴えを無視して語り始める。


「これまで、お前についてはこの事務所の中も含めて、しっかり調べさせてもらった」


 クサカベは作り物めいた不気味な笑顔を少しも動かさず、懐から手帳を取り出して口を開く。


「6月17日、服飾費、3,000クレイ(※1クレイ=約100円)」


「?!」


 そ、その日付、内訳、金額は………。


「7月25日、教材費、850クレイ。8月3日、遊行費、1,700クレイ。………」


 読み上げられていく、覚えのありすぎる数字。

 思わずデスクから立ち上がったマリアの背中に冷たい汗が滲む。

 まさか私の小遣い稼ぎが把握されている?!


「まだあるが多すぎる。意図も伝わったようだし、次の資料へ行こう」


 手帳のページが捲られ、さらに別の資料とやらが読み上げられる。


「シトラ郡サザンシュラ3-5-B」


 !?

 その住所、は………!


「ヘリオドール郡ハッセルベル5-1-201、及びアセトストリート1-10」


 マリアの両親と兄夫婦の自宅、それに兄が営む料理店の住所………!

 さらに淡々と読み上げられ続ける住所。

 先輩弁護士の事務所、以前勤めていた首都の大手法律事務所、この街の弁護士協会の住所、あとは恐らく新聞社………か………?


「理解できたか? 犯罪者」


 マリアは床に膝からくずおれ、両手で自分の体を強く抱きしめる。

 クサカベは立ち上がり、私の前へゆっくり歩いてきた。


「僕はレイン・ペンドルトンの護衛だ。僕に文句をつける程度なら見過ごしたが………雇い主から金を盗み、虚偽だらけの報告書を提出されて立場を悪くされることから、雇い主を守ることも僕の仕事のうちだと考えている」


 俯くマリアは強い力で前髪を掴まれ、無造作に引き上げられた。

 ブチ、ブチ、と髪が千切れる音と苦痛とともに、無理やり顔を上げさせられる。

 冷たいクサカベの目が間近からマリアを射抜く。


「い、いたいっ………」


「お前の態度次第で、先ほどの住所すべてに適切な資料が送付される。分かるな?」


「………わ、分かった………いたっ!」


「『分かりました』だろう? 立場が上の者には敬語を使う。社会人の常識だ。高学歴の弁護士先生のくせに習わなかったのか?」


 ぎり、とクサカベの手に力が入り、再び髪が指に書き込まれて引っ張られ、痛みが走る。

 冷たくて細い目が、息がかかりそうな距離からマリアを見据える。

 ミント系の香水が微かに香る。


 痛い。

 怖い。


 苦痛と静かな言葉、視線の圧力に気持ちが折られる。

 クサカベは細身だが、見た目から想像していたよりも力が強いようだ。

 これから自分はこの男に何をされるか分からない、と思い知る。

 ここに居るのは、暴力に慣れた男と、弱みを掴まれた弱者だけだ。

 涙が目尻から滲み、歯がかちかちと鳴る。


「わ、分かりました………」


「結構」


 クサカベが私の髪から手を離し、あっさりと顔が離れる。


「僕たちの関係について相互理解が得られたところで、親睦を深めるために世間話でもしようか」


 クサカベがマリアから離れ、またソファに腰を下ろして薄く笑う。

 寒気がする。目の前の男がひどく恐ろしい。この場に居たくない。


「そうだな………ああ、お前の兄には2人、子供がいたな。お前と似た金髪の、まだほんの小さい、可愛い子たちだった」


「?! ま、まさか!」


「店にも顔を出したよ。小鹿のジビエ料理とシチューが絶品だった。ああいう美味い料理を出す田舎の個人店が無くなるのはとても悲しい。そう思わないか?」


 こ、この男は一体、何を言っているの………?


「父君は元庭師だったな。引退後はご自身の家の庭に手腕を振るっているようだ。見事な庭だった。庭の林檎の木から丁寧に実をもいでいたのが母君だろうな」


 父と母の顔が瞼に浮かぶ。その林檎は毎年、今ぐらいの時期に実家から両親が送ってくれるものだ。

 ついに体全体が震えだす。


「一方、世の中では多くの痛ましい事件が起こっている。例えばそうだな、犯罪者が知識を駆使して法に守られていると想像してみよう。その犯罪者は法の番人の側に立ちながら悪事に手を染めているものの、反省など無く法の手は伸びない。ではその犯罪者の被害に遭った人物はどうやって報復するだろう? 本人が無理なら仕方がない。その代わりとばかりに犯罪者の家族が狙われる、とかありそうな話じゃないか? 社会正義の体現たる弁護士の職に就く者には、説くまでもない話か」


 クサカベは両腕を大げさに広げて嘆息する。

 なんだそれは。想像でもなんでもない。誰の話をしているかなんて考えるまでも無い。


「木っ端探偵に過ぎない僕も、多少はそうした事件を減らす手伝いができると信じている。僕と君には手を取り合う余地があると思わないか? 思うよな?」


 クサカベは芝居がかったしぐさで、薄い笑みを私に向ける。


「っ………は、はい、そうですね………」


 マリアは俯き、そう答えるしかなかった。

 仮にこのあと、全ての横領の証拠を隠滅できたところで、もう無駄だと理解させられた。

 理屈や論理ではない。感情によって引き起こされる非合法の報復に対して、負い目のあるマリアが選択できることはあまりに少ない。

 マリアは知らぬうちに、悪魔の尾を踏んでしまったのだ。

 彼と目を合わせる勇気は、もうマリアには、無かった。

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ヴィランを愛する穢れ姫 広晴 @JouleGr

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