誰も知らない空2

俺は早く帰りたかった。

つい一ヶ月前まではただの大学生だったのだ。

それが急な徴兵で全部崩れ去り、まともな訓練もないうちに名前も碌に覚えていないに乗せられ、実戦に駆り出されているんだ。


俺には恋人がいた。

毎週日曜日、教会での集まりでだけ会う子だった。空を見るのが好きな子だ。

俺が徴兵される時、彼女は泣いて俺を止めた。俺は必ずまた会うと約束して彼女の元を去った。


あれから3年ほどの歳月が経った。俺はいつの間にか軍で秀才と呼ばれる程までに戦闘技術が上がっていた。

自分で何かを努力したつもりはなく、どれも生きて帰るためにした事だった。

どれも彼女とまた逢うためだった。


今日、本土に向かってアメリカの爆撃隊が近づいていると情報が入り、撃墜のために編隊を組んで出撃した。

イギリスとアメリカによる合同攻撃の内の一波らしい。

この攻撃の内一回で俺の地元も焼き尽くされていた。



出撃して数時間、索敵していると雲の隙間から下方に敵の爆撃機隊が見えた。

俺は機体を翻して操縦桿を引き、急降下しながら引き金を引いて即座に一機堕とした。

味方編隊の1人も併せて急降下し、敵や一機堕とした、が、直後その味方の機も炎に包まれていた。

後ろを振り向くと、銀色に輝く敵の機体がこちらを睨んでいた。俺は機体を思い切り捻り、味方を堕とした敵の真後ろを取って引き金を引いた。


仕留めたと思った。しかし想定とは裏腹に敵は弾を避け、一気に急降下を始めたのだ。

常人ではあり得ない軌道に相手が凄腕なのがはっきりとわかった。

こいつが飛んでいる限り自分も味方も危険だ。


俺は迷わず着いて行き、後ろから銃撃を重ねた。


急降下の状態から一気に機体を引き上げ、山肌スレスレを飛ぶ姿は、まさしく本物の凄腕のものだった。

速度も相手機のほうが上なため、着いていくので精一杯だった。


追いかける中で後ろから制圧射撃をしてもなかなか当たらない。

すぐさま避けられる。


山の狭間から遠くに湖が見えると、相手はいきなり機体を傾けてそちらの方へ突っ込んでいった。

『相手が凄腕』という自分の考えに疑念を抱いた。

遮蔽物がない湖の上で、撃ってくれと言わんばかりに真っ直ぐ飛んでいるのだ。

ただの気が狂った奴なのかもしれないと思った。

俺はすぐさま相手の後ろに喰らいついた。

相手が少しずつ照準に重なっていく。


「今だ」


と引き金を引こうとした瞬間、水面から視界に黒い何かが飛び込んできた。

避けようとしたが間に合わず、風防を砕き、右主翼を曲げてどこかに消えた。


一瞬の意味がわからない出来事に焦っている自分がいる。

さっきのは何だったんだ。考えている間もなく右翼端が水面に擦る長めに入った。

とにかく体制を立て直さなければ堕ちて藻屑と化してしまう。


そう思い水面から離れるべく機体を引き上げたら、すぐさま後ろを取られた。

必死に銃撃をかわしながら俺も彼を撃った。


長い間攻防の後、自分の機体からは煙が吹き出している。

燃料タンクにも穴が開き、残り少ない燃料を山肌にばら撒いていた。


相手が攻撃してこない隙を見つけて必死に機体を翻し、速度を殺して相手の後ろを取る。

なぜか回避行動を取らず真っ直ぐ飛び続ける敵機に照準を合わせ、引き金を引いた。

だが飛んでいく洩光は一切見えず、ただふらふらと飛び続ける霞んだ銀色の機体だけが見えていた。


弾が切れたのだ。


彼が攻撃をやめたのもきっと同じ理由だろう。


手の中にはお守りとして持っていた十字架のネックレスのチェーンが切れて飛び散っていた。


俺は機体を彼の横につけ、初めて彼の顔を見た。

人間だった。

殺意のままに体を突き動かされているだけの化け物でも乗っているのかと思っていたが、俺の目に映っているのは、紛れもなく人間、ただ遠くを眺めているだけの人間だった。


俺は目の前にいるのがさっきまで殺しあっていた相手だとはとても信じられなかった。


武器さえなければ、そこに戦いさえなければ俺も彼も人間でいられたのだ。


彼は今何を思っているのだろう。


俺は拳銃を手に持っていた。

俺も彼も、おそらく生きて帰ることはできない。


ここがどこかもわからない。


彼を楽にし、俺も彼女が好きだった空の向こうに逝こうと思った。

楽になりたかった。


早く帰る。その一心で闘っていたのに、地元は燃え、帰るところを失った。


背負えるものがない自分に、生きる意味を見出せなかった。


俺は名前も知らない拳銃の照準を、向こうに向けた。


向こうまたこちらに銃口を向けた。


血で染まった顔の向こうには、悔しさと憎しみ、そして優しさの染みついた涙が滲み出ていた。


俺は約束を守れなかった事だけを後ろめたく思った。

だが、俺は彼女が眺める空にいる、いつでも会える。


そう思った。


誰も知らない、遠い空の中、ゆっくりと引き金を絞った。

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