しずむ言葉

 風光明媚な緑の山々に囲まれた、湖水地方のヌンドガウ。小国だが王の治めるこの国は、碧く美しい湖沼が点在し、自然が豊かな場所だ。

 僕らはここを最終的な目的地である隠れ里への足掛かりに寄るだけのつもりだった。


 それがどうしてか、僕らは沼地の真ん中で、一歩ごとにずぶりずぶりと沈んでいく足場をどうにかしようと藻掻いていた。

 例によって魔法使いが「近道しようぜ」と適当なことを言って、めんどくさがりのお師匠さまも「いいね」なんて乗ったばかりに、ずぶずぶのどろどろになっているという訳だ。

 故郷に帰るのはもちろんだが、もしかしたら花の食べ方のヒントも残っているかもしれないと、多少気が急いていたこともある。


「ちょっと、この道本当に合ってるの!?」

「あー、多分?」

「多分てなんだよ!おっさん!」

「魔法使い殿!なんとかしてください!」


 なんだかみんな軽くパニックだ。藻掻けば藻掻くほど沈むので、僕はなるべく動かないようにしながら辺りを見回した。

 日当たりの悪い沼地には、捻じくれた幹の木々が生い茂り、じめじめした空気に拍車をかけていた。辺りは澱んだ気配が漂い、清浄な空気を好む精霊の姿もほとんど見つからない。


「レピ、ちょっとだけ地面乾燥させて」


 お師匠さまに言われた僕は指を鳴らして周辺の地面だけ乾燥させた。火と風を操れば多少水分が抜ける。

 全部乾燥させちゃうと魚とか生きていけないから、時間稼ぎに少しだけね。とりあえずどっちに進むか決めないと。


 全員がその小さな空き地に足を降ろしてほっと一息ついた。沼地を抜ける時にまたどろどろになってしまうので、とりあえず衣類や荷物を乾燥させるだけにとどめる。

 お師匠さまは地図を広げ白い頬をぷくっと膨らませて魔法使いを睨んだ。


「それで?どうするの?完全に道に迷ってるよね?」

「んー、そうだな」

「ここどの辺なの?」

「ここはぁ、ゼユ沼だよぉ」

「ふーん、ゼユ沼って言うと都の東の方ね。全然方角違うじゃない!」

『あの、お師匠さま……』


 僕は一心不乱に地図を覗き込むお師匠さまに恐る恐る声をかけた。異常事態発生ですよ。そっと肩に手をかけて揺する。


「んー、ちょっと待って、レピ。今調べてるから」

「道に迷ってるのぉ?」

「そうよ。見れば分かるでしょ」

『お師匠さま!』

「出口教えてあげようかぁ?」

「え?何?きゃああああああああああ!!」


 ようやく気付いたお師匠さまは、そいつの姿を見て悲鳴を上げた。いつの間にか僕らの輪の中に入り込んでいたそいつは、湿った髪を掻き上げて「ぬるん」としか言いようのない笑みを浮かべていた。


 少し緑がかった髪と皮膚、ぎょろりとした大きな水色の目と、雑に切込みを入れたような大きな口。猫背な体にボロボロの服を纏い、「やあ」と緊張感もなく上げた手の間には水掻きがはっきり残っていた。

 マイノとディルは武器を構えて僕らとそいつの間に立った。


「なんだお前!誰だ!?」

「オイラァ?ヴォジャだよぉ」

「どっから湧いて出た!」

「あんたらが勝手にオイラの家の前で話してるんじゃないかぁ」


 言われてみれば、粗末な草葺きの小屋みたいなものが沼地の木の下に建っている。あまりに周りと同化していて気付かなかった。

 気を取り直した魔法使いがヴォジャの顔をしげしげと観察しながら尋ねた。


「えーと、ヴォジャ?珍しい種族だね?カエル?」

「うん。まあねぇ。今はこの姿」

「今は?」

「オイラが決めたんじゃないよぉ」

「ふーん……良く分からんが……。道案内できる?都の近くまで行きたいんだ」

「都に行くの?じゃぁオイラも姫さんのとこまで行くよぉ」

「姫さん?」

「ついておいでよぉ」


 マイペースなヴォジャはぺたぺた歩きながら勝手にみんなを先導する。歩きながら独特な語り口調でこの国のことを話し始めた。


 この国を治める王様には、最初の妃との間に生まれた美しい姫が一人いた。長い金の髪と湖水を写し取ったような青い瞳、薔薇色の唇、ひとたび微笑めば誰もが姫に魅了された。

 王は妃亡き後、姫を大切にしていたが、ある年この国に美しい歌姫が訪れた。流れる蜜のような金の髪、星を宿した青い瞳、金の竪琴が奏でる調べよりも美しい声で歌い、たちまち王を虜にした。

 王は歌姫を娶り、しばらくは幸せに暮らしていたが、やがて病を得て臥せりがちになってしまった。歌姫は嘆き悲しみ国中の医者を集めたが、王の病が回復する様子はない。姫と共に献身的に看病し、時に無聊ぶりょうを慰めるために歌うその姿は周りの者の涙を誘った。

 

「ああ、俺も聞いたことはあるな。この国の妃は美しい歌姫だって」

「でもあの女はさぁ、とんでもなく性悪だってことオイラは知ってるよぉ」

「そうなの?どうしてあなたがそんなこと知ってるの?」


 お師匠さまの問いに、ヴォジャはぴたりと足を止めて振り向いた。例の「ぬるん」とした笑みを浮かべ、水掻きの目立つ指で自分を指さした。


「オイラをこの姿に変えたのはあの女だからだよぉ」

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