たびだちの言葉

「旅に出るぞ」


 数年音沙汰のなかった大男は、再び気配もなく訪れて、まるで明日買い物に行くぞと言うような気軽さでもって、僕に言った。


 僕がもし冒険心に溢れた少年だったら、一も二もなく頷いて、裸足で外に飛び出したかもしれないが、生憎その時の僕は薬草を磨り潰す手伝いをしていて、しかも全く外の世界には興味がなかった。


 お師匠さまは、薬草で汚れた指先をエプロンで拭って、無遠慮な男に胡乱な眼差しを向けた。


「ちょっと、どういうこと?」

「レピの故郷が見つかったかもしれない」

「ほんと!?」


◇◇◇◇◇


 男の話はこうだ。


 あちらこちらの町や村を渡り歩き、人間の里に住む獣人達を見つけ出した彼は、時に情報を渡し、時に高価な代償を払って、どうにかこうにか彼らとの繋がりを得た。

 魔法で護られた道と、深い森、高い山脈の頂きにあるという、彼らの真の故郷とも言うべき隠れ里。獣の王国を統べていたその国は、ある日忽然と歴史から姿を消し、その後の消息は杳として知れなかった。


 しかし偶然にもその場所に足を踏み入れた一人の盗人が、そこから盗み出したお宝を自慢げに見せびらかして武勇伝を吹聴していたことから、散り散りになって暮らしていた獣達の耳目を集めた。

 

 盗人はケチな酒場でジョッキを掲げながら、周りの酔っ払い達に大きなダミ声で陽気な与太話を披露していた。

 手にしていたのは金の冠。編み上げた細い金細工に、煌びやかな青い石の嵌った凝った意匠。


「―――でよお、俺たちゃ褒美に王様の宝物庫から好きなだけお宝を持ってっていいって言われたのさ。お陰で今じゃ左団扇よ」

「嘘つくな!それだってどうせその辺から盗んできた紛い物だろうよ」

「そうだ、そんな大金持ちがそんな襤褸着てこんなところでクダ巻いてるわけねえだろう」

「ほんとだって!なんならその場所に連れてってやってもいいぜ」

「てめえのことなんざ信用できるかよ!」

「そうだそうだ」


 盗人は顔を真っ赤にして怒っていたが、誰にも相手にされないと分かると、すごすごと酒場の外に出た。ボリボリと背中を掻いていたが、どうにも痒い所に手が届かないらしくしきりに身を捩っている。

 その後をこっそりつける者がいた。ローブを目深に被った男は、足音もなく忍び寄り、誰もいない路地裏に差し掛かると、盗人の背後から襲い掛かって、あっという間に組み敷いた。


「だ、誰だ、てめえは!」

「さっきの話、詳しく聞こうか」

「お、あんちゃん、あの話に興味があんのかい?」

「ああ、お前が持っていた物は子供の頃に見たことがある。褒美に貰ったというのは嘘だな。あの場所には誰もいないはずだ」

「そこまで知ってんなら話は早い。一緒に行かねえか?今は手元にこれだけしか残ってないが、まだまだお宝はたんまりある。どうしてもたどり着けないから捜索隊を組もうと思ってたんだ。見つけたら宝は山分けだぜ」

「そんな物はいらん。それはいつか現れる正当な後継者に渡るべきものだ。お前ごときが………」

「な、なんだお前、目が、ひいいいい!!」


 ローブに隠されていた眼が赤く光り、口元に獣の鋭い牙が覗いた。怯える盗人の喉笛を今まさに噛み千切ろうとしたその時に、止めに入る者がいた―――。


◇◇◇◇◇


「それが俺さまって訳よ~。お前らが森で爆発してる間に人助けして情報集めて獣人と友達になって大活躍じゃねえ?」


 聚合の魔法使いは緊張感のない軽い口調で言った。

 どこまで話を盛ったのか疑い深く眺めていたが、おしゃべりの好きな男は気にする素振りもなく、話を続けた。


「それでその後、話をしてるうちに、その盗人がお前を攫った奴だって気付いてな。前に会った時は羽振りも良かったが、今はずいぶん落ちぶれてたから最初気付かなかった。金が底を尽きて焦ってたんだろうな」

「あいつ、まだ諦めてなかったのね。指全部もいでやれば良かった」

「まあ、そう言うな。あいつのお陰で手掛かりに辿り着いたんだから」

『どういうこと?』


 僕が首を傾げて先を促すと、魔法使いはニヤニヤしながらもったいぶって髭を撫でた。あー、こういうとこ本当にいらいらする。早く話せ。


「あいつを襲った奴が狼の獣人だったんだ。いくらあんなんでも街中で人を襲うのはまずい。他の仲間にも迷惑がかかるぞって説得して、盗人には洗いざらい吐かせた。最初は獣人に警戒されて話聞くのに時間かかったけどな」

「そんなの魔法使っちゃえばいいじゃない」

「馬鹿、お前、獣人てのは魔力強い奴が多くてなかなか魔法効かねえの知ってるだろ。レピはまあ、子供だったし色々奪われてるから案外チョロいけど」

「この私が教えた弟子に失礼なこと言わないでよ。最近じゃそんなこと言ってられないんだからね」

「へええ」


 男は目を細めて僕を見た。チョロいと思われていたのは心外だが、僕だっていつまでも小さな子供ではない。

 魔力=精神力とするならば、それが多ければ多いほど精神に作用する魔法には強いとお師匠さまが読ませてくれた書物にも書いてあった。


「情報交換するうちに、レピのことも徐々に伝えてみたんだが、その隠れ里とお前が元居た場所の特徴が一致するらしいんだ」

「そうなの?」

「……ああ、だから」


 行って確かめようと言うのか。僕は首を横に振った。今でも十分幸せなのに、自分から危険に飛び込む必要はない。


「お宝もらい放題」

『いらない』

「他の仲間にも会えるぞ。興味ない?」

『ない』

「呪いが解ければ言いたいこともちゃんと声に出して言えるぜ?炎の花の情報も掴んでんだけどな」

『!!』


 本当にこいつは嫌な奴だ。最初に興味なさそうなことを振っておき、最後に切り札を出して揺さぶってくるのだ。僕の望みなど誰にも明かしたことはないのに。


 僕は唇を噛んで後退った。魔法使いの術が掛けられている訳でもないのに、頭の中がぐちゃぐちゃに掻き回されている気がした。

 僕は男にもお師匠さまにも背を向けて、作業場から逃げ出した。


「レピ!レピ!」


 木立の間を走り抜ける僕の背に、お師匠さまの声が追いかけてくる。


 このままでいたい。声を取り戻したい。矛盾する思いが胸の内でせめぎ合い、どうしていいか分からない。

 このままでいい訳ないのは分かっている。いちいち動揺する自分が情けない。

 

「レピ!止まりなさい!」


 ようやく足を止めた僕の背後に、息を弾ませたお師匠さまが追い付いた。魔法で飛べばいいのに、と少し笑ってしまう。

 自分よりも背の高くなった僕の背後からぶつかるように抱きついて、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。


「………レピ。必要なことは全部教えたわ………若者が一生に一度は迎える旅立ちの時が来たの。失敗することなんて考えずに、今、行きなさい。師匠の命令よ」


 別に失敗など恐れてはいない。どんなにこの平和な世界から出て行きたくなくても、目に見えない力のようなものが僕らを動かしてしまう。

 それは悪戯な神や精霊の気まぐれかもしれないし、抗いがたい運命の強制力かもしれなかったが、僕にとってはどうでもいいことだった。


『ずっとそばにいたい』


 そう伝える声が欲しい。僕は矛盾だらけだ。

 後ろから抱きついているお師匠さまには聞こえていないし口の動きだって見えていない。

 僕は、僕を抱き締める温かい腕を振りほどくことも出来ずに、堪えきれなかった涙を一粒零した。

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