英里衣編②:キャットカフェ・MAY

「ここです、このお店!」


 自称高機能ナビゲーター葉那ちゃんの案内により、僕たちは目的の猫カフェに辿り着いた。場所は吉田さんの言ったとおり駅前の本屋の真横で、学校からはだいたい歩いて十分くらいの距離にある。ファンシーなたたずまいの外装と看板が目を引く店舗は、駅前エリアの中でもかなり目立っていた。


「キャットカフェ・MAY……」


 吉田さんが水色の看板を読み上げる。雑居ビルの一階に設けられたお店には大きめの窓が取り付けられていて、中の様子が覗えるようになっていた。開店からまだ時間が経っていないのか、ドアの左右にはいくつかの祝い花が置かれていた。たしかにこんな派手なお店があれば記憶に残らないはずがない。


「行きますよー、先輩方。わたし、絶対に猫ちゃんと仲良くなってみせますからね!」


 先頭に立つ葉那は、クーポンを握りしめて鼻息を荒くしている。どうやら猫と遊びたくて仕方がないらしい。僕たちは半ば彼女の勢いに押されるようにして店内に入った。入り口近くのレジカウンターでクーポンを提示し、滞在時間を申告する。とりあえず、まずは基本の一時間パックで滞在することにした。


 店内でのルールを聞いてからレジの横を抜けると、まずはフリードリンク用の紙コップ式自販機と手荷物用ロッカーがあり、そのさらに奥に猫たちやほかのお客さんがいるカフェスペースが広がっていた。僕たちは荷物を預けて飲み物を手に取ると、早速小さなテーブルのついたソファー席を確保した。こういうところは飲み物はおまけで猫との時間を過ごすことに重きを置いているのだと聞いたことはあったが、どうやら本当のようだった。店内は平日にしてはお客さんが多く、そこそこ賑わっているようだ。


「さあっ、遊びましょう、猫ちゃんたち!」


 葉那はほんのちょっとだけコップに口をつけると、すぐに猫が三匹ほど固まっているところに向かってしまった。残された僕たち三人は彼女の様子を見守りつつ、とりあえず店内の雰囲気と会話を楽しむことにした。


「ふふ……これで私は大丈夫。無敵。レベルアップ。バフ増し増し。ふふ……」

「よかったですね、吉田さん」


 吉田さんは好物のオニオンコンソメがあったことで非常に満足そうにしており、ほんの少しにこにこしているように見える。この塩気のある飲み物の何が彼女にそこまでの力を与えるのか、今度ちょっと教えてほしいと思った。


「じゃあ渡瀬、一応調査の話でもしておく?」

「うん、そうしよう。せっかく吉田さんもいるんだし」


 今回調査しようとしている魔女の遺産は、槇村さんが吉田さんから教えてもらったものなのだという。それなら最初に吉田さんから話を聞ければ、何かとスムーズだろう。そう考えて、僕は吉田さんに話題を振った。


「まずは『時越えの扉』の場所について。これはプール裏の倉庫にあるんでしたっけ、吉田さん」

「うん。今日だけはかのんちゃんって呼んでいいよ、渡瀬」


 会話になっていない。


 しかし、ここでめげてはいけない。かのんちゃん――吉田さんの不思議なペースにある程度呑まれてやるのも魔女研のメンバーには必要なことだ。それは僕が魔女研での短い生活の中でなんとかつかみ取った知見だった。


「えーっと、じゃあかのんちゃん。その倉庫について、もう少し具体的な情報を……」

「うるさい。かのんちゃんって呼ばないで。田中以外」

「コンソメ没収しますよ!?」


 会話になっていないにもほどがある。


 さすがに吉田さんの理不尽なペースについていけず、僕は声を荒げてしまった。吉田さんは僕の向かいでぷうっと頬を膨らませながら、温かいオニオンコンソメの入った紙コップをがっちり抱えている。どうしよう、自分にはこの事態をおさめることができない――僕は救いを求めるように隣の槇村さんに視線を送った。


「ん? あー……和穏、『時越えの扉』について知ってることを教えてほしいんだ。お願いしてもいいかな?」


 槇村さんは少し考えるように視線を泳がせた後、やわらかく子供に言って聞かせるように語りかけた。


「ん……英里衣ちゃんはコンソメ取らない?」

「取らない取らない。だからへそ曲げないで、ね?」

「わかった。教える」


 吉田さんは最初だけ拗ねたように口をとがらせていたが、そのうち槇村さんの説得? を受け入れたようだった。こんな調子だと、どちらが先輩なんだか判ったものではない。というか吉田さんってこんなに子供っぽい人だったのか。そして何より納得いかないのは……。


「なんで僕と槇村さんとで、ここまで態度が違うんだろう……」

「あはは、付き合いの長さ、かな」


 もやもやしたものを抱える僕に、槇村さんは笑って言った。そういえば彼女たちは昔からの友達だったか。それなら確かに、態度が違っても仕方がないのかもしれない。


「ううう……」


 吉田さんから詳しい話を聞き出そうとしたそのとき、半べそをかいた葉那がテーブルに戻ってきた。手の中では遊び相手がいない猫じゃらしが寂しげにゆらゆらと揺れている。どうしたのだろうとその顔を覗き込むと、彼女は切なさをいっぱいに込めた声で叫んだ。


「なんで、なんで寄ってきてくれないんですかあ……!」


 ……葉那は猫に振られて落ち込んでいた。


「ぐいぐい行き過ぎなんだよ、花邑は。さりげなく横にいるくらいがちょうどいいんだって」


 槇村さんは笑いながらも葉那を励ます。すると彼女のところに一匹の黒猫が近づいてきた。黒猫は彼女の身体に何度も顔を押しつけたかと思うと、そのまま膝に腰を下ろしてまったりと落ち着いてしまった。


「英里衣先輩が猫にまでモテている……」


 葉那はひとりと一匹の様子を見て、なぜかさらなるショックを受けているのだった。僕は葉那がだんだんと哀れに思えるようになってきて、そっと彼女の分の新しい飲み物を取りに行くことにした。


「はい、葉那。オレンジでいいよね?」

「うん、ありがとう秋くん」


 葉那の目の前に飲み物を置いてやる。そして彼女の向かい、自分がもといた席に戻ろうとしたところ、先ほどと大きく違う風景が目に飛び込んできた。


「…………ふふん」


 あの黒猫が去った後の槇村さんの膝に、なぜか手足を組んだ吉田さんがドヤ顔で乗っていたのだ。さすがの槇村さんも少し迷惑そうにしているようだ。


「ちょっと和穏~。さすがに困るんだけど……」

「だめ。ここで毛玉の横暴を……いや、不当な資源独占を許してはいけない……」


 やけにもったいつけた言葉を選びながら吉田さんは言った。彼女の主張を日本語に訳すと、槇村さんの膝を黒猫が占拠していたことが許せないらしい。要するにやきもちである。


「って、猫に妬いてどうするんですか」

「うるさい。きみに私の気持ちは解らない。そもそもこれは世界平和に必要なこと」

「めちゃくちゃですよ吉田さん。もう突っ込むのも疲れたので、これ以上言いませんけど」


 やっぱりもうやだ、この同好会。


 その後なんだかんだと雑多な話題で盛り上がってしまい、僕たちは魔女の遺産の話をすることなどすっかり忘れていた。僕らが雑談を楽しんでいる間も槇村さんの周りには猫が何匹も寄ってきて、ちょっとした猫集会が開かれるまでになっていた。葉那の言うとおり、彼女は猫にもモテるらしい。


 それでも、たまには合わないお相手もいるようで。


「いてっ」

「槇村さん大丈夫?」


 槇村さんが鋭い声を上げて腕を引っ込めた。どうやら、寄ってきた猫に手を引っかかれたようだった。


「あちゃー……」


 彼女は手の甲をしげしげと眺めながら顔をしかめている。隣からその様子を覗き込むと一本線を引いたような傷ができており、そこから彼女の白い肌にわずかに血がにじんでいるのが判った。


「んー、大丈夫。ま、そのうち治るっしょ……」

「でも英里衣ちゃん、洗ったほうがいいよ」

「そだね。あたし、ちょっとトイレ行ってくる」


 吉田さんに促されて、彼女はお手洗いに向かった。彼女を待つ間に僕たちはソファーで寝そべっている茶色い猫になんとか構おうとしたが、葉那を筆頭に誰ひとりとして振り向いてもらうことはできなかった。


 それから槇村さんが戻ってきたところで、予定していた滞在時間が終了した。いくらクーポンを使っていてもだらだら居座っては財布に痛いので、僕たちは潔く退店することにした。財布の頼りなさという意味で、無駄に学生らしさを発揮した気分だった。


「あ」


 店から出てしばらく歩いたところで、槇村さんが言った。


「扉の話、忘れてたね」

「だね。また明日話そうか。吉田さん、頼んでいいですよね?」

「ん。いいよ。放課後、部室に来て」

「お、いよいよ秋くんたちも本格始動するんだね! 楽しみだなあ」


 僕たちはたわいもない話をしながらそれぞれの家路に着いた。焦らなくても明日があるし、文化祭もまだまだ先だ。だから、今はまだ焦らなくていいのだ。今はまだ――。

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