みりょうの言葉

 お師匠さま、緊急事態です。僕は今、何度目かの危機的状況に追い込まれています。現実逃避で大袈裟な比喩を弄んでいる場合ではありません。


 手の中に作り出した幻の赤い蝶がふわりふわりと舞って扉を通り抜け飛んでいくのを横目で辛うじて見送る。

 目の前には豪奢な金糸の衣装ドレスを着た流れる蜜のような金の髪に青い瞳の妖艶な美女。赤い唇を厭らしく歪め、艶冶にしなだれかかる豊満な肉体に鳥肌が止まらない。

 後退る僕の手を思いのほか強い力でガシッと掴み、紗の掛かる天蓋付きの寝台ベッドに引き摺って行こうとしている。


「緊張してるの?可愛いわね。こっちにいらっしゃい」


 こ、これは貞操の危機です!!た、助けてお師匠さまーーー!!


◇◇◇◇◇


 満月の晩を前に始まった嫁取り合戦で、ヴォジャ (老人)は順調に勝ち進んだ。むしろ順調すぎるほどだった。

 病を押して参加している王の手前、無理難題を出しているようでいて、歌姫としてはさっさと嫁に出してしまいたい気持ちの方が強いのか試練もかなりゆるい。

 先日の料理対決では代理で出たマイノが優勝していたし、姫に献上する飾り物の細工に関してはお師匠さまが助言してなかなか良いものを作っていた。


 多く得点を稼いだ者が勝つ。協力者は3人選べるのだから、武に自信の無い者は武人の代理を立てれば良いし、知恵に自信の無い者は賢人を代理に立てれば良い。それらを雇う金の無い者が先に脱落していく。


 結局財力ってこと?世知辛いなあ……。

 闘技場を見下ろす王族専用の特等席で姫様の隣に従者として立ち、アデーレがものすごく遠い場所にある的のど真ん中を射抜くのをぼんやり見ていた。

 その日の課題は的当てで、どれだけ正確に矢を射ることが出来るかを競うものだった。

 あー、うん。そうだよね。鷹は目が良いもんね。その気になれば数十キロ先の蠅の目も射貫けるって言ってたよね。今日の勝者はヴォジャ (代理・アデーレ)かなあ。


 姫様は鉄壁の無表情で試合を見ていたけど、握り締めた拳が興奮を物語っていた。王はというと、老人が順調に勝ち進んでいるのを見て複雑な表情を浮かべていたし、歌姫は隠し切れない愉悦を滲ませてニヤニヤしていた。

 いや、姫様喜んでるからね?


「ねえ、そこのあなた。蜜酒を持ってきてくれないかしら?」


 僕を手招きするのは歌姫。鈴を転がすような美しい声なのに、何故か嫌な空気が付きまとう。

 僕は役に徹して酒の入った壷を持ってしずしずと歩み寄った。差し出される杯に酒を注ごうとすると、視線が僕の全身に絡みつくような気がしてぞっとした。


「見ない顔ね。新入りなの?名前は?」

『………』

「お義母さま。彼は口が利けないのです。秘密のお話をするのにちょうどいいわ」

「あら、あなたもお年頃なのね。この綺麗な子にさぞ素敵なお話を聞かせてあげているのでしょう。私も秘密のお話とやらを聞いてみたいわね」

「まあ、他愛もないことですのよ。お義母さまにお聞かせするような大層なお話ではありませんわ」

「おほほほほほ」

「おほほほほほ」


 こわい、女の闘いこわい…。扇で隠しているけれど、2人とも目が笑ってない。微笑ましそうに見てる王様何も気づかないの?

 ヒヤヒヤしながら見守っていると、するりと手の甲を撫でられて、鳥肌が立つ。扇に隠した口元を僕に寄せて、歌姫が囁く。


「子守唄を歌ってあげるわ。あとで私のお部屋にいらっしゃい」


 ひい。子守唄なんて聞く年じゃないよ!僕がおたおたしていると、姫様が不穏な気配に気付いて助け舟を出してくれた。


「お義母様、わたくしの従者を困らせないでくださる?レピ、お酒のお代わりを貰ってらっしゃい」


 僕は慌てて頭を下げてその場を逃げ出した。あとでまとめて全員に連絡しないとなあ。身の危険を感じる。


 お城の長い回廊を、マイノがいる厨房に向けて歩いていると、どこからかか細い歌声が聞こえてきた。多分見えざる者の声だ。

 おかしなことに、この城にいる精霊や妖精は、何かに怯えているように陰に潜んで出てこない。よほどの魔力を持つ者でなければその姿や声を感知できないほどだ。


"カーカス・ウトゥコ

カーカス・ウトゥコ

今日は金色

明日は緑

美しいものは隠しておいて

みんな盗られてしまうから"


 謎かけのような歌声に耳を澄ませ、聞いたばかりの歌詞の内容を伝令用の青い蝶に乗せる。意味は分からなくてもここで見聞きしたものは皆で共有する必要がある。


 どういう意味なんだろう?考え事をしながら歩いていて、僕は後ろから近づいた気配に気づかなかった。腕を掴まれ驚いた時には、既に部屋の中に引き摺り込まれた後だった。


『………!!』

「ふふふ。どうしたの?そんなに驚いた顔をして。後でいらっしゃいって言ったでしょう?」


 歌姫のねっとりした声色が耳に忍び込む。涼やかで美しいはずなのに酷く気持ちが悪い。何かに頭の中を掻き回されているような感覚が襲う。

 コレハ危険ダ。何かに引っ張られる感覚に抗って、僕はそっと手の中に赤い蝶を作り出した。念を込めて後ろ手に指を鳴らし、蝶が扉を通り抜け飛んでいくのを横目に確認する。


「子守唄を歌ってあげるわ。緊張しているの?可愛いわね。こっちにいらっしゃい」


 思いのほか強い力で、とはいっても振り払えるくらいの女の力であるにも拘らず、僕の体は彼女の意のままに引っ張られ、あっという間に寝台の上に押し倒された。

 コノ声ヲ聞イテハ駄目ダ。コノ眼を見テハイケナイ。僕は本能の警告に従って唇を強く引き結んだ。でも身体の自由は利かずに女にのしかかられるままとなる。解けた長い蜜色の髪が檻のように視界を奪う。

 

「あら、あたしの『魅了』が効かないなんて……魔力が強いのかしら?あなた人間じゃないわね?」

『………』

「まったく忌々しいわ、あの小娘。こそこそと何を企んでるのかしら」

『………』

「まあ、いいわ。こんな美味しそうな子、魔力ごと喰っちまおう」


 にたり、と笑った毒々しく赤い唇が、僕に近づいてくる。ああ、魔女だ。この口調、覚えがある。


 そうじゃなくて!助けて!お師匠さま!これは命の、というか貞操の危機!?どっち!?どっちも!?

 吸いつくされて干乾びた自分の姿が浮かんできつく目を閉じた時だった。



ドゴォォォォォオオオオオン!!!



 固く閉ざされた重厚な木の扉が、耳をつんざく爆音と共に吹き飛んだ。濛々と立ち込める埃や木っ端の中から現れたのは、紅い髪を逆立てて、怒りに真っ赤に染まったお師匠さま!

 腰に手を当て真っ直ぐ立った彼女は、歌姫に向かってビシィッと指を突き付けた。


「うちの子に何してくれてんの!!変容の、いや、邪眼の魔女!!!」

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