期末試験③/陰

 亘が化け物と対峙している時、渚杜と綾音は悪鬼・悪霊を祓い終え一息ついていた。


 「ふー。勝負はどっちの勝ち?」


 「私の勝ちでしょう?」


 「えー、そうだっけ……っ!?」


 不服そうにした渚杜は北西から禍々しい気配を感じて息を呑んだ。その方角は和貴たちのいるポイント。急に黙り込んだ渚杜に綾音が「どうしたのよ」と問う。彼女の声が聞こえないほど渚杜の鼓動は早鐘を打っていた。嫌な予感がする。


 「久坂」


 「何よ」と返す綾音に「頼みがある」と渚杜が言う。


 真剣な声音と眼差しに綾音は表情を引き締めた。悪鬼・悪霊と対峙していた時よりも鬼気迫る渚杜の表情に彼は何かを感じ取り、それは危険なものだという事を綾音は瞬時に理解する。


 「ここを任せてもいいか? 久坂ならまだこいつら祓えるだろ?」


 渚杜の言葉と共にまた悪鬼・悪霊が湧いてきた。綾音は溜息を吐くと「仕方ないわね」と零し、霊符を取り出した。


 「パフェ」


 「ん?」と聞き返す渚杜に背を向けた綾音がもう一度パフェと繰り返した。


 「ここは引き受けてあげるから、今度パフェを奢りなさい。この勝負私の勝ちなのだし、当然でしょ?」


 一瞬、キョトンとしていた渚杜は「ははっ!」と笑い声を上げる。


 「な、何よ! いいでしょう!? 一人でこいつら相手にするんだからそれくらい報酬貰ってもいいじゃない!」


 背を向けている綾音がどんな表情をしているのか分からないが、たぶん赤面しているんだろうなぁと渚杜は緩く笑うと「分かった。奢るよ」と返す。


 「なら良し! 行ってきなさい!」


 綾音の声に背中を押されるように渚杜は駆け出した。ビルから屋根を伝い、和貴たちの方へと向かう。


 走りながら渚杜が黒緋を呼んだ。すぐに黒緋が姿を現し渚杜と並走する。


 「主、あっちから気持ち悪い気配がする。前に戦ったやつと似てるけど、今度はもっと気持ち悪い」


 「やっぱりか。じゃあ、ここからは狐憑き陰陽師としての領分かな」


 黒緋が頷いた。走りながら渚杜がレッグポーチに触れて「あ」と声を上げる。止まることなく黒緋が「主?」と問えば、渚杜は「お面忘れた」と言い出す。


 「……主、今はそれいいから」


 さすがに呆れた声を出す黒緋に渚杜が「どうしよう! はっ! そうだ、眼鏡と髪を上げて誤魔化すのはどうかな!?」と問うてくる。


 「主、眼鏡持ってるの?」首を傾けた黒緋に 「ない!」と渚杜ははっきりと答える。


 「……さ、行くよ。主」


 今のすべて聞かなかったことにした黒緋が先へ行く。渚杜は「黒緋~」と情けない声を上げながら式神の後を追った。



 化け物が近づいてくる。亘たちは既に呑み込まれ、この場に残っているのは和貴のみ。防御術で身を護り、いくつか咒文を唱えてはみたが悪鬼・悪霊のように祓えるわけではなかった。時間を稼いでいるつもりだが、今のところ助けがくる気配はない。逃げながら咒文を唱え続けていた和貴は荒い息を繰り返して立ち止まった。体は限界を迎え、これ以上脚を動かすことが出来ない。


 (はは……。こんなことなら最初に死んでおけば良かったな……でも)


 「どうせ死ぬなら一矢報いてやる!」


 和貴はずっと握りしめていた霊符を突き出した。化け物にとって霊符は危険な物なのだろう。和貴が霊符を使おうとすると邪魔をしていた。そのため咒文しか使えなかった。けれど、捨て身覚悟の和貴は「オン・マリシエイ・ソワカ」と唱え八咫烏を出現させる。八咫烏が和貴の前に出て化け物からの攻撃を防いでいる間に霊符に力を込めた。


 「一心奉送上所請、一切尊神、一切霊等、各々本宮に還り給え、向後請じ奉らば、即ち慈悲を捨てず、急に須らく光降を垂れ給え」


 霊符が熱を帯びる。続きを紡ごうとしたが、八咫烏の悲鳴が聞こえた瞬間、化け物の腕が和貴へ伸びた。真っ直ぐ伸びる腕に和貴は言葉が出ない。


 (ああ。終わった。死ぬな、間違いなく。……やっぱりダメだった)


 諦めて双眸を閉じた和貴は化け物の腕に取り込まれる覚悟をした。が、先に聞こえたのは化け物の悲鳴。恐る恐る目を開けた和貴の目の前には見慣れた姿があった。


 「まったく、和貴は霊符を使うのが遅すぎます。死んだらどうするんですか?」


 白銀の髪に白をベースとした水干姿の少女。刀身が月明かりを浴びて鈍く光っている。化け物の悲鳴は彼女が刀で腕を斬り落としたためなのだと数秒遅れて理解した。


 「え? あ、えっと……裏柳ちゃん?」

 「他に誰に見えるのですか?」


 問いに対して裏柳は眉を寄せながら返した。少し怒っているようにも見える。


 「だって、裏柳ちゃんは卯月の式神で、いつもあいつの傍に居るから……」


 「そうです。私は主様の式神。ですが、今は主様の命により和貴を護ります。ここに来る前に主様から霊符を渡されたでしょう?」


 言われて和貴は寮で渚杜から手渡された霊符の事を思い出した。あの時からずっと裏柳は霊符に封じられて和貴の傍に居たことになる。和貴は目を丸くした。


 「主様がもしもの為にと用意したのです。もう少し早く使うと思っていたのですが……」


 言いかけて裏柳は刀を構えなおした。化け物の腕が再生し終わっている。咆哮と共に化け物が突進してきた。裏柳の合図でそれを避けた和貴は地面で受け身を取り膝立ちのまま化け物を見据えた。突進した化け物は勢いよく柵にぶつかり体制を崩している。


 「この前戦ったのとはずいぶんと異なりますね。より凶悪になっている気がします……」


 「周囲の悪鬼・悪霊とあと……人間を五人喰らったんだ」


 「生きたまま、ですよね?」 


 頷いた和貴に裏柳は化け物を見上げた。前回戦ったのは死人。けれど、今回は生きた人間を喰らった化け物。まだ生きている可能性がある以上むやみに斬りかかることは出来なくなった。


 「喰われた人を避けながら斬るなんて出来ない……」


 零れた言葉に反応した和貴は裏柳の名前を呼んだ。


 「俺、目がいいんだ。あの化け物のどこに取り込まれた人がいるのか視えるよ?」


 和貴の言葉に裏柳の表情が少しだけ明るくなる。少女は刀を握り直すと、和貴の前に立ち刀の先を向けた。


 「和貴、もう少しで私の気配を察知した黒緋と主様がここに来ますので、それまで指示をお願いします」


 「分かった」


 先程まで震えていたはずの脚はいつの間にか震えが止まっていた。和貴は自分の両頬を叩くと霊符を数枚取り出した。裏柳ばかりに戦わせるわけにはいかない。護られるだけではなく自分も戦う、と和貴は裏柳の隣に並んだ。それを目だけで見た裏柳は小さく笑った。




 裏柳の気配を察知した黒緋が立ち止まった。つられて渚杜も足を止める。


 「黒緋」


 固い声音に黒緋が静かに頷く。


 「柳が戦ってる! 主、こっち!」


 裏柳が出てきたことではっきりと位置が分かった黒緋が再び走り出す。それに渚杜も続いた。和貴のいるビルの屋上に禍々しい気配が渦巻いている。近くまで来た渚杜が見上げて眉を寄せた。先日夢で出会った少女の言葉を思い出す。


 『破軍、辰に向きし時、陰に呑まれし者、すべてを呑み込み、やがて妙見へと還るであろう……』


 位置は予想通り和貴たちのいるポイント。陰に呑まれし者が何を指すのか、裏柳がいるという事は和貴は無事だろう。残りのメンバーを思い浮かべ、嫌な予感が脳裏に過り渚杜は気を引き締めた。


 「主! ビルの屋上! 黒い陰のようなものが見える! 何だろうあれ……この前の化け物に似てる気がする」


 黒緋の指す方を見ると、ビルの屋上に黒い陰の様な化け物が咆哮を上げながら暴れている。時折、上がる悲鳴に裏柳と和貴が戦っているのだろうと想像する。以前戦った化け物以上だと考えると不安が過った。


 (いや……ダメだ。俺は九尾を倒すんだからこんなところで弱気になるな)


 渚杜は不安を払拭するように数回頭を振った。化け物との距離まであと三百メートル。




 和貴の指示に合わせて裏柳が斬撃を繰り出し化け物へダメージを与えていく。和貴は取り込まれた同級生の場所がはっきり見えているのだろう。正確な位置を教えてくれている。だが、致命的なダメージは与えられておらず、化け物はすぐに斬られた個所を再生し襲ってくる。和貴のレッグポーチは既に空。手に握られた霊符二枚が最後だった。


 (くそ! 霊符もこれだけだし、裏柳ちゃん辛そうだし……やっぱり俺陰陽師としての才能ないな……。取り込まれたあいつらも助けられていないし)


 再び暗い感情が押し寄せてくる。化け物がそれを感じ取ったのかは分からないが、ニタリと嗤う。化け物は両腕を地面に付けると、グッと体重を乗せた。両腕に力を込め大きな躰を宙に浮かせると和貴目がけて急降下してくる。さすがの裏柳もどう対処すべきか判断出来ず動きが遅れた。


 「和貴! 逃げて!」


 珍しい裏柳の叫び声。和貴もそれに応えようとするが、影が迫ってくる状況に脚が思うように動かない。奥歯がカチカチと鳴り、体も震える。


 (主様、主様! 黒! 助けて、助けて……! 和貴が死んじゃう……!)


 裏柳は和貴を庇おうと駆け出すが間に合わない。それどころか二人とも潰されるだろう。焦りと、無力感で涙が溜まっていく。視界が滲む。


 「主様ぁー!」


 泣きながら渚杜を呼んだ。自分は本来なら主を護る存在。なのに、護るべき主に助けを求めている。そんな自分の無力さと悔しさにまた涙が溢れた。


 影が大きくなり和貴との距離が近づく。和貴は悲鳴すら上げる余裕もないのだろう。目を見開いたまま硬直していた。


 (裏柳ちゃんが泣いてる。俺が足を引っ張ったせいだろうな……。ごめんね。助けてくれてありがとう。俺はここまでだ……)


 痛みが先が、潰される苦しみが先か、それとも何も感じることもないまま呑み込まれるのか想像して和貴は瞳をきつく閉じた。

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