第5話 深淵の王子様、お茶を嗜む
家庭科室には、紅茶の甘い香りが漂い、焼き菓子をかみ砕く小気味の良い音が響いている。
突然、何の関わりもない紅茶部の——しかも黒一点のお茶会に招待されてしまった壮馬は、膝の上に手を置いて、硬直しているようだった。安奈は面白そうに壮馬に話しかけ、唯はちらちらと彼の様子を窺っている。安奈が相手の反応も確かめずに浴びせ続ける言葉のシャワーと、女子たちからの遠慮のない視線で、壮馬は出されたお茶に手を付けようともしない。ただ、ひたすらに「あ、その」とか「いや、そんなことは」などの曖昧な返答でその場を切り抜けようとしていた。
少し意外だった。鈴乃の知る壮馬は、いつも余裕を持っていて、どこか人を見透かしたような目をしていた。何を考えているかわからず、ミステリアスな雰囲気すらあった。
だが、今目の前にいる男の子は、年相応、否、それよりも幼く見える。場違いな空間にひょいっと投げ込まれ、戸惑いを隠せない男の子。しかも、人との会話が苦手なのに、おしゃべりな女の子の相手をすることになってしまった、見るも哀れな状況である。
(何だか、不憫……でも……かわいいかも)
普段と違う壮馬の姿に、鈴乃はそう思った。
でも、さすがに目を回して倒れそうな彼の様子を見て、助け舟を出すことにした。
「あやちゃん、あっちの机に移動して良い? 神谷くんに部活のこと話したくて」
彩香は顔を縦に振る。残念そうな安奈と唯を尻目に、鈴乃は壮馬を促して立ち上がらせる。壮馬は疲れ切った者のようにのろのろと鈴乃の後に続いた。中央の机を使っている彩香たちから離れ、ドア付近の席に移動する。
向かい合わせに座ると、鈴乃は小声で謝罪した。無理矢理、誘ってしまって申し訳ないと。彼にとっては酷く緊張を強いられる事態に違いない。
「いや、むしろお誘いありがとう、と……言いたいところなんだけど、こういうこと苦手で。うまく話せなくてごめんね」
「謝ることなんてないよ!」
「でも、神崎さんの大切な友達でしょう。態度が悪くてごめん」
俯いて、心細そうにしている壮馬に、鈴乃は安心させようと笑いかけた。
「とりあえず、部活の説明しちゃうね」
鈴乃が部活の説明を始めると、次第に壮馬も緊張が解けたのか、ようやくいつも見せるような優しい表情に戻った。
それを遠くから見つめる安奈と唯は声を出さずに目で合図しあって会話する。つい一時間前に初めて話した者同士とは思えないほど通じ合っていた。その姿を横目に、彩香があからさまなため息をつく。
「じゃあ、これで大丈夫かな。あとは、部室案内だね。今日は金曜日だから、来週の月曜日に先輩にも挨拶しよう! 予定は大丈夫?」
鈴乃が一通り説明を終えてから聞くと、壮馬は心なしか緊張した面持ちで頷いた。
彼女が小首をかしげると、彼はそれを察したのか、ぼそっと呟く。
「部長さんに挨拶するの、緊張するなって」
下を向いた壮馬の姿が何だか可愛らしく感じて、鈴乃はくすっと笑った。
「大丈夫、三上部長は緊張を解きほぐしてくれるタイプに人だから」
茶会が終わり、食器洗いや簡単な清掃をしているとき、鈴乃は壮馬のことが少しわかった気がした。
興味津々の安奈に纏わりつかれながら、必死で机を拭き続ける壮馬。
今までの自分への異常な距離の近さと、安奈たちへの過剰なほどの拒絶感。
これは同じものなのだ、と。
彼は人との交流をせず、ひとりで過ごすうちに、高校一年生になってしまったのだ。だから、人との丁度良い距離感なるものを、未だに掴み切れていないのだ。
(私、何かお手伝いできないかな……)
鈴乃は教室の片隅でぽつんと一人でいる子や、みんなから煙たがれているような子を放っておけない質で、今までも何度かそういった子たちがクラスに馴染めるようにと、積極的に話しかけたり、あだ名をつけたり、気が合いそうな子と引き合わせてりしてきた。
人によっては、余計なお世話、お節介と言われてしまうだろうが、どうしても放っておけないのだ。
だから、唯の話を聞いて、壮馬もそういう子の一人であったことに気が付いた。
高校生にもなると、机で一人本を読んでいる人など珍しくない。あまり人と馴れ合わない人もいる。ゆえに、壮馬もそういう人間の一人だと思っていた。だが、中学時代の壮馬の話を聞いて、もしかしたら声を掛けられるのを待っていたのではないかと思ったのだ。ただ単に一人が好きなだけかもしれない。だけど、自分に話し掛けてくる彼は、孤独を愛しているようには見えないのだ。
(神谷君の笑顔って素敵だし、みんなと仲良くできたら、すぐ人気者になっちゃいそう)
それは少し寂しいかもと思う自分にはっとして、頭を振ってその考えを蹴散らした。
全ての片付けを終え、五人は駅まで向かって歩いていた。星ヶ丘高校から最寄りの山ノ手駅まではいろは坂には及びもつかないが、くねくねの下り坂で、空を遮るはずの住宅等の建物は、概ね眼下に広がっている。そのため、空との間に邪魔立てする無粋なものがなく、夕焼けの赤い光が酷く眩しく感じられた。
前列に、安奈、壮馬、唯。その後に少し間を開けて、彩香と鈴乃が続くかたちで下校していた。相変わらず安奈は壮馬に話し掛け続け、唯はその様子を横目でちらっと窺うというパターンができあがっている。壮馬は少し戸惑っていたが、さすがに安奈のマシンガントークに慣れてきたのか、それなりの相槌をうっていた。家庭科室では、彼女たちから異常なほど距離を置こうとしていたのに、今の壮馬は二人の女子と適度な距離を保ちつつ歩いている。
(……ん?)
何だか違和感がある。安奈と唯に対する距離感、これはごく自然な男子高生の距離感だ。離れすぎず、近すぎずの、いわゆる丁度良い距離感である。
鈴乃は今まであった壮馬とのやりとりを思い返す。
とにかく話し掛けてくるとき距離が近い、顔が近い。平気で頭に手を乗せてくる。思い出すと、顔が真っ赤になった。顔色の誤魔化せる夕日の下で良かったと思っていると、
「どうした? すず」
隣を歩く彩香が怪訝な顔をした。
「いや、何でもないよ」
鈴乃はぶんぶん頭を振る。
ふと壮馬の態度が違うのは自分に対してだけなのではという考えが浮かんできて、とんでもないと、とっさにぶんぶん頭を振った。否、さっき結論は出たのだ。彼の異様な距離感は、人慣れしてないからに相違ないはずだ。
「大丈夫?」
彩香が心配そうに鈴乃の顔を覗き込んだ。
「……神谷くん、私のことどう思っているのかな」
視線を逸らして呟く鈴乃を見て、彩香はわずかに眉を上げて前を向いた。
「本人に聞いてみれば?」
「そんなの無理だよっ‼」
鈴乃は反射的に叫んでしまった。
前の三人が振り返る。
「すずちゃん、どしたー?」
「なんでもない!」
鈴乃はガードレール越しに、坂の下の街を見下ろした。
夕日で赤く染まった街はとても綺麗で、胸が痛くなる。
前を向くと、壮馬の後ろ姿が見える。左肩に鞄を、右腕に脱いだ学らんを掛けている。
時折、安奈を見下ろし、一言二言答える。その姿を見て、きゅっと胸が締め付けられた気がした。
駅に着くと、改札を通り、壮馬は向かって右側の上り階段を指さした。
「僕はこっちだから。今日はありがとう」
改札を出ると、目の前にすぐホームに繋がる階段があり、真ん中にトイレを挟んで、左側が下り電車である終点の中舟駅行き、右側が上り電車で東京方面になっている。壮馬は上りを使っているようだ。
「そうそう、すずちゃんはね、髪の短いさわやか男子が好きなんだよ!」
突然、安奈が爆弾を投下したので、鈴乃はとっさに彼女の口を塞ぐ。
安奈は突然のことに大きな目をぱちくりさせて、肩越しに鈴乃を振り返る。
「何でもないから‼ 気をつけて帰ってね!」
鈴乃は慌てて取り繕った。
壮馬は、自分の髪に手をやって、一気に表情を曇らせる。
「髪か……」
そう呟きながら、明らかにテンションが下がったまま、階段を昇って行ってしまった。
「ショック受けてたね! やっぱり、すずちゃんに好かれたいんだねえ‼」
緩んだ鈴乃の手から逃れ、安奈は嬉しそうに飛び跳ねている。
「何だか、よくわからない人だったね」
彩香は前髪のピンを付け直しながら息を吐いた。
四人は下りホームの階段を上っていく。すぐ上り電車の到着を知らせるアナウンスがかかった。
反対側のホームには、真ん中より少し階段寄りの場所に壮馬が立っていた。どこか気が重そうに肩を落とし、髪を触っている。鈴乃たちの姿には気づいていないようだった。
電車が滑り込んで来た。大きなブゥーン、ガタンゴトンガタンと音が続いて、電車が定位置に停まる。壮馬は乗り込んで、窓辺に立っていた。電車がゆっくり動き出して、壮馬の乗った車両が反対側の下りホームにいる鈴乃たちの前を通り過ぎる。
そのたった一瞬、いつも前髪で隠れている壮馬の瞳が、鈴乃を捉えたのがわかった。無造作に前髪を掻き上げていたので、はじめて彼の素顔を見た。
(うわあ……王子様みたい)
前髪で隠されていても、鳥の巣無造作ヘアでも、壮馬が格好良いことはわかっていたし、顔が綺麗なことも知っていた。いくら目元を隠していても、目が完全に隠れているわけではないし、普段から鼻筋や口元は見えているので、整った顔立ちだということはとっくに知れていた。でも、それとは別次元だと感じた。端正で、かつ、透き通るような色白での肌。どこか優し気で、それでいて憂いを含んだ瞳。この世のものとは思われぬほどの美しさを備えており、実に綺麗だった。
その時はじめて、鈴乃は《深淵の王子様》の名前の由来に納得したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます