62.大奥様によるハヤト評


「アンタ、アンナのためにうちに潜り込んできたのね」


 昼食を終えた大奥様は自室のロッキングチェアに座り、窓の外を眺めながら呟いた。

 私はといえば、アンナ嬢の部屋に二人分の食事を運び終えて大奥様の所持品を目録と照らし合わせているところ。


「はい。大体そんな感じです」


 あの子のためというよりは自分のためだけど。

 回り回ってあの子のためになるというのならそうなんだろう。


「あの子があんな生意気な口を利くようになっていたなんて知らなかったわ……。ついこないだまで赤ん坊だと思っていたのに」


「もう十五歳ですよ」


「そうね。子供が成長するのは早いんだわ……。言われてみれば、私の息子だってもう中年だものね。孫が大人になっていてもおかしくない。……いつの間にか、私も歳を取っていたのね」


 さびしげな横顔がふっと微笑みに変わる。

 大奥様の視線を追うと、庭先でハヤトが完成した巣箱を持ち上げてこちらに手を振っている姿が見えた。


「巣箱が出来たみたいですね」


「いいのが出来たじゃない。そうだ、屋根の上だけじゃなくて、私の部屋の前にもつけてくれないかしら。ここに鳥が遊びに来てくれたらきっと楽しいわ」


「そうですね。では、もう一つ作れないか聞いてみましょう」


 窓を開けて、少し身を乗り出す。暖かくて柔らかな風が薄手のカーテンを揺らした。


「あの、それ、もう一つ作れますか?」


「え? なんで?」


「ここにも欲しいんですって」


「そうなんだ。いいよ。ジェームスさん! 木材と釘、まだ余ってます!?」


 ジェームスさんと呼ばれた庭師は「あるよー!」と威勢の良い声で返事をした。

 彼はどうやら庭師さんと仲良くなったらしい。

 この怪しげな風体でよく受け入れてもらえたものだ。


「ちょっと待っててね。これを取り付けたら室内からの煙突掃除をして、そのあと次のを作り始めるから」


「ありがとうございます。でも、そんなに急がなくても大丈夫ですよ」


「うん。――ねえ、もうちょっとこっちに来て」


「なんですか?」


 言われた通りに顔を窓の外に出すと、彼は手袋を外して素手で頬に触れてきた。

 回復魔法だ。もうほとんど痛みはないけれど、

 火照りが消えていく。

 魔法、ちゃんと使えているみたい。良かった。


「けっこう治ってきたね」


「貴方のおかげです。ありがとう」


 彼は窓際に置いた私の手を取り、顔の布を下げて甲に口付けた。

 あまりに板についたその仕草。つい数ヵ月前“触れるのってどこまでOKなの?”と聞いてきた人と同一人物とは思えない。

 彼はこの数ヵ月でずいぶん変化してしまった。

 かなり“貴族(こちら)側”の色に染まってきたし、背も少し伸びた。本当にカメレオンな人だ。

 決して悪い変化ではないけれど、少し寂しいような気もする。

 何だか置いて行かれるような気持ちになってしまうのだ。

 こちら側に引きずり込んだのは私なのにね。ずいぶん身勝手な感情だとは思うけれど。


「じゃ、また後でね」


「はい」


 窓を閉めようとすると、大奥様は「開けておいて」と言った。


「外の風が気持ち良いのよ。久しぶりに庭でも散歩しようかしら。貴女、一緒に行ける?」


「はい。あと十分ほど頂ければ確認作業は終わりそうです」


「そう。……で、どうなの? 全部ある?」


「はい。今のところ紛失は無いようです。まだこれから確認するものもありますけれど」


「ふぅん……。まあ、それなら良いわ。他の家人のぶんはツィギーと執事に頼んだけれど……。どうなるかしらね」


「どうでしょうね」


 何事もなければそれで良し。紛失があったら――その時はちょっと大変だ。

 出来れば何事もなく済んでほしい。

 大奥様は確認作業をする私の横で刺繍の続きを始めた。

 光沢のある青いリボンに、青い糸で花の模様を刺していく。


「それは、アンナお嬢様にですか?」


「そう。花嫁には青い色が幸運を運んでくれるって言うでしょう? あの子ももうそろそろ結婚相手を決めないといけないからね。今のうちから準備しておかないと。……ああ、そうだ。アンタ、ご主人とずいぶん仲が良いわよね。あやかりたいから、あの子の結婚式の時にハンカチでも貸してくれないかしら」


「え……」


 大奥様が言っているのは、きっとサムシングフォーのジンクスの事だ。

 結婚式の時に永遠の幸せを願って、なにか新しいもの、なにか古いもの、なにか借りたもの、なにか青いものの四つを身につける昔ながらのジンクス。

 大奥様が言っているのは、サムシングボロード––“なにか借りたもの”を幸せな結婚生活を送っている(という設定の)私から、という事なのだろうけど。

 それはちょっと出来ない。

 彼女の結婚のお祝いに私の幸せをお裾分けなんていくらなんでも嫌味が過ぎる。

 というか私、本当はまだ結婚してないし。

 彼女と私のどっちが先に結婚するのか、今はまだわからない。


「アンナお嬢様はまだ結婚相手が決まっていないのですよね?」


「そうだけど、私の中ではもう決まっているの。跡継ぎだし、人柄も良いし。息子が薦めてくるのはダメね。条件は良いけど、ソツが無さすぎて怖いのよ」


「はあ、そんなものですか」


「そんなものよ。アンタのご主人もちょっとその気配があるわよね。普通の女じゃ手に負えない類いの男だと思うわ」


「そうですか?」


「だってそうじゃない? 二十歳でBランクに上がれるくらいには才覚があって、新妻の仕事先についてくるくらいには愛情深くて、それであの外見でしょう? 普通の女なら失いたくなくて背伸びした挙げ句自分を見失ってしまうわよ。依存性のある毒のような男ね」


「ずいぶんな言い草ですね」


「実際にアンタはあのステュアート公爵家のメイドという立場を捨ててまで結婚したんでしょう? 既に毒にやられてると思うわよ。貴方が全て、っていうふうに。惚れ込みすぎて自分を見失ってる証拠」


 ……わからないでもない。

 確かに私は自分が何者なのかわからなくなっている。

 アリーシャなのかエリーなのか、令嬢なのかBランクなのか講師なのかメイドなのか……。


 我ながらひどい迷走ぶりだ。

 私って何者だっけ。

 ちょっと、本気でわからなくなっている。


「ああいうのは遠くから眺めるくらいがちょうど良いの。そんなのと結婚したんだから、アンタ自分をしっかり持って頑張んなさいよ」


「はい……」


 ほどなくして所持品の確認を終え、窓を閉めて庭先への散歩に同行した。

 ハンカチを貸す件はそれとなくお断りしつつ、屋根の上に取り付けられた巣箱に親鳥が入っていくのを眺めてから邸内に戻る。

 それから三時のおやつの支度のために厨房に向かうと、暖炉の掃除中のハヤトが屋敷の従僕らしき人物と共にアンナ嬢の部屋にいた。

 家政婦長と奥様も一緒だ。

 換気のために扉を開けてあって、中の様子がよく見える。

 家政婦長はアンナ嬢の所持品の確認中のようで、棚と手元の目録とを交互に見ていた。

 奥様とアンナ嬢は二人とも目元を赤くしていたけれど、奥様はやさしげな表情でアンナ嬢の黒髪を櫛でとかし、結い直している。

 まるで小さな子供にしてやるような仕草だ。

 アンナ嬢は自分と奥様の姿を確かめるように鏡をじっと見つめている。

 ふと鏡越しに私と目が合い、彼女は照れくさそうに笑った。

 どうやらわだかまりの解ける会話が出来たらしい。良かった。


 彼女の部屋の人口密度の高さから言って、よほどの事が無ければハヤトとアンナ嬢が話をする展開にはならなそうだ。

 そう思って、安心して厨房へと足を進める。

 なんだか予想以上に早くお役御免になりそうだなぁと思いながらお茶の準備を始めていると、廊下から先輩メイド達がきゃあきゃあ言いながら厨房に入ってきた。


「ね、見たでしょ? あの煙突掃除夫ぜったいカッコいいって!」


「見た見た! なんかそういう雰囲気出てるよね!」


「顔見てみたーい! お茶を出したら顔の布とってくれるかな」


「いっそ掛けてみる?」


 恐ろしいやり取りが繰り広げられている。

 さすがに熱湯は掛けないと思うけれど、これは注意喚起が必要そうだ。

 イヤーカフに魔力を通すと、通信はすぐに繋がり愛しい人の声が耳元で響いた。


『なに? どうしたの?』


「メイド達に注意してください。貴方にお茶をかけるかもしれません」


『はぁ? 何それ。やっぱりアリスが火傷したのってその人達が原因だったんじゃん。なんでこの家のメイドさん達はそんなに人に液体を掛けたがるの?』


「知りませんよ。とにかく、気を付けてくださいね」


 小声でのやり取りを終え、ぷつ、と通信を切ると例の彼女達はカートにティーセットとケーキを乗せ、誰がどの家人に提供しに行くか打ち合わせを始める。


「私が大奥様に行くわ」


「え、でも大奥様、あの新人に来てほしいって」


「構わないわよ。むしろどうして今朝来たばかりの新人がいきなり上級になったのか聞きたいわ。みんなも気になってるでしょう?」


「それはそうだけど……」


「私だって上級なんだから、そのくらい聞き出せるわ。私に任せて」


 そう言って意気揚々とカートを押し、厨房から出ていってしまった。

 残された二人は相談し、それぞれ弟君と妹君に行く事にしたらしい。当然、残ったところは私に回ってくる。


「貴女、アンナお嬢様と奥様のところに行って頂戴」


「はーい」


 あの母子の様子をもう少し知りたかったからちょうど良かった。

 もし大丈夫そうならこれ以上深入りせずにこの家から撤退したい。

 元々、アンナ嬢本人がその気になりさえすれば乗り越えられる問題だったのだ。

 あの子は祖母と母親どちらかの味方をすればもう片方がかわいそうだと思っていたようだし、その気持ちは分からなくはないけれど、別にそこまで敵対しなくちゃいけない関係でもなかったはずだ。

 祖母に厳しい言葉で注意したあとは手作りのクッキーでもプレゼントして、お婆ちゃんも大事に思っていると伝えれば良い。

 それは他の人間には出来ない、孫だけに許された特権だ。


「失礼いたします。お茶をお持ちしました」 


 扉をノックしてアンナ嬢の部屋に入る。

 もう暖炉の掃除と所持品チェックは終わったようで、今はアンナ嬢ひとりだ。

 とても話がしやすい状況に心の中でガッツポーズを取る。


「エリー先生、あの、わたし……」


「お母様とお話出来ましたか?」


 こくん、と頷く。


「良かったですね」


「はい。だけど、お婆ちゃんは……」


「別に悲しんだりしていませんでしたよ。大丈夫です」


「そっか。良かった……。さすがにちょっと言い過ぎたかなって思っていたんです」


「あの年寄り、は確かになかなかキツい言葉でしたね。でも良いんじゃないですか? 私達が理事長にクソガキって言われたり、兄に地獄の使者と言われたりするのと同じようなものだと思えば」


「えっ……。エリー先生、そんな事言われてるんですか?」


「えっ。言われた事ないんですか?」


「ないです」


 ティーポットを取り落としそうになった。


 ――そうか。彼女、モテ子だった。

 いつの間にかちょっと仲間意識が芽生えていたけど、勘違いだった。

 モテ子は良い大人にクソガキなんて言われないし、家族に悪魔呼ばわりされたりもしないらしい。

 思わぬところで人としての格差を実感してしまい、それは時間が経つごとにボディブローのようにじわじわ効いてきた。


 ……私、性格の悪さを何とかしなければまずいんじゃないかしら。

 でも……どうやって?

 性格を良くする方法なんて思い浮かばない。

 なんか……ヤダ。

 今さらだけど、ハヤトは何で私の事なんか好きなのかな……。


 思わぬ角度から心にダメージを負った私は、カートを押してトボトボと厨房に向かった。

 これから食器を洗うお仕事だ。

 そのまま思考に没頭したいけど、もうすぐ夕方なので洗い物が終わったら洗濯物を取り込み、夕食のお手伝いに入らないといけない。

 そのあと邸内のカーテンを閉めに行って、夕食のお世話をして食器洗いをして、お風呂の準備をして就寝前のお茶を出して……。

 結構忙しいなぁ。

 帰ったら使用人の皆にはもっと優しくしよう……。


 廊下を歩いていると、大奥様の部屋からハヤトと上級メイド先輩が同時に出てくるのが見えた。微かながら、話す声が聞こえてくる。


「これでお掃除は終わりですか? ……お疲れ様でした。さっきアイスティーを作っておいたので良かったらどうぞ。……きゃあっ!」


 つまずいた(ように見せ掛けた)手元のカップからお茶が宙を舞う。


 ほ、本当にやってるー!


 口を開けて見ていたら、ハヤトの顔めがけて飛んでいったアイスティーが空中でじゅわっと蒸発して消えた。


「……えっ?」


 何が起きたのか分からないといった反応を見せる先輩メイド。

 そんな彼女に声をかけるでもなく、無視するような形でハヤトはスタスタとエントランスに向かって歩いて行った。

 おお……。あの人の塩対応、久しぶりに見た。

 マリアの時よりしょっぱいな。


 ふと、彼はこちらを見て、私に気付いて片手を上げた。

 そのまま私のところに歩いて来る。


「火傷、大丈夫?」


「はい。もう全然痛みは無いです」


「そっか。でももう一回やっとこうね。跡が残るといけないから」


 そう言って手袋を外し、素手で頬に触れる。

 これで計四回目の回復魔法。さすがにこれ以上は魔法での回復は見込めない気がするけど、有り難く受けておく。


「ありがとうございます。貴方も大丈夫でしたか?」


「うん。俺は全然。……気を付けてね」


「はい」


 顔は見えないけど、心配そうな声をしている。

 私は大丈夫だ。人より頑丈な自信があるから。


「これから巣箱ですか? ごめんなさい、二つもお願いしてしまって」


「それはいいんだけどさ。次また何かあったらもう全部事情を話して帰るからね」


「全部って?」


「そのまま。何もかも全部だよ」


 彼はそう言ってスッとウィッグの髪に手を滑らす。地毛が金髪なのをバラす――のではなく、私達が何者でなぜここで使用人をやっているのかをバラすと言っているのだ。

 それは嫌だな。

 身分を隠して乗り込んだのは自分なのだから、身分を使った圧力はかけたくない。

 家の名前は変なメイドの紹介元というだけでじゅうぶんだ。

 せっかく内部からメイプル男爵家女衆三世代の関係に働きかける事が出来たのに、家族との関係を見直すきっかけが“公爵家のお嬢様の口出しがあったから”になってしまったら嫌だ。

 私はそんなもので仲が左右される家族の姿を見たくないのだ。人に背中を押されたとしてもそれはあくまでもただのきっかけで、自分達で解決したと思ってもらわないと意味が無い。

 このこだわりは、完全にただのワガママだけど。


「本当にもう大丈夫ですって。私がそこそこ強いって知っていますでしょう?」


「……ラヴみたいな事言うね。確かに信用はしてるんだけどさ。だからって何があっても良い訳じゃないよ。……じゃあ、心配だけど俺もう行くね。空が暗くなる前に終わらせたいんだ」


「はい。頑張って下さいね」


 外に出ていくハヤトを見送って、邸内に視線を戻す。

 背後から先輩メイドがじっと見ている気配がした。


 来るなら来いやぁ!


 闘気を発しながらカートを押す。

 性格の改善は必要な事だけど、今はその努力は難しそうだ。

 世の中には、邪悪じゃないと乗り切れない局面が確実に存在する。

 善良な性格とは善良な人間に囲まれないと育まれないものなのだ。


 ……ん? でも、それを言うと私の周囲にいる数少ない人は良い人達ばかりなので、私が良い人じゃないのはおかしい。

 ……やっぱり本人の資質も関係しているんだなぁ。

 切ない。


 そんな事を考えているうちに厨房に着いた。

 シンクに食器を移していると、後ろにいた先輩メイドが話し掛けてくる。


「……貴女、あの煙突掃除夫と知り合いなの?」


「夫です」


「え!? そうなの? ……ああ、そうだったの。道理で。妙に距離感が近いと思ったのよ。……ふふっ、ずいぶん格好良さげな旦那さんね。でも煙突掃除夫じゃねぇ。生活に苦労してるんじゃない? 私もね、今つき合ってる人が商家の跡取りなんだけどぉ、もういらないって言ってるのにデートのたびに私にアクセサリーを買ったり三ッ星のレストランに連れて行ったりするのよ。お金の使い方が心配で心配で……」


 何か急に喋り始めた。

 適当に相槌を打ちながら食器を洗い、洗濯物を取り込みに行き夕食のお手伝いに入る。


 宵の入りの忙しい時間帯を越え、夕食の仕事も終えてようやく一日の勤務が終わった頃、大奥様から名指しで呼び出しが入った。


「エリーです。失礼いたします」


 扉をノックし大奥様の部屋に入ると、彼女は寝間着にショールを羽織りお酒を飲んでいるところだった。

 私の姿を認めると、椅子を引いて座るよう勧めてくる。


「疲れたでしょう。ここに座んなさい」


「ええ……でも」


「いいから。寝酒に付き合ってほしいのよ」


 彼女はそう言いながらグラスをもう一つ取り出し、中に魔法で氷を作りながら果実酒とオレンジジュースを混ぜ合わせた。

 それを私に差し出してくる。


「お、お酒はちょっと……」


「あら? アンタ、飲める歳よね? これ、ほとんどジュースみたいなものよ。……それとも、何か飲めない事情でもあるの?」


 探りを入れてくるような口調と視線に、覚悟を決めて席についた。

 グラスを差し出され、受け取るしかなかった私は思い切って少し口に含んでみる。


 ……ほんとだ。ジュースだ。おいしい。

 仕事終わりで喉が乾いていたのもあって、一気に飲んでしまった。

 キラービーの蜂蜜酒よりずっと飲みやすい。

 これなら飲んでも大丈夫そうだ。


「今日は色々あったわね。なんだか話したい事がたくさんあって困るわ」


 大奥様はそう言ってお酒を飲んだ。

 彼女は先ほどの夕食の席でもつい嫌味が口から出るたびにアンナ嬢に注意されていた。

 回を重ねるごとにアンナ嬢は饒舌さを増していき、最後のほうではむしろ毒を吐くのを楽しんでいたフシすらある。

 なんだか私の性悪さが移ってしまったような気がして申し訳ないなと思っていたら、大奥様は空になったグラスに琥珀色のお酒を注ぎ、炭酸水を混ぜながら口を開いた。


「……家人の持ち物がいくつか紛失していたのよ」


「えっ!? それは……。ど、どうなさるのですか?」


「ちゃんと調査するしかないわね。本格的には明日からだけど……今夜のうちに、ツィギーと執事に該当品の使用歴と使用人達の過去の勤務表をある程度洗い出してもらうわ。……一番減っていたのはヘレンの持ち物だった。筆記具やらアクセサリーやら、こまごましたものばかり。本人はまだ気付いてないけどね……。全く、ボンヤリしてるんだから」


 使用人による窃盗の疑いが出た時は、ある程度容疑者が絞れるまでは信頼の置ける人間だけで内密に調べる必要がある。犯人の逃走を防止するためだ。

 今回その件を奥様に知らせていないのは、奥様の耳に入ると調査が入っている事を犯人に気取られてしまう可能性があると思われてしまっているからで。

 まるで子供達と同じような扱いだ。

 女主人として当てにならない、と言われているも同然。

 なかなかの屈辱だと思うのだけど、大丈夫なんだろうか。


「持ち物をくすねられてもヘレンは怒らなそうなのよね。だから狙われやすいのでしょうけれど……情けないったらないわ。アンナは突然生意気になるし。全く今日はアンラッキーデイよ。飲まないとやってられない。ほら、アンタも飲みなさいよ」


 大奥様は私の空になったグラスにもお酒を注ぎながら、「古参メイドもアンタにライバル心をメラメラ燃やしていたわよ。どうして新人がいきなり上級に昇格したんですか、納得いきません、ですって。……今日一日で、我が家はアンタ一人に引っ掻き回されて大変な思いをしているの。明日からは少し大人しくなさい」と言った。


「はい。でも大奥様、私……状況次第では早々にお暇を頂く事になるかも知れません」


 飲みながら長期勤務はしない事を伝える。

 大奥様はさして驚かずにグラスを口に運んだ。


「あらそうなの。それはどんな状況?」


「私の目的が達成されたと思った時です。見立てでは、そう遠くない時期に叶う話かと」


「それはアンナの反抗を手助けするという話? ……分からないわね。何故、あの子と特別親しくもないのにそんな事をするの?」


 のんびりしたペースで会話をしながら、彼女はさりげなく私のグラスにお酒を注ぐ。


「彼女が母親思いだからです。奥様が辛い時に助けてやれない自分を責めているように感じたので……無意識であれ、自棄になって自傷的な行動に向かっているのをやめてもらいたくて」


「自傷的な行動……。詳しく聞きたいわ。それにしても貴女、まるでアンナの事をよく知っていて自分の意思でここに来たような話し方をするのね。お嬢様に頼まれて来たのではなかったの?」


 ひっ。

 なんだかペラペラ喋ってしまったような気がする。

 ……あれ? 私、何をどこまで大奥様に話したんだっけ?

 どんな嘘をついていて、本当の事はどこまで話した?

 だめだ……なんだか頭がポワーンとしてまとまらない。


「じ、自傷的な行動と言ってもあれですよ? あの、手首を切るとかそういう事ではなくて、そういう心配はなさらなくて大丈夫なんですけど。お母様が不幸そうな顔をしていると娘は辛いという話です。辛さから逃れたいけれど自分だけ幸せになるのは無意識に拒否してしまう心理が働いて、あえて茨の道に進みたがるようになるというか。私、見ててほんとにつらかったんですよぉ。なんでよりによってそっちに行っちゃうのぉって……ぐすっ。やめてほしかったからぁ、だからこんな事を始めたんです……。色んな人に迷惑をかけてるの分かってたけど、ただ“やめなさい”って言うだけだったら去年と同じになるんじゃないかと思ってこんなことを……大奥様、私もういやです! なんで人は正直に生きられないんでしょうねぇ!? 嘘ばっかりついてると自分のことも信用できなくなるって本当なんですよ! 私、もう自分が信じられましぇん! なんでこんなに性格が悪いのぉ、もういやぁ」


 私は思い付くまま言葉を並べ立て、しまいには泣き始めてしまった。

 自分でも何を言っているのか分からなくなるような酷さだった。

 そのあとも勢いに任せて捲し立て、最初は律儀に相槌を打っていた大奥様もある程度時間が経つと一言も言葉を発さなくなり、やがて頷くことすらやめてしまった。

 そうしてしばらく経ったあと何やら席を立って扉を開けて廊下に顔を覗かせる。


 それから更にしばらくして扉がノックされた。

 誰かが来たようだ。

 目が回って来訪者の姿を確認できずにいる中、大奥様は入り口近くで立ち止まっているその人に話しかける。


「ああ、待っていたわよ。見てほら。彼女に色々喋ってもらいたかったのだけど、早々に潰れてしまったの。たちが悪いからもう連れて行って頂戴な。……あのねぇ貴方、もうその変装は解きなさいよ。もうススを被る時間は終わりでしょう」


 顔をそちらに向けたいけど、頭がくらんぐらんするし何だか今日の疲れが一気に襲ってきたようで体が異様にだるい。

 動けずに目を閉じると足音が近付いてきて、大きな手のひらがそっと髪を撫でてきた。

 頭の上で、二人の話し声がする。


「あら? 貴方……昼間の人と違うのではなくて? 嫌だ、誰かと入れ替わったの!?」


「違います、大奥様。入れ替わってません。警戒しなくても大丈夫です。俺、ちょっと変な体質で……朝と夜で色が少し変わるんですよ。ただそれだけです。それより、彼女に何を飲ませたんですか?」


「ただのお酒よ。貴方の奥さん、ずいぶん弱いのね。それにしても朝と夜で色が変わるなんて奇妙なこと。カメレオンみたいね。……あら、そういえば、貴方のような人の話を最近聞いた気がするわ。どこで聞いたのかしら。ええと、確か息子が叙爵の儀式で見たって言っていたような––」


 はっと息を呑む大奥様。

 ああ、話が良くない方向に転がっている。誤魔化さないと。

 そう思って必死に重い瞼を開くと、口元を両手でおさえる大奥様と、顔をさらけ出して人差し指を口元に当て、“しーっ”と口止めをするハヤトが向かい合っているのが見えた。

 もうそれ以上目を開けていられず、再び目を閉じる。

 そこから急激に意識が落ちていって、二人の会話が聞こえなくなった。


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