第19話 兵士たちの沈黙②

「————うん、そう。それで今家に帰ってきたところ。家は無事だったよ」

 パソコンを持ってリビングに戻ってきたら、ダイニングチェアに座ったユウリがサッチに今日起きたことを説明し終えたところだった。会話を邪魔しないようにそっと移動しつつ、ミアが無造作に置いた武器ハッピーセットがあまりにも邪魔だったので、いったん床にどかして私はソファに座り込む。まさかボロボロのドレスでパソコンを開くことになるなんて思わなかったけれど、今は緊急事態なんだから自分にできることをやらないと。

「あ、ねぇちょっと武器床に置かないでよ!」

 部屋から荷物を抱えて戻ってくるなり文句を言うミアにべ、と舌を突き出した。

「ソファの上にあったら邪魔だもん。っていうかミア、土足で踏んだところはちゃんと雑巾かけてよ?」

「しょうがないじゃんムカついてたんだからさぁ!」

「汚い。カーペットも買い換えて」

「はぁ?あんまり調子乗らないでよねナードのくせに」

「ちょ、暴力やめて!負けないんだからね!?」

「………ごめんねサッチ、ちょっと待ってて。巻奈とミア!喧嘩しないで!それで話の続きなんだけど、」

 ソファの上でもちゃもちゃとつかみ合う私たちを注意してから、ユウリが衛星電話に意識を戻す。今のは私悪くないのに!非難を込めてミアを見るとふん、と軽く鼻で笑われた。顔が整ってるせいですっごく嫌味だった。

「それで巻奈は何してるの?」

「今のうちにやることやっておこうと思って」

「合法なやつ?」

「めちゃくちゃ非合法」

 キーボードの上で指を躍らせながらミアの質問に答える。頭を使う作業をしているわけじゃないので、だらだらと喋りながらでも着実に進行度は増していく。

「でもミアは銃刀法違反だからそっちの方が非合法だよ」

「うわ~、そういうこと言っちゃう?巻奈のやることってまだ取り締まる法がないだけじゃん」

「それは法を整備する人が悪いよ。私悪くない」

「出たよ巻奈の傲慢なところ」

 またユウリに注意されたくないから喧嘩腰になる時は二人そろって小声になった。サッチは組織にいた頃から私たちの小競り合いを見慣れてるから、今更気が散ったりはしないだろうけど。というか、私とミアの喧嘩なんて可愛いものだ。配属したての時はミアとレイ、ユウリも含めて食堂が破壊されるレベルの大喧嘩だってしてたんだから………ちょっと懐かしいなぁ。

「状況説明はここまで。それで、どうしてレイが誘拐されることになったのか教えてくれない?」

『それをオレが知ってると思うのか?』

「………さぁ、どうだろう」

 言葉を切ったユウリが意味深な流し目をこちらに向けたから、そこでようやく私の出番を認識する。ミアの言葉からちょうど五分後。そっか、相変わらずいい勘してる。

「ユウリ、代わって」

 パソコンを片手に持ったままユウリに近づいて、衛星電話を二人で挟むように距離を縮めて。サッチに聞こえるようにゆっくりはっきり、落ち着いた声で。

「ねぇサッチ。私に隠し事が無意味なことくらい、分かってくれるよね?」

 沈黙。けれどそれが何よりの肯定だ。

 どれだけ強固なセキュリティに守られていても、どれだけ緘口令をしいても、ネットワークに接続している以上私の目からは逃れられない。サッチが長官を務める存在が秘匿された治安維持組織においてもそれは同じことだ。すべてがシナプスで接続された社会において、二進数こそが全能の神様なんだから。

「………関係があるかは分からないが、つい先日レッドアラートが出た」

 けれどしばらく黙った後、諦めたようにサッチが告げた言葉は私たちの予想を裏切るものだった。



 ————私たちが所属していた治安維持組織、正式名称を世界防衛機関なんていう大袈裟な名前の組織が請け負う主な仕事は、世界を守ることだった。

 『世界を守る』という表現自体は大袈裟でもなんでもない。文字通り私たちは、国籍関係なく世界が滅んでしまいそうな時に派遣される部隊として働いていたのだ。

 とはいえそこには国同士の利害関係や秘匿義務など、様々な障害が立ちふさがる。たとえ自国で世界が滅亡に至るようなインシデントが起きたとしても、それを正直に申告して他国の助けを借りようなんて国はゼロに等しい。そんな根本的な問題を解決するために開発されたシステムが『終末予測演算機・アマテラス』であり、人類の存続確率がゼロパーセントの事件、または事故に発令される最上位の警告がレッドアラートなのだ。


「レッドアラートって私たちが現役の時発令されたっけ?」

「一回あったんじゃない?イェルサレムで核兵器作ってたやつ」

「もう一回くらいあった気がする………なんだっけ、思い出せない」

『お前ら、それは機密事項だぞ。あまり軽率に喋るな』

「はーい」

 相変わらずお堅いサッチの言葉に生返事をして、さて、レッドアラートとレイの誘拐になんの関係があるんだろう?

『レッドアラートの震源地はシベリアだ。地図上では何も存在しない………ただ、昔ロシアの部隊が派遣されたという記録が秘密裏に残っている』

「レイの部隊………?」

『可能性はあるな。とはいってもこじつけに近いような内容だが』

 かつて、レイとドクターが一緒に戦った場所。彼ら以外の兵士が全滅して、その先は私でさえ見つけられないロストデータになった事件。

「無理やりのような気もするけど………偶然では片づけられないかも」

 ユウリが両腕に着けていたシルクの手袋を抜き取りながら、ほんの少しだけ眉を寄せる。こういう不機嫌そうな、人を寄せ付けない表情をしたユウリはぞっとするほど美人で迫力がある。

『アマテラスの誤作動という可能性もあるが、試す価値はあると思わないか?』

「それはないよ」

「え、急にめっちゃ否定するじゃん。根拠は?」

「だって」

 プログラムを実行しながらバックグラウンドでもう一つのシステムを立ち上げる。読み込み中のゲージが右端まで動ききって、画面に表示された文字をミアとユウリに向けた。

「アマテラスは私が作ったシステムだよ?誤作動なんてありえない」

 すべての衛星やネットワークを追跡し、世界の危機につながりそうな事象————人類が絶滅しそうな事象のきっかけを発見した時に出されるのがレッドアラートなら、すべての電子機器をハッキングできるだけの機能をつけないといけない。それができるのはきっと世界に私だけで、防ぐことができるのも私だけだ。

『………おい巻奈、今アマテラスを乗っ取ったな?』

「乗っ取ったって言い方やめてよ、元は私のものなんだから。サッチたちは使用料を払ってるだけでしょ?」

『あの法外な値段か………』

 心なしかサッチの声のトーンが落ち込んだような気がするけれど、適正価格なんだからあんまり文句は言わないでほしいよね。世界に一つだけの横断型監視システム、喉から手が出るほど欲しい国も組織もたくさんいるはずだ。高いお金を出してくれる人にじゃなくてサッチに売ってあげただけ、私は優しいと思うんだけどな。

「ごめんねサッチ、巻奈悪気はないんだけど………」

「え、なんでユウリが謝るの?」

「サッチに申し訳ないと思って」

「どうして!」

 裏切られた気持ちでユウリの顔をじっと見つめたけど、「いいから詳細データ出して」と軽くあしらわれてしまった。しょうがない、今回はレイのために我慢しよう。

「えっと………確かにシベリアだね。細かい座標も分かってる。軍事衛星には何も映ってないけど、これはたぶんデータが上書きされてるなぁ」

「上書き?」

「本当は何かあるけど塗りつぶしてるってこと」

 監視カメラのレンズの上に変わらない風景の写真を貼るような古典的、かつ原始的な手段だけど、これはネットワークを介した改ざんじゃないから手を出しづらい。それでも分かることといえば。

「見られたくないものがここにある………ってことは、逆説的に言うと、ここに行けば何かあるってことだよね」

「そういうこと!」

 ぱちん、と指を鳴らしてこちらに人差し指を向けたミアがにこやかに笑う。

「いやー、やっぱ持つべきものは治安維持組織の長官様だね~」

『それはいいが、お前らはどうやってシベリアに行くつもりだ?』

「………ハイジャックとか?」

「アメリカ軍基地襲うとか?」

「最悪密入国かな」

『普通に暮らしたいんじゃなかったのか』

「事情が変わったんですぅ」

 もちろん普通に暮らしたい。でもレイがいない普通の生活に意味なんてない。私たちがアブノーマルになってレイを取り戻せるのなら、安い支払いだと思うのだ。

「もういいよサッチ、ありがとう。ここから先は三人でやる。サッチは何も聞かなかったってことにしてくれればいいから」

「レイ連れ戻したら報告はしてあげるね~」

「あ、あとアマテラスの管理システムも戻しとくね」

『………これは一つ提案なんだが』

「お?」

 通話終了ボタンに指をかけていたユウリの動きが止まり、ミアが片眉を持ち上げた。私も作業が終わってプログラムを閉じようとした手を止めて、サッチの次の発言を待つ。

『レッドアラートが発令されたということは、俺たち世界防衛機関も人員を出している………シベリアにな。データの改ざんには気が付いていなかったから、より広範囲の捜索から指示したが』

「あ、そっか」

 よくよく考えれば当たり前の話だ。サッチ・シモンズ長官がレッドアラートに対してただ静観をするわけがなく、派遣されたとすれば私たちと同じ組織に所属していた部隊だ。

「へぇ、じゃあ現地で会うかもね。後輩だったら強力してもらおっかな」

『その部隊とは昨日連絡が途絶えた』

「おっと、不穏じゃん?」

 私たちほど優秀じゃないにしても、世界防衛機関に中途半端な人材はいない。レッドアラートに対処する目的で派遣されたなら、それは相当実力がある部隊………連絡がつかないのであれば、不測の事態が起きたと考える方が自然だ。

『今は追加で部隊を派遣するか、別の手段をとるかを協議していたところだ』

「相変わらず忙しそうだね」

『そこで提案だ。お前たちが別の手段になる気はないか?』

 衛星電話から聞こえるサッチの声は相変わらず落ち着き払っていて、一瞬意図を図りかねた私たちは三人で顔を見合わせる。それってつまり、今サッチが言ってるのって。

「つまり、私たちを世界防衛機関から派遣しようとしてる?」

『少なくともシベリア行の切符は手配できるぞ————片道切符かもしれないがな』




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