出発
寝ている渚杜の部屋をそっと開ける者がいる。気配に気付いた黒緋と裏柳が柄に手をかけて息を殺した。顔を覗かせた瞬間、黒緋が先に剣を抜き相手へ向けた。
「黒、待って。相手は空狐」
「主に何の用? いくら空狐でも危害を加えるつもりなら容赦しない」
待ったをかけた裏柳も警戒心は解いていない。式神の反応に気を悪くすることなく、むしろ感心しながら古弥煉が部屋へ入ってきた。
「よい童子よな。……今は式神だったか? どこかあの子たちに似ておるわ」
「で? 空狐は何しに来たの?」
「夜這い?」
「違うわ! 儂が少年に手を出すように見えるのか!?」
柄に手をかけたまま式神たちはジト目から軽蔑の眼差しへと変え、古弥煉のツッコミに「見える」と頷いた。
「この対応の仕方……やはり似てるんだよなぁ。そこの式神ズ、夜這いなんてしないから安心しなさい。顔を見に来ただけだから」
「……さっき見たのに?」
「寝顔を?」
ドン引きする二人に古弥煉は額を抑える。おそらくどんなに言葉を並べたところで二人は聞く耳を持たないだろう。ここは諦めるに限る。
幸い、敵意がないと判断したのだろう、黒緋と裏柳は柄から手を離した。視線は冷たいままだが、斬られる心配は無くなったことに古弥煉は安堵して少年の頬に触れた。熟睡しているようで、渚杜が起きる気配はない。
『ねえ、神様。お願いがあります』
『死んだ者が何を願う』
少年は空狐を一度見上げてすぐに視線を正面へ戻した。彼の瞳に映るのは高らかに嗤い声を上げる九尾の狐。紅い瞳から血の涙を流している相手を見ながら少年は涙を流す。固く握りしめられる拳は小刻みに震えていた。
『僕に……あの人を助ける機会をください。あの人を救うためならどんなことでも、ううん、僕のすべてを差し出します。だから、どうか……』
『何故、救いたい? 怨霊に体を奪われた時点であれはお前の知る者ではないぞ』
『体はあの人だよ。僕に温もりと思い出をくれたとても……大事な人なんだ』
声を震わせて溢れてくる涙を何度も拭う少年はしゃっくりを上げながら泣く。
『大事、か。救えるかは分らんが、方法がないわけではない』
空狐の言葉に少年が顔を向けた。涙に濡れた瞳が希望を宿し、空狐を見つめる。
『元服前に死んだ子供は地獄へ行き、賽の河原で転生するための試練を受けるのが通常だ。本来転生先は選べないんだが、この地に生まれ変われるよう図ろう』
『神様』
『あの九尾狐を倒せる者はこの先いないだろう。怨霊と狐を引き離すことが出来れば弱体化が狙えるかもしれんが。お前の願いはあの狐の体を怨霊から取り戻すことなのだろう? 狐の真名は知っているな』
少年は頷いた。口に出す前に空狐が人差し指を充て止める。
『言わんでいい。その名はしっかりと魂に留めておけ。真名が怨霊と狐を引き離す鍵になるやもしれん。……ま、単なる仮定にしかすぎんがな』
『それでもいいです』
『……分かった。では、お前の願いを叶えよう』
空狐はそう言って少年の目の前に手をかざすと、少年の体が傾いだ。それを受け止めた空狐は呪詛をまき散らす怨霊を睨んだ。相手には空狐たちが視えていない。
『怨霊よ、遠い未来お前を祓う者が現れるだろう。それまでこの地で大人しくしておれ』
そう言って指を鳴らすと、九尾狐の周囲に結界が展開され、地面から出た鎖に体を拘束される。もがく九尾狐の元へ影が二つ飛び出した。一人は青年、もう一人は四つの尾を持つ狐―天狐。その後、九尾狐は陰陽師と天狐の活躍により、祠へと封じられた。
「こんな子供が背負うべきことではなかったんだがなぁ……」
そう零すと古弥煉は顔を寄せて額を合わせた。黒緋と裏柳がすぐに反応して柄に手を掛けたが、剣を抜く前に顔を離した。
「殺気スゴイな。感心、感心。安心しなさい、加護を授けただけだから」
「……人間一人に加護を与えるなんて仮にも土地神がしていいの?」
「はっはっは! 向こうでは儂は何も出来ないからな。これくらいはいいだろう。今度こそ儂は出て行く。あちらで待っておるぞ、式神ズ」
大きな手で二人の頭を撫でた古弥煉はニコリと微笑むと部屋から出て行った。黒緋と裏柳は撫でられた頭に手を置き、やや不満そうに古弥煉が出て行った先を見ていた。
渚杜の寝室から出てきた古弥煉に太秦が手招きをする。古弥煉は太秦の招く方へ足を向けた。リビングへ入ると、太秦が酒瓶を振って見せた。
「古弥煉様、一献どうか?」
「頂こう」
椅子に腰かけた古弥煉に靜がグラスを渡し、太秦が酒を注いだ。グラスを傾けた古弥煉に太秦も同じく注がれた酒を仰ぐ。
「……太秦よ、お前は渚杜が九尾狐の待つあの地へ行くことに不安はないのか?」
「ないな」
「ウソだな」
間髪入れずに返した古弥煉に太秦は大きな溜息を吐いた。
「……はああ。古弥煉様、俺はあの子を預かった時からどんな妖でも倒せる力を付けるよう厳しい修業をさせた。正直、嫌われるんじゃないかと思うくらいのな」
「ふふっ、あの子は嫌うどころか、この人に追いつきたい一心で修業を頑張っていましたよ。よく泣いてましたけどね」
遠い目をする太秦の隣に座った靜が微笑んだ。それを聞いて「そうか」とだけ答えた古弥煉はどこか満足そうだった。
翌朝、簡単にまとめた荷物を持った渚杜を太秦と靜が見送る。
「じいちゃん、ばあちゃん。行ってきます!」
二人に向かって笑顔を見せる渚杜を靜が抱きしめた。
「ば、ばあちゃん!?」
抱きしめられて慌てる子の背中を優しく撫でながら靜は口を開く。
「渚杜。私たちの大切な子供。これだけは忘れないで。血は繋がっていなくてもあなたは私たちの子よ。どんなに離れていても私たちはあなたのことを想っているわ。だから……」
「靜」
靜は言葉を詰まらせた。今、口にしたかった言葉は渚杜にとって呪いになりかねない。「必ず帰って来て」は九尾狐と戦うつもりの彼には足枷になるかもしれない。そう思うと続きが紡げない。靜の肩に手を乗せた太秦は彼女の気持ちを汲んでゆっくりと頷いた。
「我が子であり、弟子よ。高校生活、楽しんで来い。そして、たまにでいいから手紙を送りなさい。靜も俺も最近の機器には疎いからな」
「うん!」
「もちろん、陰陽師を育成する機関に行くのだから更なる高みを目指せ。それと、他の陰陽師たちに遅れは取らんようにな」
「じ、じいちゃん……」
「ふ。ふふっ。太秦様ったら、要望が多いですよ」
「いや、だって……」
口ごもる太秦に靜はもう一度渚杜の背中を擦り、体を離した。
「帰省した時には渚杜の好きなものたくさん作るから。……いってらっしゃい」
「ばあちゃん……。うん! 行ってきます!」
元気よく返した渚杜は駅の方へ向かい歩いて行く。その姿を見送りながら靜が「ただいまが聞けるのを待っていますよ」と小さく零靜の肩を太秦は抱き寄せた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます