第3話
「やぁナディー。元気にしているかい?」
「たった数日かそこらで変わるわけないでしょ。私は元気よ、トイフェルもね」
「それは何より」
約束の日、アンヘルはいつもの時間にナディーの店へとやってきた。
前もって用意しておいたストレートティーを彼の定位置にサーブしてナディーの後ろへ下がろうとしたトイフェルは、ふと見た顔見知りの警部補の顔に何時もとは違う雰囲気を感じ取った。
(なんだか、疲れてる?)
「トイフェルくん、ワタシの顔になにかついているのかい?」
「あ……すみません。特に何もついていませんよ、いつも通りの素敵なお顔立ちです」
「お世辞が上手くなったね、ナディーに仕込まれでもしたのかな」
「ちょっと、それどういう意味?」
ギロ、と睨まれて、アンヘルは冗談さと両手をあげて降参のポーズをとった。なぜ降参なのかはよく分からない。
「褒めているんだよ、社交辞令でもなんでもなくね。ナディーは世渡り上手な人だから」
「私がそんな人間じゃないって知ってるくせに、よく言うわ」
呆れたのか、それとも諦めたのか。ナディーは深く溜息を吐いた。
「…ま、いいわ。で、今日持ち込む話は先週のものだけなのかしら?」
「いや、別件もある。…シジェラ地区で起きた魔力事故の件についてだ」
「あぁ…何、またカウンセリングの依頼?」
「んー、場合によっては依頼するかもしれないけど、根本は違うかな。……
「疑いの目を向けられることに耐えきれず、私達
「さすがナディー、話が早くて助かるよ」
「はいはい、そりゃどうも」
人好きのする笑顔をニコニコと浮かべたアンヘルを適当に流して、ナディーは再度彼に向き直った。先ほどまで愛用のペンが握られていた右手にあるのは、かなりの枚数がある業務報告書類だ。
「貴方達国際魔法警備局が案じるような人は沢山見てきたし、実際に来たこともあるからね。あなたが言うような
「ついでで扱うようなもんじゃないんだけどな、これ……ん?」
「え、なに?」
アンヘルの反応が今まで見たことの無いものだったから、ナディーは思わず反応を返してしまった。今までは、業務報告書類の作成後に何か修正を求められたり、依頼主の情報をより細かく求められることがないよう反応しないようにしていたのに。
「いや、今気にしてる名前が依頼主の欄にあったから驚いてね」
「あぁ、そういうこと。詳しく知りたいんだろうけど、まだ無理よ。まだ仮依頼止まりだもん、その子」
「分かっているよ。ただ、どうにもこの子は心配事が多くてね、別でお願いしようとは思ってたんだ。もうあらかた知っているみたいだし、説明の手間が省けたな」
「シジェラ地区魔力事故だけじゃなくて、個人に対しての要件も?そんなに要件重ねてくるなら、あなた達だけ依頼料金を釣り上げてやろうかしら。私はなんでも屋じゃないってこの間も言ったのに」
「ごめんね。上の連中は
若いうちにめざましい出世を遂げているアンヘルにしてもまだ警部補だ。上の階級の人間に逆らうにはまだまだ青すぎる。
加えて、このアヴニールという国にはは
有り体に言ってしまえば、使い捨てが効くのだ。若い警部補が受け持つ
今でこそナディーは自分はなんでも屋ではないと突っぱねることが出来ているが、師匠の元を離れてしばらくは飲み込まなければならなかった件も多かった。
「……まぁいいわ。魔力事故の件は一旦置いておきましょ。まずは、ダグル・ララの方を片付けないと」
「うん。とりあえず、これがダグル・ララの面会可能時間。ナディーの都合がつく日を教えて欲しい」
そうして見せられた資料は、随分と黒く染められていた。ダグル構成員相手の仕事で最初に見せられる面会可能時間を記した書類はは大抵数行分しか埋められておらず白い面積が多いというのに。
ダグル・ララという構成員は、どうやらこれまでの構成員とはひと味違う存在らしい。
「うわ、真っ黒。珍しいね、こんなに面会可能時間が多い子も」
「みんな言うんだよね、それ。まぁ、ダグル・ララはかなり大人しい部類の子なのは間違いないよ。枝みたいに細いから、戦闘員ではないだろうね」
「後方支援員ってこと?だとすれば余計珍しいね。あなた達を散々出し抜いてきた作戦を立ててるような構成員ってことでしょ?」
「うん。だからワタシは、ダグル・ララを仲間に引き入れたいんだ。彼女は今までのダグル構成員とは全く違う。理知的で、ダグルがどうして凶行に及ぶのかもちゃんと理解しているみたいだったから」
「しかも比較的低年齢で更生もさせやすい。仲間として引き入れるなら、確かにこれ以上ない逸材でしょうね」
都合のつく日にチェックを入れつつ、ナディーが口を挟んだ。
ナディーは今まで、何人かダグル構成員と“お話し”したことがある。
大抵は対話を拒否して大暴れし、結局そのまま寿命を抜く処置を取らざる負えない構成員が大半を占めるのだけれども、暴れつつもきちんと話を聞いてくれる構成員もいないことは無い。
どうやら今回の御相手であるダグル・ララは暴れるようなことはしていないようだし、アンヘルが仲間に引き入れたいと思うのもおかしい話ではないのである。
「
ふと、トイフェルがそう口を挟んだ。
「どうしてそう思ったのかな?」
「話を聞いていて、あまりにもできすぎている話だなって、思ったからです。」
「……確かに、トイフェルくんの言う通り、ダグル・ララがそう命じられている可能性は捨てきれない。実際、フリアー警視…ワタシの上司の、更に上の人からもそのことは指摘されている。それでも、ワタシはダグル・ララをこちらに引き入れたいのさ。彼女は確実に、昨今の膠着状態を解消する力を持っているから」
「膠着状態を解決する力、ですか」
「あぁ。それに、最初から国際魔法警備局に引き入れるつもりもないしね」
何を言い出すのだろう。ナディーは胡乱気な目線をアンヘルに送った。
「なにそれ。あんた個人の協力者にでもするつもりなの?」
「大正解!そうだよ、最初はワタシ個人の協力者になってもらうんだ。更生プログラムの準備も整えられるし、何より組織に入れるより目が届きやすくなるからね」
「そりゃそうだろうけど…相変わらずぶっ飛んだ賭けに出ちゃうのね、貴方。高等教育学校時代に何度も痛い目みてたくせに」
むしろ当時より酷くなっている気がする。
よいライバルでもあるこのくされ縁の男は、度を越した賭けに出ることがよくあった。それで身を滅ぼされるのは利害関係を結んでいるこちらとしてはたまったものでは無いのだけれども。
「まぁ、もうお互い大人だし、余計な口出しは辞めとくわ。はい、チェックを入れた日時なら今のところいつでもいいから、なるべく早く調整お願い。別の仕事が入って埋まることもあるからね」
「分かった、ありがとうナディー。じゃあ今日はこの辺でお暇させてもらうよ」
「あら、今日は随分短いのね。相変わらずごたついてる感じなの?」
いつになく早い退店に思わず首を傾げれば、彼はまぁねと苦笑する。
「ほら、来た時に話したでしょ、シジェラ地区の魔力事故の件。あれがどうにも厄介なんだ。暫くは忙しさが抜けないかな」
「そう。なら、次は私の方から出向きましょうか?」
「……いいのかい?そうしてくれるとありがたいな」
「えぇ、来週の今日、お昼過ぎでいい?」
「大丈夫だと思う。またあとで確認して連絡するよ。じゃあ、また今度」
「えぇ。トイフェル、お見送りを」
「かしこまりました」
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