【悲報】黒い炎が街中を燃やして後輩は負傷、上司はパワハラで辛いです。

 高層ビルの隙間からは青空がのぞいている。多くの商業施設やオフィスが並ぶミッドタウンの天気は快晴で、屋台で彩られたカラフルな景色はより一層鮮やかだ。

 二月の終わりではあるがニューヨークの気候は不安定で昨夜は雪が降っていた。散歩するのだけでも足から伝わる雪のさくさくとした感触が心地よい。


「良い天気だな。寒いけど」

「そうですね」


 デックは自然な笑顔で同調する。ちゃんと笑えているみたいで安心した。

 俺は、ふと目に入ったダイナーを指差した。


「せっかくだし何かあったかいものでも食べよう! ほら、あそこにあるダイナーとかどう?」

「先輩、あのダイナーまだ営業時間外ですよ」


 デックの口を覆った手からくすくすという笑い声が白い息と共に漏れる。

 本当だ。人差し指の先にある『スウィーティー・ダイナー』と書かれたネオンサインは明かりを灯していない。


「それよりいいんですか? サボりなんて。取材じゃなかったんですか?」

「いや、俺の取材は終わったし」

「え? じゃあどうして」

「おまえ、最近根詰めていただろ? 局長はあんな感じだし」


 先ほどのやり取りを口にするとデックは表情を暗くしてうつむいてしまう。

 しまった! と俺は慌てて取り繕う。


「だから、たまには息抜き。なっ」

「せんぱ……」


 デックが俺の方を向こうとした、その時だった。


「え?」


 ゆらゆらと揺らめく炎が目に入る。炎はみるみるうちに大きくなり、あっという間にデックを包み込んでしまう。


「熱っ!? 火!?」


 燃え盛るそれからは残酷なほどの熱気を感じる。本物の炎だ。

 火事か!? いや、辺りはただの道路でなんなら雪が積もっていて、火元なんてどこにもない。

 それだけじゃない。この炎は目を疑ってしまうような現実離れした特徴があった。


「なんで……黒?」


 炎の色は赤でもオレンジでも青でもなく、黒かった。こんなものを見るのは当然、生まれて初めてだ。


「ぎゃあああっ!」

「助けてくれえええっ!」


 辺りには悲鳴が木魂する。デックだけじゃない、周辺の人間の多くがこの漆黒の炎に燃やされて、ちりちりと焼ける異常な臭気が立ち込める。


「熱い……熱い!」


 炎の中からデックが声を上げた。まずい、このままじゃ彼が危ない。


「待ってろ! 今助けてやるからな!」


 火が燃えているなら水か? 辺りの雪を両腕で抱え込み、標的となる炎にばしゃりと投げつけた。

 だが、消火活動もむなしく黒い炎は煌々と燃え続ける。それだけじゃない。


「なんだよ……あれ」


 辺りを燃やす炎は人間を燃やし尽きると、地面に白い灰だけを残した。

 このままじゃ、デックも同じ事に――


「くそっ! 消えろ! 消えろよ!」


 嘲笑うようにデックを燃やし続ける黒い炎を俺はひたすらコートではたく。

 意味がないことなんて、分かっていた。それでもどうにか――

 奇跡を願っていたそのときだった。


「うおおおっ!」


 雄々しい声を上げながら、声と同一の印象を持たせる大柄で強面の男が俺と炎の間に割って入る。


「な、なんだ!」


 男は魚か爬虫類の骸が付いた大鎌をデックに向けて振る。俺は慌てて制止した。


「お前、やめろ!」

「下がってろ!」


 しかし、彼は構わず大鎌でデックを切りつけた。いや、デックではない。黒い炎を斬ったんだ。

 と、その時地面に何かが落ちる。


「なんだこれ……ナイフ?」


 デックを包んでいた黒い炎は、男の持つ大鎌が纏った黄色い炎によってかき消されていった。黒いナイフを落として。


「よし……なんとか間に合ったか」


 いつの間にか、デックを襲った黒い炎は忽然と姿を消す。

 いや、それよりも、大鎌って――こいつ、一体何者だ!?


「うう……」


 地面に倒れこんでいたデックがうめき声を出す。俺はすぐさま駆け寄った。


「おい! デック! 大丈夫か?」

「先輩……? ええ、なんとか」


 受け答えは出来ている。意識はある。全身に焦げ付いたようなまだらなやけどを負っているようだが命は無事のようだ。


「……にしても、何なんだあいつ」


 念の為、と思い俺はカメラで大鎌を振るう男を画角に収めてシャッターを切る。

 それに気づくと、彼はこちらを見て迫力のある表情で叫んだ。


「ここは危ねえぞ! 早く逃げろ」


 そう言うと、怖気づいたデックが俺の腕を掴んだ。


「に、逃げましょう! 先輩!」

「あっ……! おい!」


 怪我人に促されてはどうすることも出来ない。俺はカメラが吐き出した男の写真を握りしめて奇妙な大火事の現場を後にした。


 

 やっとの思いでオフィスへと戻ると、俺たちをみるなり編集長は目を丸くしていた。


「ただ今帰りました……」

「おお、……って、どうしたんだよ!」


すると、デックが口を開いて掠れた声でいきさつを語り出す。


「なんか、突然黒い炎に焼かれて……」

「おまえは喋らなくていいから。ほら、まずは火傷を冷やせ」


 冷凍庫から取り出した氷を袋に入れた出来合いの氷嚢をデックに渡す。

 代わりに俺がことのあらましを編集長に説明した。


「もしかして、さっきこの辺りで起きた大規模な火事と関係あるのか?」

「火事?」

「ああ、何十人もの人間が火あぶりだって。それも……黒い炎に」

「!」


 黒い大火事。俺たちが見た光景と同じものだ。


「そうです! デックが焼かれたのもその黒い炎――」

「話は聞かせてもらった」


 俺の言葉を遮る低い声が響く。声の主の方を振り返ると思わず「げ……」と心の声が漏れた。


「局長……」

「丁度いい。局長室に来い」

 俺は半ば強制的に局長室へと連行された。


 俺が連れられた局長室はタイプライターのコレクションと流行の家具に囲まれた厳かな個室だ。

 紫煙と葉の焼ける香りが漂う。煙草を吸っていたのだろう。

 当然のことながらこの空間に居るのは俺と局長の二人だけだった。つまり周りの目はない。それ故に局長は皮張りの高級椅子でふんぞり返って俺を睨みつける。


「分かっているな。これは大きなネタだ」

「黒い炎による大火事が……ですか?」

「それ以外ないだろう。単刀直入に言う。おまえ、このネタ掴んで来い」


 そんな気はしていた。どこからともなく現れる黒い炎が人を灰にしてしまう。

 こんなにセンセーショナルで恐怖を煽るネタをこの男が見逃すはずないだろう。


「運がよかったな。うちの関係者である奴が被害にあったからこそ、独占インタビューができる」


 運が……よかった? 独占インタビューって、どういう事だ?


「あの炎の正体は何なのか? 彼にどういう要因があってあのような事故が起きていたのか? デック本人からじっくり根掘り葉掘り聞け」


 あんな目に遭ったデックに根掘り葉掘りだと? やけどを負って傷が癒えていない彼にそんなことができるわけないだろう。


「いいネタを掴んだな。黒い炎の悲劇がいかに凄惨か分かる火傷の写真と気になる見出しを付ければラジオもテレビも――」

「局長! 彼は……被害者ですよ?」


 俺は局長の言葉を遮って叫ぶ。すると奴は目を細めて俺を一瞥すると深くため息をついた。


「なんでも取材するのがおまえの仕事だろう? ヒューバート・サーシェス」

「っ……」


 痛いところを突かれる。たしかに、俺は記事の為ならなんだって取材をするという契約のもとで雇われている。

 でも、それでも――!

 ふと、脳裏に一枚の写真が過った。

 そうだ、あるじゃないか。とっておきのネタが。

 ポケットに入れていた写真を取り出して思い切り机に叩きつけた。大きな音に局長は驚き身を揺らす。

 机上に置かれたポラロイド写真にはバターブロンドの短髪に強面の男が写っていた。


「それよりも……もっと良い取材対象が居るんですよ」


 大鎌を振るっていた彼そのものだ。だが、そんな存在局長は知る由もなくて小首をかしげて鼻を鳴らした。


「誰だこいつ」

「分かりません。しかし、彼は黒い炎を消していました」

「炎を消す?」

「被害者に話を聞くより、炎に関わりのある彼の方がよっぽど事情を知っていそうだと思いません?」


 俺はゆっくりと口角を上げながら提案をする。


「……ふん、好きにしろ。記事が載るのならなんでもいいぞ!」


 局長は捨て台詞を吐きながら、椅子をくるりと回転させて背を向けた。

 タイムリミットは明日の朝。それまでにこの事件の真実を記さなければならない。


 局長室から編集部へ戻るとエスター編集長が心配した様子で俺を迎える。


「おい、大丈夫か……」

「ええ、平気ですから」


 俺は手をひらりと振る。その手でモッズコートを取った。

 が、腕を掴まれる感触が伝わった。


「どこ行く気だ」

「決まってるでしょ」


 なんで、そんな当然のことを聞くのだろう。


ですよ」


 俺が答えを口にした時には編集長の表情が心配をするものから恐怖の様なものに変わっていた気がする。


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