第2話

同週の土曜日の19時。


恵比寿駅から近いビル街のレストランバーに和馬を誘った。カウンター席で待っていると、ドアベルの音が聞こえて、振り返ると彼が来た。

先週よりも気軽な身なりだった。


赤ワインで乾杯し、ラムチョップのローストとボロネーゼを注文した。


「お酒はいける口?」

「まぁな。人並みに飲む方だ。」

「僕と一緒だ。明日休みでしょ?飲むだけ飲もうよ」

「あぁ。付き合ってやっても良い」

「僕さ、物書きの仕事してるって事前に話しただろう?次の構想でさ、子供について登場設定する予定なんだ。今の学校の子供ってさ、どんな子がいるの?」

「身勝手が多そうに見えるが、繊細な子もいる。物が手に入りやすい時代でも、不自由に感じる事もある。逆に昔からいる様なチャレンジ精神の強い子もいて様々だよ」

「そうなんだ。僕はさ、ゆとり世代的なところで育ってきたけど、あまり周りを気にしないで付き合っていたかな。そうか、皆それぞれか」


「落ち込んでいる?」

「そう見える?」


「執筆に悩んでいそうな顔つきだな」

「悩んではいない。ただいつまで今の仕事が続くのか分からなくてね」

「転職したいとか?」

「まだそこまではない。今の生活で満足しているし」

「…そうは、見えない」


まただ。じっと見つめてくるこの視線。


何か見破られてでもいるのか。確かに悩みはなくはない。彼にも打ち明けて良いものかと思うが、この独特の熱視線をどう対策すれば良いのかが困るのだ。


他の客に目をやった。すると誰かが僕らを見つめていた。あまり気にせず再び彼と会話をし出した。


2時間後、食事を終えて店の外に出た。歩き出そうとした時、先程店内で僕らを見つめていた2人組の男と、肩がぶつかり合った。すぐさま謝ったがジロリと睨み返された。


「なんだこのアマ?ちょっと顔貸せ。」


高架下のフェンスの所に連れて行かれ、首を掴み取られて脅しにかかられた。


「…おい、こっちは謝っただろう?いいから帰してくれよ」

「帰してくれよ?あはは、馬鹿かテメェ!」


相手が僕の頬に拳で殴り、その場のゴミ置き場に勢いよく倒れた。


「お前さ、金いくら持ってる?渡してくれたら帰してやるよ」


すると後ろから和馬がパイプ管で相手の背中を殴ってきた。


「テメェ、殺してやる!」


彼は相手の拳を交わし、胸ぐら掴んで背負い投げをして地面へと突き落とした。


「畜生、なんだよコイツ!」


その隙に僕はパイプ管を拾い、振り上げてもう1人の相手の背中を思い切り押し倒した。和馬が僕の手を掴んできた。


「走るぞ!」

「お前ら待てっ!」


2人で駅とは逆の表通りの方向に走り逃げた。


和馬が先頭を切って、彼の後方に付きながら全力で走った。


とあるビルの中に入り、奥の空き部屋へ身を匿かくまった。男らが通り越して行くのが分かると、和馬は更に上階まで登って身を隠そうと言い出した。


エレベーターで最上階へ行くとフィットネスジムがあり、周りの目を見計らってプールのある場所へと向かった。


「なぁ、勝手に入って良いのか?」

「誰もいないな。いいから来い。」


プールサイドにたどり着いたその時、和馬がわざと僕の身体をプールへと突き落とした。続けて和馬も飛び込み、プールの中へと沈んでいった。

目を開けると和馬が腕を引っ張りお互いに水面に顔を出した。僕は彼の肩の上に乗り掴みかかった。


「お前、何のつもりだ?!」

「しっ!黙って…今日はスリルがあって面白い」

「馬鹿な事するな。服も全部この通り駄目になったぞ」


和馬が僕の身体を抱き寄せて、暫くお互いに見つめ合った。


「お前の本音は、こうだな?」


彼がそう言うと、僕にキスをしてきた。


これには逃げる事ができなかった。

不意打ちに唇を触れてきた事に、驚きはしたが何故か逃げたくはなかった。


遠くから人の声が聞こえてきた。ジムの従業員から声をかけられ、出るように注意を促された。


タクシーで僕の自宅に向かい、和馬を上がらせてタオルと着替えの衣類を貸してあげた。


彼が小さくくしゃみをした。

僕は思わず笑ってしまい、彼からからかっているのかと言い放ってきた。


シャワーを浴びている間、僕は着替えを済ませて、スマートフォンを開くと、仲間からメールが来ていた。


「上手くヤっているか?とりあえず堕とすだけ堕としておけ。…馬鹿かアイツら。全く」


堕とすどころかプールに投げ飛ばされて嫌な気分になったのはこっちだ。

浴室から彼が出てきた。


「シャワーありがとう。凄いさっぱりした」

「あのさ、俺達今日会って2回目だよね?何であんな事に巻き込まれた挙句に、貴方にプールに突き落とされなきゃいけなかったんだ?」

「もう済んだ事ですよ。上手く逃げられたのも、運が良かったし」

「それと、貴方、あの男らに勢いよく投げ飛ばしましたよね。なんか武術でもやってたんですか?」

「一応柔道をやったことがある。その勢いで技をかけたら、うまくいっただけですよ」

「ソファに掛けてもいいですよ。…まぁ、変な奴らに捕まったのは運が良くなかったな」

「僕も初めての経験をさせてもらって学習したよ。もう2度と危険な目には遭わないという事をね」

「こちらも学ばさせてもらいましたよ」


「あの…」

「何か?」


「お湯、もらってもいいですか?」

「食器棚にカップあるんで、適当に使ってください」


「…はい」

「俺はいらないよ」

「飲めば温まるよ。ほら」

「じゃあ…もらいます」


「これ、筧さんの仕事場?」

「えぇ。片付いてなくて済まない。いつもこんな感じで積み上がっているんです」

「執筆家らしいな」


マグカップの白湯を飲んだ。

あまりこうして飲む事はないが、彼から渡された白湯は身体が温まった。


「飲み直しますか?」

「結構だ。あれだけ走った。酔いもすっかり抜けてしまったから、またこの次にしましょう」

「そうだ。アドレス。連絡先交換しましょう」

「まぁこの機会だ。良いですよ、QRコード読み込みできるかな?」

「…やっと教えてくれた。次からは互いのメールでやり取りしましょう」

「サイトの方ってカップリング成功にしておきますか?」

「まだ早いだろう?そんなに焦らなくても良いじゃないですか。」

「あのサイトの使い方、よくわからないんだよね。正直止めたくてさ。」

「もし僕らが付き合えなかったら、また新たに探すことしないんですか?」

「それもあり得るか…」


彼は何故か浮かない顔をしていた。何かあったかと聞き出そうとしたが、後程で良いと思った。


23時。終電も近い。そろそろ帰ると彼は言い出して、玄関に向かった。


「坂井さん」

「何ですか?」

「また、飯食いに行きましょう」


「できればもう少し君の事が知りたい」

「え?」


「…なんてね。冗談だ。服は後日返しに行きますね」

「いつでも良いですよ。お構いなく」


「じゃあまた。」

「お気をつけて」


玄関のドアが閉まると、僕はシャワーを浴びに行った。洗面台の鏡に向かいドライヤーをかけていた。


先程プールで彼とキスをした時の接触を思い出した。ドライヤーを止めて暫く自分の顔を見ていた。


初めてのキス。唇を重ねた瞬間、浸透するように柔らかくてほの温かい。そして膨張した泡に吸い付き纏われた感覚になった。


いや、あれはやはり不意打ちに起きた事だ。

もしお互いに好意を持って合意の上でするなら、本当のキスになる。ふざけてされた事だ。本気にならなくて良い。


だが、僕は逃げなかった。衝動的にしたにせよ、何故和馬を許せたのだろうか。自分がよくわからない。深く考え込んでも仕様がない。


入眠剤を飲んだ後、ベッドに向かい身体を全て覆う様に布団を被り横になった。


数日後、仲間の1人からメールが入り、大至急とあるSNSのアカウントサイトを見てくれと言ってきた。


ログインをし、告げてきたアカウントの名前を入力して、ページを開いた。スクロールして出てきた画像を見て驚いた。


出雲和馬。声優業界はおろか、一部のファンにとって有名な存在の人物だ。

僕が出会った和馬と瓜二つ。


瓜二つじゃない。彼本人だった。


何故だ、何故彼は僕に近づいてきたのだ。

出会うはずのない存在。


しかし、彼は予想以上に苦悩した事柄を抱えていた。

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