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  • 文芸部へのご参加、ありがとうございます。
    古の香り漂う言葉選びと、現代的な「病」という視点が混ざり合い、独自の美学に満ちた和歌の世界を堪能させていただきました。

    ■ 全体を読んでの感想
    「幸福」という蝶が肩を避けて飛び去る一方で、「孤独な恋」という執拗な影が消えずにとどまり続ける。その対比が非常に鮮やかで、切なくも残酷な真理を突いているように感じます。
    特に「訪はで経る(飛ばでふる)」という音の連なりや、意訳にある「何ゆえ然様に去らずして遣って来てしまうのだろうか」という溜息のような問いかけには、ままならない人生に対する深い洞察が込められており、読み終えたあとも胸の奥に一抹の寂寥感が残りました。

    ■ お題「反復法」の活用と技法について
    本作では、お題である「反復法」が、和歌特有の音楽的な韻(いん)として見事に機能しています。

    ・「てふ」の重奏【音のリフレイン】
    「さきてふは」「こてふかたにそ」「とはてふる」「こひてふものは」「なてふさらすや」
    助詞や名詞の一部として繰り返される「てふ」の音が、まるで幾重にも舞い踊る蝶の羽音のように重なり合い、歌全体に幻想的なリズムを与えています。一度きりの使用では得られない「畳みかけるような叙情性」が、この反復によって生まれていました。

    ・掛詞と音の遊び【多層的な反復】
    「訪は(とわ)」と「飛ば(とば)」、あるいは「蝶(てふ)」という音の響きを、意味を変えながら何度も耳に届ける手法。これは言葉を重ねることで、読者の脳内に「胡蝶」の残像を強く焼き付ける、非常に洗練された反復法の形だと感じました。

    ■ 最後に
    「胡蝶が肩に留まることなく飛び去るように」
    反復法というレトリックを、蝶が舞う軌跡や、止まらない時の流れ、そして消えぬ想いの「揺らぎ」として表現された素晴らしい作品をありがとうございました。
    また部室にて、あなたの紡ぐ、時代を超えた深い言葉たちに出会えるのを楽しみにしております。

    作者からの返信

    @naimaze樣

    初めまして、工藤行人と申します。
    此度は拙詠に懇篤なるご感想賜りまして誠に有り難うございました。

    「何を」書くかでなしに「何で(以て)」書くか……先づ以て“言葉の技術”を用いることを旨とするご企画に、「態と歌病に罹患させて詠む」拙集の意図と相通ずる趣向を感じまして参加させて戴きました。

    頂戴しました御評、大変興味深く拝読しております。「〜と云ふ」=伝聞・引用の表現に「胡蝶」の像を重ねました拙詠の、「てふ」のリフレインを和歌特有の音楽的なリスムとしてお汲み取り下さり、又、その他の掛詞にもお眼を留めて下さいました。一点、お詫びなのですけれども、【意訳】を一部変更致しておりますこと何とぞご海容賜りたく存じます(古語を現代語に転写すること如何にも苦手であるようです)。

    にしましても、拙集の紹介文にもございますように、今や文学賞とて例外ではなくなったようです、凡ゆる文事に生成AIの用いられ得る、そう云った科学全盛の時代に古の歌学技術も又、「言葉遊び」と云う新たな装いで甦って来ることありましょうや……引き続き回を重ねられるようですけれども、ご企画はその帰趨を占うものとしてのご意義もあるように個人的には思われます。ご盛況となりますようお祈り申し上げます。

  • 工藤さん、こんにちは。
    前回、コメントのご返信で言及されていたはなむけの和歌ですね。随風・雲・往方・虚空…ととても美しいです。その節はとても嬉しく頂戴いたしました。ありがとうございました。過分なお褒めのお言葉を頂きました私の返歌ですが、『古今集』の壬生忠岑の本歌取りをさせて頂きました。
    風吹けば 峰にわかるる 白雲の 
    絶えてつれなき 君が心か
    このままでは悲恋の歌ですね。ご明察通り、私の頭にはあの崇徳院の有名な
    瀬を早み 岩にせかるる 滝川の
    われても末に 逢はむとぞ思ふ
    がございまして、加えて工藤さんがご執筆中であった「雲隠」にちなみ、『新古今集』にある紫式部の
    めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に
    雲がくれにし 夜半の月かな
    も取り入れたいと思いました。本歌取りは二句までが原則であったはず。
    風吹けば 峰にわかるる 天雲の
    たなびく末に めぐり逢ひたし
    と拙い歌を詠ませて頂きました。覚えていてくださり嬉しかったです。長々と失礼いたしました。

    作者からの返信

    葵樣

    何時もご高覧賜り、此度は先だっての御歌のことまで詳しくご教示下さいまして誠に有り難うございます。

    お料理を口に入れて舌が先ず以て受け取る「美味しい」と云う直感のあってその後に、複層的な組み立ての味の重奏について説明を受けたような、そんな気の致しております。拝読した直後の感動の大濤を更に追い掛けて寄せる繊細な今一つの感動を禁じ得ません。『源氏』や『紫式部集』にも、その歌が如何なる状況で詠まれたのか語られる所謂「歌語り」のあるようですけれども、葵さんのそれも確と堪能させて戴きました。

    峰にわかるる白雲の……そうか、壬生忠岑の本歌取りでしたか。仰るように忠岑の歌では「わかるる白雲」は峰に砕かれて往方も「絶えて」しまいますけれども、御歌は崇徳院の歌も念頭に上句の「天雲」が下句でも消えず往方に靉靆いて雲の流路となり、拙文を気に掛けて下さったところから「雲隠れにし」の式部の歌の「めぐり逢ひ」をも本歌取りする、実にお美事と云う外ありません。と同時に、改めて拝読し直して気付いたことのありまして、それは、私は御歌の素晴らしさに感服したには違いないのですけれども、靉靆きの先に再会を願って流れる雲の紐帯が、宛ら“縁”の続きを暗喩するように思われて純粋に嬉しかったのだとも思われます。現にこうして遣り取りを続けさせて戴いておりますこと大変嬉しく、又、愉しいです。願わくは今後も歌の遣り取りなど折々に、お心の赴かれますならばさせて戴きたく存じます。


  • 編集済

    こんにちは。
    「雲隠」の物語取りとは、眼福です。
    『源氏』の物語取りと云えば、『新古今集』で後鳥羽院の歌がありますね。『源氏』の中にも幾つもの本歌取りをした歌があり、歌に奥行きが出ますし、人物達の教養や洗練された感性によって物語が彩られ、好きな場面です。

    一首め、「(輝く)日のみや(宮)」という言葉が煌めいていますね。でも、隠れるのは紫の雲で。美しくて切なくて優しい世界。
    冷泉院の父母を想う返歌がまた切なく。彼は出自を知ってから苦労が多かったけれども、秋好中宮と穏やかで安定した夫婦生活を送れたところは幸せだったのではないでしょうか。
    源氏の返歌にある影と色の対句も素晴らしく、余情を感じました。

    最近、私も『万葉集』『古今集』『新古今集』を再読しております。いつか私も和歌を詠んで投稿してみようと密かに考えておりまして。
    素敵なひとときをありがとうございました。

    作者からの返信

    葵樣 

    お返事の今に遅うなりまして大変失礼致しました……そして此方もご高覧下さり有り難うございます。

    葵さんに切っ掛けを頂戴してより、「吹く風のあともたまらぬ」はずの私の心の空に「雲隠」は未だぽっかりと浮かんで容易に流れ去ろうとしないようです。思えらく補遺の小考を韜筆するまでは居座り続けることでしょうし、それも又、良いのでしょう。物語取の四首も執筆中の手すさびから生まれたもの、改めて『源氏』の世界の、語弊を懼れずに云えば“魔嬈”に搦め取られているような、倒錯した居心地の良さを感じてすらおります。

    仰るように本歌取にしても、前提となる知識(元ネタ)を共有していなければ機能しない文芸ではあることですから、愉しんで戴くには読み手側の応力も借りねばなりませんね。詠み手としては「巨人の肩の上に立つ」が如き緊張感と安心感とを併せ持つようです。

    葵さんは定めし歌詠みに向いていらっしゃるのではありますまいか。と云いますのも、別処にて暫しお別れの砌に私の方から詠み掛けた歌に、葵さんから頂戴した返しの御歌の何とも秀逸に思われたからです。あれには心撼かされました。崇徳院の「われてもすゑに」を髣髴とさせる御歌であり乍ら、本歌の「岩」「川の流れ」を「山の峰」「雲の流れ」に置き換えられるとは……仮に歌合でしたら屹度〳〵、判者は私の歌でなく葵さんの方をこそ優としたに違いありません。古語にて、現代語にて、ご随意にお詠みになってみては如何でしょうか?

    寒い日の続くようです。万冀保重。乙゛八叉。


  • 編集済

    歌の病、その病態への応援コメント

    面白い試みですね。いろいろ思い当たり、身につまされもします。
    残念なのはコンクールの規定から外れて審査対象外になってしまうかもしれないことでしょうか。

    作者からの返信

    小余綾 樣

    ご興味を寄せて下さいまして有り難うございます。

    最近は漢詩にばかり感けて和歌のほうはとんとしておりませんでしたので、この度のコンクールを好機と見て今一度と思い参加してみたものの、そうか、規定から外れて審査対象外になりそうですね……

    叶いそうなら、今少しく語彙を現代に寄せてもう一首、期間内に別してものしてみても善いかも知れないなどと思いつつ、この『病葉和歌集』でも私の考える「和歌の可能性」を細々とお示しできるよう努めて参ります。ぜひまた覗きにいらして下さいね。