第13話
夕食はカレーだった。僕が普段家で食べている母さんのカレーとの違いが全く分からなくて、この世界の深愛が本当に家族ぐるみでの付き合いをしていることを実感する。昼飯抜きの空腹もいいスパイスになっていて、ぱくぱくとスプーンが進む。
「美味しい?」
僕の目をじっと見つめてそう聞いてくる深愛。僕は気恥ずかしさを覚えながらも、率直な本音を口にした。
「……美味しいよ」
「良かった」
そう言って微笑む深愛の顔は元の世界で見てきた笑顔とは少し違う、恋人だけに向ける笑顔で、それを受け取った僕の心臓は普段より心拍数を上げた。
もしかすると僕の頬は赤くなっているかもしれないが、それはきっとカレーの辛さのせいだけじゃないと思う。
カレーを食べながら僕の顔を見つめていた深愛だったが、何かを思い出したようにスプーンを持つ右手を止めた。
「あ、そうだ。明日ちゃんと予定空けてる?」
「明日? ……なんだっけ、日曜日だったよね」
そういえば、元の世界の深愛も日曜がどうのとか言ってたな。
「あー、もうっ! やっぱり忘れてる。夏祭りだよ。一緒に行こうねって言ったじゃん」
「そう……だったね。大丈夫、空けてるよ」
本当は空けているかどうかなんて僕にはわからないが、まあ大丈夫だろう。夏祭りか、そう言えば少し離れたところにある八幡宮でこれくらいの時期に大規模なお祭りがやってたな。
「毎年行ってるんだからそろそろ覚えてよね」
「……うん」
そこはかとない居心地の悪さを感じながらも深愛と二人で他愛無い雑談を挟みながら食べ進めて行き、しばらくして最後の一口を口の中に掻き込む。
「ごちそうさまでした」
元の世界での僕はここ数日外食や弁当ばかりだったから、タイムリープのことをすっかり忘れて久々に食べれる温かい料理を堪能してしまった。
「お粗末様でした。じゃ、洗い物はお願いね」
そう言いながら流し台に食器を片付けた深愛は、冷凍庫からチューブアイスを取り、リビングのⅬ字ソファーに腰を下ろした。リモコンを操作し、毎週この時間にやっている音楽番組を見始める。
まるでここが自分の家かのような所作でくつろいでいる。深愛のこういう部分を見るのは初めてで少し驚く子どもの頃に一度深愛を招いた時は借りてきた猫のような状態になっていた覚えがあるからなおのことだ。
でもこれはこの世界の深愛がズボラだというわけではなく、この家を自分の家と思えるくらいに入り浸ってるからなんだろう。
僕と深愛の食べた後の食器を洗っていると、まるで僕らが熟練夫婦のようにすら感じられる。きっとこの世界の僕にとって、この風景はそんなことを疑問にすら思わないほど当たり前なことなんだろう。
全然現実感がない。もしかするとこの世界で死ぬまで生きていかなければならないのに、空想上の世界にように感じられてしまった。
僕は泡だらけになった食器を一枚一枚すすぎながら、深愛にどう話しかけるかタイミングを計っていた。この世界で生きるにしろ、そうでないにしろ深愛に聞いておかなければならないことがひとつあった。
深愛が眺めていた音楽番組がCMに入ったところで、何気ないように装って僕は深愛に問いかける。
「深愛はさ、僕のどういうところが好きになったの?」
この世界でそれを聞くのはちょっと卑怯かとも思ったけれど、聞いておかなければまた選択を間違えそうな気がした。自分のことを好きな女の子の気持ちをよく知らないまま付き合い続けるというのは不誠実なことだと思ったから。
「突然どうしたの?」
深愛はソファーでゴロゴロしてテレビを見ながら吸っていたチューブアイスを一気に食べきる。ゴミを捨てながら体をひねってこちらを振り返った深愛は、きょとんとしていた。
「いや、ちょっと最近自分に自信がなくなってさ」
恋人に自分の好きなところを聞く、なんて経験はしたことがなかったからどう言い繕えばいいかわからなかった。だから本当のことは言わないまま、本音を告げた。実際、僕は葵のことも深愛のことも、そして僕自身のことさえよく理解してなかったということをこの一日で身に染みて実感させられて、自分の認知に自信がなくなってしまっていた。
正直なところ、僕は自分が深愛に好きになってもらえるところも全然ピンと来てない。
それこそ小五の頃は葵と二人で行動していたから、あの時期の深愛に何か僕のことを好きになる要素があったとは思えないし、深愛と出会ってから僕が惚れられるようなことをした覚えもない。
だからあの時深愛が僕に告白してきたのは全くの想定外で、これからの僕の動き方に明確に関わってくることだった。
「翔ちゃん、あたしと初めて会った時のこと、覚えてる?」
僕の疑問に対し、深愛は静かな声で僕に質問を返してきた。深愛との出会い、正直あんまりよく覚えていないけれど確か――
「……小二で同じクラスになった時?」
「ぶぶー」
「じゃあ、いつ?」
「……ちょっと関係ない話するね」
深愛は僕の問いには答えず、そう言った。
「あたしはさ、小さい時は今よりも引っ込み思案でお母さんとお父さん以外の人とはまともに話すこともできなかった。それは同い年の子でも同じ」
意外だった。少なくとも深愛と出会った時、深愛は僕がちょっと面倒に思うくらいに僕にいろいろ話しかけてきていたから。どこか本音を隠しているようなところは感じていたけれど、引っ込み思案という印象を覚えたことはなかったように思う。
「だから遊ぶ時もひとりだったし、たまに声を掛けてくれる子がいてもまともに返事もできないあたしとずっと一緒に遊んでくれる子なんていなかった」
食器をすすぎ終えた僕は、手を拭いた後に深愛が座っているⅬ字ソファのはす向かいにに腰掛けた。
「うちはあたしが小学二年生の頃にお母さんが亡くなっているじゃない?」
そう深愛が静かに語り出した。深愛のお母さんのこと自体は知ってはいたけれど、僕が深愛と仲良くなった頃には既に亡くなっていたので実際に会ったことはなかった。
「あたし、最近はお母さんのことをあんまり思い出せなくなってるんだけど、でも一つだけしっかり覚えていることがあって。それが家の庭でお花の世話をするお母さんの姿」
「……お母さんも、花が好きだったの?」
「うん……というか、あたしがお花が好きになったのはたぶんお母さんの影響。うちの家は仕事で忙しいお父さんが、お花好きなお母さんのために色んなお花が育てられるように大きな庭をプレゼントしたくて買ったんだって」
おかげでちょっと近所にお花が綺麗なおうちって知られちゃって少し恥ずかしいけどね、と深愛が照れ臭そうに笑う。
「庭をプレゼントするなんて、ちょっとロマンチックだね」
「うん。それでね、お母さんが入院して代わりにあたしがお花の世話をするようになって、病院にお見舞いに行くときにそのお花を持っていくとお母さんがすごく喜んでたことをよく覚えてる」
深愛はソファでリラックスしていて、思い出を掘り起こすように遠い目をしている。
「それでお母さんが亡くなって、休んでいたお父さんも仕事に復帰して家を空けがちになって。でもお花たちがたくさんいたからさみしくなかった」
「そっか」
「だけどね、小学三年生の授業参観でどうしてもお父さんの予定が合わなくて来れない日があったの」
そのこと自体はそんなに悲しかったわけじゃないんだけど、と深愛は続ける。
「その日朝ちょっと寝坊しちゃって、お花のお世話を急いでやったら服が土で汚れたのに気づかないまま学校に行っちゃったの」
「そんなこともあったね」
当時の僕と深愛はただの同級生って感じで、それほど親しくはなかったけれどそのことはなんとなく覚えている、おぼろげにだけれど。確か担任の先生が授業参観の前に深愛の服が汚れているのを見つけて綺麗にするように言っていたはずだ。
「それで授業参観はまあ問題なく終わって、その後の休み時間みんなが親のところに行ってお話してるのを教室の隅でそっと眺めてた」
正直、それは覚えていない。たぶん、当時の僕は忙しい母さんが自分のために時間を空けてくれたのがうれしくて他の子と同じように過ごしていたんだと思う。なんとなく、申し訳ない気持ちになって謝罪の言葉がついて出た。
「……ごめん」
「えっ? ……ああ、いやそういうつもりじゃないんだ。気づかれないようにしていたのはあたしの方だし」
深愛は慌てたように手を振ってそう言った。
「……でもこういうのって、気づいてほしくない人にばかり気づかれるものなんだよね」
「どういうこと?」
深愛は一瞬棘が刺さったかのような痛みを耐えるような表情を浮かべる。
「その日の放課後、男の子が二人あたしのところに寄って来て『こいつ、親も来ないし服は汚れてるし、本当はホームレスなんじゃないか?』『孤児ってやつだ!』って、囃し立てられたんだ」
「……なんてこと言うんだ」
小学生というのは、無邪気であると同時に残酷だ。自分の気持ちには過敏で、他人の痛みには鈍感だから自分が気持ち良くなるためなら他人を傷つけるようなことを平気でする。
「あたしは、それに言い返せなかった。普段お花ばかり相手にしてたからか、そんな風に悪意を持って言葉をぶつけられる機会なんてほとんどなかったから。……だからその子たちが飽きて立ち去るまで、自分の席で震えていないといけないのかなって思いながら俯いてた」
その言葉ひとつひとつは当時の深愛が傷ついていたことを示していたけれどーーなぜか深愛の表情は明るかった。
「でもね。その直後、いきなり目の前で片方の男の子が横に吹っ飛んだんだ」
「えっ?」
どういうこと?
「吹っ飛んだ男の子も、もう一人の子も、そしてあたしも呆然としてたよ。我に返ってちょっと横を向いたら、そこには拳を突き出した男の子が一人立ってた」
「……」
そこまで話されて、僕の脳の記憶を司る部分がチラチラと信号を送り出した。……まさか。
「それがね、翔ちゃん」
そこまで聞けば、さすがの僕でも思い出す。その男子を殴り飛ばした男の子というのは、僕だ。
「呆然としたあたしたちを尻目に仁王立ちした翔ちゃんが『お前ら、自分が悪者になってるの、わからないの?』って言い放ってたのかっこよかったなあ」
「……やめてくれ」
あの頃の僕は、理不尽なことが許せなかった。悪口を言う奴、人の遊んでる道具を自分が使いたいからって取り上げる奴、掃除当番を人に押し付けてさぼる奴。だってそれは悪い奴の行うことだし、そんなことは普通に考えればわかることだと思ってたから。誰だって悪者にはなりたくないだろうに、そんなことをしてしまう子たちが理解できなかったし、許せなかった。
だから当時の僕はそいつらの目を覚ますという正義感に駆られていた。……今になって考えると一体何様だという話で、完全に黒歴史だ。
それに暴力に頼ってたら同じ穴の狢なのだけれど、当時の僕は幼さゆえにそういう手段に頼ることしかできなかった。実際あの後母さんにこってり絞られる羽目になった。
ある程度年を重ねて、それじゃダメだとわかってからは頭を使うようになったけれど。葵にやったみたいに。
「確かに暴力は良くないけど……正直、あたしはあの時スカッとしたんだ」
なによりも、と深愛は続ける。
「他の子たちはみんな傍観する中で翔ちゃんだけはあたしのことを見て、助けてくれた。それが単に理不尽なことが許せないってだけだったとしても、あの時の翔ちゃんはあたしのヒーローだったんだよ」
深愛の言葉が適当なおべっかじゃないことは、彼女の目を見ればよくわかった。この世界の深愛のことはよく知らないけれど、少なくとも僕の知る深愛はこんな目をして嘘を吐くような女の子じゃない。
「翔ちゃんがよくやってる人助け。あれも翔ちゃんの良いところ」
「あれは……僕自身のためであって本質的には人のためなんかじゃないよ」
「それでも、人助けという手段を選ぶ時点でそれは翔ちゃんの美点だよ」
深愛の左手が僕の右手を優しく包み込む。
「つまりね、あたしが翔ちゃんを好きになったのは優しいところなんだ」
「そうまとめられると、結構簡潔だね」
「だって好きなところが優しいところなんて、良いところを見つけられない人の常套句みたいじゃない。そう思われるのは心外だったからちゃんと一から説明してあげたんだよ」
深愛はそう言った後、昔のことを懐かしむように続けた。
「それから引っ込み思案だったあたしは翔ちゃんにだけはちゃんと話しかけるようになったんだ。好きな人なんだもん、振り向いてもらうためには自分からアプローチしなくちゃね」
鈍い誰かさんは全然気づいてくれなかったけど、と言って深愛は恨めし気に僕をにらみつける。でもその視線はどこか優しくて、今の深愛が本当に幸せなことはわかった。
僕を眺めながらソファーに深くもたれかかっていた深愛は、何かを思いついたように「そうだ」と声を上げた。
「ね。ひまわりの花言葉、知ってる?」
「え? いや」
「やっぱり。じゃあなんで私が昔から毎年ひまわり贈ってるかもまだわかってないんだ」
「え? 何か理由があるの?」
「うーん、教えないっ。自分で調べて!」
「なんだよそれ……」
深愛はクッションを顔の前に抱え、恥ずかしそうに口元を隠しながらチラチラと僕の方を見ている。なんだか楽しそうだな。
ここまで深愛の話を聞いて、わかったことがひとつある。それは深愛は僕が過去を変えたから僕のことを好きになったわけじゃないってことだ。好きになったきっかけが五年前よりも昔のことなんだから当たり前だけれど。
でも同時に疑問も新たに生まれる。なぜ元の世界で深愛は僕に告白をしなかったのだろうか。逆になぜこの世界では深愛は僕に告白したのだろうか。
「ねえ、翔ちゃん……」
僕が物思いにふけっていると、深愛はソファーの座る位置をずらして僕の横にぴったりとくっついてきた。それ以上何も言わずに僕の目をじっと見つめる。その瞳はとても柔らかで、見ているだけで包まれてしまいそうだった。
「今のあたしは、とても幸せなんだ」
そう告げた深愛の目が閉じられ、僕に体を委ねてくる。恋愛経験の乏しい僕にも、深愛がキスを求めていることはわかった。
「……」
ここで深愛の求められるままにキスすることは簡単だ。多少上手くいかなかったとしてもまさか僕の中身が変わっているとは思わないだろうし、仮にわかったとしても僕は僕だ。たぶん、深愛は気にしないだろう。
僕自身キスに対して興味がないわけじゃないし、深愛のことを異性として見た時に魅力的な女の子だと思えるのは確かだ。
「……今日は、やめとこう」
それでも僕の中の誰かがそれはするべきじゃない、と言っていた。それは答えを写させてもらった解答を、さも自分が解いたかのように発表するような卑怯な行為に思えた。
「翔ちゃん……?」
「今日は休み時間にニンニクたっぷりのガーリックパンを購買で買って食べちゃったんだ」
苦しい嘘だ。けれど、ただ深愛からのキスを拒絶することも僕にはできなかった。たとえ嘘だとしても理由をでっちあげないと、深愛のことを傷つけてしまうと思ったから。
「……そっか。あたしもニンニク臭いキスは嫌かな」
深愛は僕の嘘を知ってか知らずか、そう答えて僕に預けていた体を起こした。
「じゃ、遅くなる前に帰るね。ハナの散歩もしなきゃいけないし」
深愛はそう言って通学カバンを手に取る。ハナというのは、深愛の家で飼っているチワワのことだ。でも普段犬の散歩は朝にやっていると言っていたはず。
「そっか、気をつけてな」
きっと、理由付けでもしないとここを立ち去りにくかったんだろう。そう察した僕は、特に追求せず見送ることにする。
「じゃ、また明日」
「うん、また明日」
テレビではちょうどトリのバンドがラブソングを歌い終えたところだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます