書き下ろし後日談

Encore! ヴァーチャル・ガール



「んぬぁ……」

 スマホのブラウザの検索窓の『非馬あらまパイマ 0/0』を目にした途端、声にならない声が出た。公園のベンチに尻を沈めて私は天を仰ぎ見る。あっついなあ、初夏の陽光。憎たらしいくらいの強烈な熱で、私の紺のパンツスーツをジリジリ直火焼きにしてくれる。はあ。就職からずっと着てるこのジャケットも、だいぶヨレが出始めてるし。パンツの方は膝が擦れて若干テカってきちゃってるし。いいかげん買い替えようかなあ。でも余裕ないしなあ。汗かきたくないなあ。午後からの仕事で臭ったら嫌だ。でもなんか……日陰まで動く気も起きない。なんかもう、どーでもいいやー……暑い……ちくしょー……またダメか……

 いや待て。

 検索機能なんか信用するな。何かの機能不全で引っ掛からなかっただけで、実はちゃんと名前があるかも。すがりつくようにスマホを握り、私はブラウザの画面にしゃこしゃこ親指を走らせる。『悠燕社 「女性の青春」短編コンテスト 中間選考結果発表』。目がくらむほどの小さい文字でビッシリ並んだ作品名と作者名を、頭からお尻まで全部見て……もう一度頭から全部見て……

 ないなあ……やっぱり私の名前は、ない。

 念のため作品名のほうでも検索かけて、やっぱり結果は『0/0』。はい。完敗です。

 ダメかあああー!

 高校の頃から書き始めた小説は、もうこれで何作目になるだろう。最初の頃に書いた作品は、今読み返すと恥ずかしくなるくらいヘタクソだけど、それに比べりゃだいぶ上手くなったと思う。大学に入ってからは、ちょくちょく公募にも送り始めた。ペンネームはシンプルに『パイ』だったけど、ネットで検索したらクックパッドとかシャトレーゼとかばっかり出てくることに気づいて、固有名詞っぽいのに変えたりもした。

 でもねえ。そういう小細工が虚しくなるくらい、私は結果を出せなかった。

 応募したのは、これで20……いや30回くらいかな? 長編、短編、ファンタジー、私小説、地方文学賞にカクヨムの公式企画、なんでもござれで色々チャレンジはしてみた。けどこれがまあ、ものの見事に全滅なんだな。結果らしきものといえば、どうにか中間・1次選考だけ通過できたのが計2回、某社の編集部からピックアップ記事で紹介されたのが1回。でも受賞どころか最終選考にも残れず。厳しい世界だ。

 知り合いのプロ作家の先生からは、「お前もう既に俺より上手いよ。20年前だったらとっくにデビューできてる」なんて評されたけど、それでも結果がこうなのは、深刻な出版不況の影響か、はたまた私の力たりなさゆえか。

 応募して落選するっていうのは、「アンタじゃダメですよ」っていうのを突き付けられることに他ならない。2回や3回ならともかく、10回20回と連続すれば、さすがにかなりメンタルに来る。うわさに聞く氷河期世代の人たちが就活で落とされまくってた時ってのは、こんな気持ちだったのかなあ。しんどいなあ、これは……

 ベンチの背もたれに後頭部を載せて、ぽかーんと口を開けてると、ぽいん! とスマホが鳴いた。職場からのメッセージだ。内容は別に大したことない。午前中にやった仕事を誉めてくれる上司の言葉と、午後に急ぎでこなしてほしい別件の指示。はいはい。やりますよ。このくらいなら残業しなくてもなんとかなるし。

 仕事のほうは問題なくこなせてる。思いのほかスムーズというか。今年度からババーン! と昇給したんだ。ボーナスもすごいくれるらしい。先日のフィードバック面談には、なぜか本部長まで来てニコニコしてた。なんだろ。私、目をかけられてる?

 変な気分だ……特に気合い入れてやってるわけでもないし、残業もロクにしないでササッと事務的に日々のタスクをこなしてるだけなんだけど、やる気のなさに不釣り合いなほど職場では評価されちゃってる気がする。別に出世したいって気持ちもない。単に、作家として食えるようになるまで食いつなぐ手段ってだけだ。なのに、なんでだろ。どうして、こんなに上手くいっちゃうんだろ。

 本当に評価されたい所では、こんなに必死にもがいて、もがいて、何もできずにいるっていうのに。

 ……ああ。暑い。

 骨も肉も焼け焦げて、形のない灰になりそうなほど……

 と。

 私はふと、視界の端に黒いものが居座ってることに気づいた。

 体を起こし、目を向ければ、濃緑の葉を広げる桜の木陰に、黒猫が一匹、座っている。いやに冷たい目で、私をじっと睨んで……

「……何?」

 私の問いに答えるかわりに、猫はお尻を上げて数歩歩いた。そこで立ち止まり、こちらを振り返る。刺すような眼光。そよぐ風と、ざわめく枝の影。

 誘われているような気がした。

 私は上司からのメッセージに返信することも忘れ、よろめきながら立ち上がった。



  *



 どこ行くんだろ。なんなんだろ。

 黒猫は明らかに私を導いていた。少し歩いては立ち止まり、ちゃんと付いてきているかを確認し、またどこかへと歩き出す。私は足早に後を追う。公園を出て、歩道を1ブロック進み、横断歩道を横切って、細い裏路地に体をねじ込む。なんなの? 猫ちゃん、私に何を見せたいの?

 わけ分かんないけど。行先も目的も見えないけれど。

 なんだかずっと、こんなことばっかりやってた気がする。小説を書き始めてから、もう8年。私はいつだって、どこへたどり着くのかも知らないまま夢中で書き続けていた。かつて胸の中に持ってたはずの圧倒的な爆発力、からっぽの私だからこそできた唯一無二のモンロー効果は、私という人間が雑多な生活のおりで埋め立てられるに従って薄れ弱まり消えてしまった。「明日も仕事だ」「早く寝なきゃ」「お米が切れた」「クリーニング取りに行く暇ない」「同窓会? 正直めんどい」「うっざいなあ、あんたとの関係は恋愛とかじゃないって言ってるでしょ!」「あーもう晩飯マックでいいや……」私は今や1人のオトナとして生きていて、だから給料稼いで食わなきゃいけない。食わなきゃ書けないんだから食うのに疲れて書けなくなってもしかたないでしょ? そんな言い訳で自分を慰め、次第次第に落ちていく執筆ペースを正当化する。最近じゃあ、もう、そもそも何がやりたかったのかも分からなくなってきている。なんで公募なんて送ってるんだっけ? 小説を書きたいだけなら今どきプロなんかならなくていい。カクヨムだってアルファポリスだってあるし、noteで販売したっていいわけじゃん。プロになって稼ぎたい? 正直それもさ……はっきり言うよ。いま私がもらってる給料以上に作家業で稼ぐのって、とんでもない超大人気作家にでもならないかぎり、たぶん、そうとう、厳しいんじゃないかな……

 なのに猫ちゃん。なんで君は、執拗に私を導いていくの?

 どうして私は、いついつまでも、君のお尻に憧れちゃうの?

 涙なんか、もう出ない。私は汗だけを拳でぬぐいながら、必死に黒猫を追い続ける。中華屋の裏を抜け、自転車チャリの集団を避け、坂道を駆け下り、荒れ放題の法面のりめんを草の根つかんでよじ登り、ビジネススーツとパンプスのまま暗い林を突っ切って――

 向こう側へ、出たとたん。

 私の前に、そらが開けた。

 そこは街の裏の高台の上。熱い陽射しでギラつく街が、大海原のように広がっている。極みの見えない天空の青。目が痛むほどに鮮明な夏雲の白。悠々と広がる新緑の枝葉が太陽の暴力から私を庇い、どこか遠くから吹き寄せた涼風が首元の嫌な汗を乾かしながら去っていく。

「あっるェー? クロマティも来たんー? ここ涼しいもんねえー」

 聞き覚えのある間延びした声。

 私は目を丸くした。さっきの黒猫が、草の上で寝転がってた女性の胸へ執拗にお尻をこすりつけている。猫を抱き寄せ、うりゃうりゃうりゃとメチャクチャに撫でまわす女性。え? なんであんたがここにいるの? というか何、その猫のこと『クロマティ』って呼んでんの? なんだそのネーミングセンス?

「あのさ……」

 と、私が女性に文句を言いかけた、その時だった。

 ぺょん! とスマホが一声鳴いた。

『雪花堂出版ファンタジー短編賞 優秀賞受賞のお知らせ』……ぇああああああああ!?

 私は呆然自失、ただただ口をパクパクさせて、右見て、左見て、前を見て、の笑顔を凝視した。が親指をピンと立て、クロマティが小さくニャンと鳴く。

 私は……草の上、彼女のそばに座り込んだ。

 あー。

 わー。

 いいや。仕事サボっちゃおう。

『コケて怪我したんで戻るの遅れます』

 とりあえず嘘八百を上司に返信し、これで何分くらい稼げるかな? とズルい計算を走らせながら、彼女の胸に顔をうずめる。



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ご機嫌よう、モンロー・マイ・ディア 外清内ダク @darkcrowshin

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