第20話:腕を飛ばせて良かった
セネカの刺繍の仕事が落ち着き、マイオルの考えもまとまったので、今度こそ冒険者としての仕事を本格化することになった。
セネカはまずユリアに話をしに行った。定期納品はお休みして、必要なときだけ依頼で素材を取りに行くことにさせてもらった。
今後も薬屋には遊びに行くつもりなのでセネカとユリアの接点は続く。ユリアに不都合が起きるようなことはないだろう。
次に裁縫関係でお世話になっているトルガのお店にも行った。
この前の仕事のお礼を言った後、しばらく仕事が不定期になることと、来年から王都に行こうと考えていることを伝えた。
エミリーをはじめとして、みんなが寂しそうな顔をしていたのがセネカには印象的だった。
そして、孤児院にも話を伝えた。
院長は「まだまだ先じゃないか。頑張りな」とあっさりしていたが、シスタークレアは泣き崩れてしまった。
報告に行く前はセネカも泣くかもしれないと思っていたが、シスタークレアの泣き方が予想以上だったので、涙は引っ込んでしまった。
でもそこまで寂しがってくれることをセネカは嬉しく思った。
そうして周囲に報告した後、セネカとマイオルはトゥリアに勧められるがままに様々な依頼を受けた。
多くは討伐と採集の依頼だ。
バエティカ周辺だとあばれ猿か火炎ムカデを単独で討伐できれば間違いなく銅級への昇格試験を受けられる。
実力的にセネカは余裕で、マイオルはまだ少し足りないが、どちらにしても経験は少ない。
そこで、いろんな場所に行って修行を積んでいるのだ。
◆
セネカも王都に行くことを決めてから三ヶ月半が経った。
マイオルの修行は着実に進んでいった。
レベルアップにどれぐらい近づいているのかは分からなかったが、【探知】できる情報量はどんどん増えていた。
マイオルは、今では肩幅ほどの小さい領域まで探知範囲を絞ることができるようになった。
訓練には魔玉という魔石を加工した物を使っている。特定の強力な魔物が稀に持つ魔石を凝縮し、球状に磨いたのが魔玉だ。
マイオルが持っているのは親指の先ほどの大きさだが、これだけで金貨数枚に化ける。
過保護な父親がマイオルに持たせた物で、危機的状況に陥ったら換金するためのものだ。
魔玉は魔物由来であるし、魔力が豊富に含まれているので、マイオルの訓練に非常に適していた。
訓練の始めの頃は精度が低く、魔玉を机の上で転がしても移動を検知できなかった。しかし今ではわずかな揺れも分かるぐらいにくっきりと動きを追うことができる。
探知精度の上昇は戦闘にも反映されている。
解像度が上がったおかげで、魔物の動きが手に取るようにわかるし、魔物の体内の魔力の動きを知ることができるようになった。
例えばファイアウルフは火を吐く数秒前に喉の辺りで魔力が渦巻くし、ワイルドベアは必殺の技を放つ時には爪のあたりに微かに魔力が集まる。おかげで攻撃を避けやすくなった。
ギルドでこっそりとメーノンに相談したところ、レベルアップがかなり近いはずだと教えてくれたので、マイオルは今の道をさらに深めていくことに決めた。
◆
さらに半月が経った頃、セネカとマイオルは難度の高い依頼を受けることになった。依頼内容はバエット山林の泉に生えている特殊な薬草の採取だ。
この泉は山林のかなり奥にある。セネカもマイオルもバエット山林の依頼を良く受けているが奥まで行くのは初めてだ。
鉄級冒険者が受ける依頼にしては難易度が高いけれども、セネカの実力とマイオルのスキルがあれば危険は大きくないだろうと判断してトゥリアが見繕ってくれた。背伸びをすると簡単に命の危機に晒されるということは二人ともよく分かっている。
セネカとマイオルは十全に準備を整えてからバエット山林に入り、ゆっくりと進んだ。
初めて行く場所の場合、マイオルはこまめに【探知】をして、周囲をしっかり確認することにしている。奥地に近づいてきたのでスキルを使ったところ、マイオルは奇妙な魔力反応を感じた。
その反応は人でも魔物でもなく、一帯の空気中の魔力濃度が高いようだった。
見るのは初めてだったけれど、これが魔力溜まりなのだろうとマイオルは思った。
「セネカ、探知範囲の端に魔力溜まりがあるわ。魔物の気配はないけれど、注意する必要がありそうよ」
セネカは頷いて刀を抜いた。
魔力溜まりがあると稀に魔物が変異すると言われているため、気をつけなければならない。
魔力溜まりが発生する原因は分かっておらず、報告があった次の日には消失していることもあって詳細は分かっていない。
今回は目的地とは別のところに魔力溜まりがあるので、軽く迂回すれば問題ないと二人は判断した。
◆
泉についた後、二人は機敏な動きで目的のラビリン草を採取した。
ラビリン草は紫色の釣鐘型の花が特徴で、強力な目薬の材料になる。
他にも希少な薬草があったが、滞在時間は短い方が良いという考えのもと迅速に作業を行なった。
採取が終わって泉から離れようとした時、マイオルの【探知】に魔物の反応があった。
「セネカ! 二体の魔物がすごい速さでこっちに向かっているわ! とにかくあっちの方向に走ろう!」
マイオルは言うなり走り出した。
セネカも後に続く。
「魔物は何?」
「あばれ猿だと思うけど、存在感が格段に強いし、聞いたことがないくらい速く動いている。変異種かもしれないわ!」
「このまま逃げられそうなの!?」
「間に合わないわ! こっちに広場があったからそこで待ち構えましょう。林の中で戦ったら勝ち目がない!」
この時のマイオルの判断は的確だった。
一瞬で動き始め、取り返しのつかない状況になるのを回避することができた。
「魔力の大きさはコボルトリーダーと遜色ないわ。普通のあばれ猿よりも身体能力が格段に高いと思って!」
「分かった!」
二人は必死に走り続けている。
全力で走ったらセネカの方が速いが、マイオルも相応に速い。
絶望的な状況は脱したものの、分は悪い。
今のセネカとマイオルなら普通のあばれ猿が二体来ても、撤退を選んだ方が安全だ。
走りながら二人は作戦を立てる。
「マイオル、片方を一人で引き付けられそう?」
「相手取るのは厳しいわね。短い時間だったら大丈夫だと思う!」
こういう時には過大評価も過小評価も良くない。ましてや本音を言わないのはもっと良くない。
「分かった! じゃあ、なんとか二対二に持ち込もう!」
しばらく走ると木がまばらになってきた。もう少しで目的の場所に着く。
「マイオルの索敵範囲の外からどうやって私たちを見つけたのかな?」
「あたし以上の索敵能力を持っている可能性もあるけれど、遠くの丘から監視していたんだと思う。あの泉は見やすかったはずよ」
「そっか、目が良いんだ。基本的には身体能力を警戒すれば良いんだよね」
「そうね。それが一番厄介だけど」
細かい情報を確認しながら走ると広場に到着した。他に人はいなかった。
マイオルは矢を取り出して弓にかける。
かなり距離があるので当たるかは分からないが、牽制になるので射ることにする。
【探知】特有の俯瞰した視点で相手の動きを見る。
そのまま動線を予測して、矢を放つ。
矢は片方のあばれ猿の左腕に向かって飛んでいった。直撃する軌道だとマイオルは思った。
しかし、あばれ猿は矢を機敏な動きで避けた。
傷をつけることはできなかったけれど、あばれ猿は警戒を強め、向かってくる速度が落ちた。
当たるのが一番良かったけれど、悪い結果ではないとマイオルは感じた。
「上出来だったわね」
「うん、すごいよ。次の矢が来たら様子を見るだろうね」
「できるだけ引き付けて射るから、そのあとはよろしく」
「分かった。突撃するけどマイオルから離れすぎないように気をつける」
弓矢で警戒を煽ることができたので、そのまま有利な状況に持ち込みたかった。
一匹だけでも抑え込めれば戦況がかなり良くなるだろうと二人は考えていた。
◆
セネカの目にも二匹のあばれ猿がはっきりと見えてきた。
通常の個体よりも筋骨隆々に見える。
「弓を引くわ!」
後ろにいるマイオルが二本の矢を同時に弓にかけている。
セネカは二匹の動きをしっかり見つめた。
あばれ猿が凄まじい勢いで向かってくるのを見ながらマイオルは息を整えた。
引きつけすぎずに遠めの間合いで矢を放つのが良いだろう。
手は汗でいっぱいだが、マイオルは失敗するとは思わなかった。
「射る!」
言うなりマイオルが矢を放った。
二匹の間に矢が飛んできたので、あばれ猿は思わず左右に分かれて避けた。
セネカは左側の方に突っ込んで行った。
マイオルはそれを見て、弓を背負いながら剣と盾に持ち替え、セネカと同じ左側に走る。
マイオルは【探知】を発動し続ける。
二匹しかいないので情報量を絞る。いつのまにかこういう操作もできるようになった。
セネカの突撃に対して、左のあばれ猿は大きく退いた。
それを見たセネカはさらに左斜め前に跳んだあと、側面からあばれ猿に斬りかかった。
虚を突かれたあばれ猿は思わず右腕で首の辺りをガードしたので、セネカは腕を斬り飛ばした。
「ぎぃぃぃぃ」
あばれ猿の不愉快な声が聞こえてくる。
マイオルはもう一方のあばれ猿の動きを注視していた。
腕を切断された方のあばれ猿の陰に隠れてセネカに迫ろうとしているのが見える。
マイオルは潜む敵の動きを牽制するために、顔に向かって目潰しの薬を投げつけた。
両腕が健在の暴れ猿はそれを手で弾いた後、警戒して後退した。目論見通りだ。
セネカはマイオルの隣に戻った。
「マイオル、あいつらかなり強いよ。腕を飛ばせて良かった」
「うん。それに狡猾だわ。でもセネカのおかげで状況は良くなったね」
両腕のあばれ猿が片腕のあばれ猿を庇うように前に出てきた。
通常のあばれ猿は仲間を助ける行動などしないので、知能も上昇しているかもしれない。
「マイオル、もしかしたら一匹で手一杯かもしれない」
セネカの額からは汗が出ている。
「分かった」
マイオルは覚悟を決めた。
瞬間、両腕がある方のあばれ猿が猛烈な勢いで突進してきた。
二人は同じ方向に避けたが、このあばれ猿の狙いはセネカのようで、セネカを執拗に攻めている。
遅れて片腕のあばれ猿がやってくる。こちらの猿はマイオルにがむしゃらな攻撃を仕掛けてくる。
二匹の猿は別々の方向にセネカとマイオルを追いやろうとしている。
二人はなんとか近づいて二対二の状況を保ちたかったけれど、息をもつかせぬ攻撃に押されて、ついには分断されてしまった。
セネカが気づいた時には、マイオルは見えなくなっていた。
あばれ猿はひたすらに腕をぶん回し、力いっぱい体当たりをしてきた。
攻撃に技巧はなかったが、当たればただでは済まなそうだったので、セネカは避けに徹するしかなかった。
このまま戦いながら合流するのは難しいだろうとセネカは感じていた。
となれば、まずは目の前の敵をどうにかしなければならない。
セネカは一対一の戦いに集中することに決めた。
あばれ猿も分断に成功したと思っているのだろう。
さっきは苛烈な攻撃を続けていたけれど、今は慎重にこちらの動きを見ている。
セネカは隙を見て斬撃を浴びせたいと思っているけれど、なかなか難しい。
あばれ猿の拳は非常に硬いので、刀の腹を殴られると壊れてしまうかもしれない。
それに攻撃をしたとしても、大きな傷を負わせることができるかは分からない。
セネカの身長はあばれ猿の下半身ほどしかなく、力では負けている。
どうやって決定的な攻撃を与えたら良いのか。
セネカはじっと耐えながら反撃の機会を伺うことにした。
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