穴掘り名人

 祖父が検査でお見舞いが休みだった今日は、太陽が空のてっぺんに差し掛かる直前まで布団の中にいた。

 庭で掃除をしていた祖母に朝食はどうするかと聞かれたが、昼に合わせて食べると返事をし、それまでの時間は宿題を片付けてしまうことにした。

 しばらくして買い物に行っていたらしい母たちが戻ってくると、にわかに台所が騒がしくなってくる。

 ちょうどいい頃合いでもあったので、居間の座卓に広げていたノートやテキストを片付けた。

 

 スーパーの惣菜を食べながら、午後からの予定を思案する。

 午前中に引き続き宿題をやるか、それともまた散歩にでも出かけるか。

 なんなら車のトランクに積んだままのテレビゲームでも出してきて、数日ぶりとなる冒険の旅に出ようか?

 ……いや、そんなことは自分の家に帰ってからでもできるのだから、敢えて今やることではない気がする。

 居間でおしゃべりに興じる女性陣に気づかれぬよう気配を消して家を出ると、庭の物置からシャベルとツルハシ、それに祖父の長靴も借りて家の北側にある山の斜面へ向う。

 生い茂った杉の木が、真夏の日差を完全に遮っているそこは、山水の影響なのかクーラーでも利いているかのように涼しく、まるで神社の境内のような清涼な空気を湛えていた。

 シャベルとツルハシを抱きかかえながら中腹まで下っていくと、赤いビニールテープの巻かれた何本かの竹の棒が地面に挿されているのが見えてくる。

 それは祖父が去年、目印として立てておいたものだった。

 そのうちの一本を選び、周囲を注意深く観察する。

 竹の棒のすぐ脇から、二ミリ程の太さのツルが地面から地上へと伸びている。

 ミミズのようなそれは、すぐ近くの杉の木にグルグルと巻き付きながら天を目指していた。

 あとはしるべとなるその蔓を切ってしまわないように気をつけながら、シャベルを使ってひたすらに地面を掘るだけだ。


 大人の下半身が丸々埋まってしまうくらいの深さまで穴を掘ると、ようやく目的のものがわずかに見えてくる。

 得物をツルハシに持ち替えてその周りを慎重に掘っていき、最後には手を使って土を掻き出す。

 その作業は小学生の頃に社会科見学で見せてもらったことのある、遺跡の発掘作業のようで少しだけ楽しい。

 ただ、いま僕が掘っているのは古代人が使っていた土器や住居跡ではなく、誰が植えたわけでもなく斜面の至る所に自生している、文字通り天然の自然薯だ。


 一時間も掛けて丁寧に掘り出したそれは、身長一六〇センチの僕の腰の高さもありそうな、そこらのスーパーで買えば数千円はくだらない代物だ。

 毎年祖父が掘っている姿を近くで見ていたが、一人でこの作業をするのはこれが初めてだった。

 一旦穴から這い出ると、思いっきり腰を伸ばしてから二本目に取り掛かる。

 一本は今夜みんなで食べる分で、もう一本は伯父夫婦に持ち帰ってもらい、大好きな従姉のあっちゃんに食べてもらうつもりでいる。


 さらに一時間後。

 まるでツチノコのような、少しだけ不気味な形をした二本の自然薯と道具を抱えると、今度は山の斜面を泥だらけになって登り返す。

 庭先の水栓で土にまみれた道具を洗っていると、玄関から出てきた祖母が目をまん丸くしながら近づいてくる。

「姿が見えんと思ったら、そんなもの掘ってたのかね」

 祖母はどこからか大きなザルを持ってきて、その上に土まみれの自然薯をのせた。

「これはどうするだね?」

「一本は今夜みんなで食べる用で、もう一本はあっちゃんにプレゼントする用」

「……お前、本当にまめな性格してるだね」

 祖母は軽く引いているように見えたが、僕があっちゃんのことを好きなのは間違いないので問題はなかった。

 ただ、所謂恋愛感情の好きとは少し違っていることには、昨日のいずれかの時点で自然と気づいていた。

 もっとも、それを祖母に説明する気など起きるはずもなく、ただ一言「まあね」と言って道具の洗浄に戻る。

「それじゃ夏生、これ持ってくでね」

 祖母はとりあえず何でも一度は仏壇に供える人だったので、僕の掘り出した自然薯も先祖のもとへと運ばれていったのだろう。


 泥だらけになった身体をシャワーで流している最中、型ガラスの向こうの脱衣所から母に呼びかけられる。

「新しい甚平買ってきたから。出たらこれに着替えなよ」

 二年前に買ってもらった奴は去年の段階でも少しになってしまっていた。

 今夜の盆踊りの服装をどうするか悩んでいたこともあり、渡りに船とはまさにこのことだろう。

 風呂からあがると、以前のものと同じような濃い藍色縞の甚平に袖を通す。

 そうすると毎年そうであるように、自然と気持ちが引き締まるような気がした。


 日が西に傾きかけた頃になって父が、それに少し遅れて伯父がやってくる。

「これ、明日那が夏生にだって。ところで夏生はどう思う? 普通さ、こういうのって父親を経由して渡したりするかな?」

 苦笑いする伯父に手渡されたのは、可愛らしいカエルのキャラクターがプリントされた黄緑色の封筒で、その表には蛍光ペンでデカデカと『大好きなナツくんへ』と書かれていた。

 それはどこからどう見てもラブレターにしか見えなかった。

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