第14話 レッド・デーモン②
翌日。夕方からスタートだから遅く起きればいいと言われたけど、昨日見繕ったドレスに似合う顔にはならないといけないよね、ということで私は早めに起きだして出発一時間前にはすっかり準備を終わらせていた。これはかなりの快挙である。
「巻奈もう準備終わったの?」
「そういうミアだって」
「早くドレス着たくてね~、似合う?」
「すごく似合う!」
「ありがとう!」
ぱ、と満面の笑みを浮かべるミアにこちらも笑いかけて大きく頷く。ミアとレイは国籍の違いもあって背が高いので、今着ているみたいなロングドレスがよく似合った。二人とも軍人だったり傭兵だったりで、引退した今でも引き締まった綺麗な体つきをしているのも大きいかもしれない。
「私も筋トレとかしようかな………」
「え、どしたの急に」
「普段動かないから………こういうドレス着ると腕の肉とかが気になって………」
「えー、全然そんなことないけどなぁ」
ブロンドの髪を小手で綺麗に巻きながら、ミアがこちらに………正確には私の二の腕のあたりに視線を向けたので、慌てて手をクロスさせて腕を隠した。
「ちょっとなんで隠すの」
「恥ずかしい!」
「んんー、その程度で私から隠れたつもり?」
「ぎゃっ、」
小手を持ってない方の手がするりと伸びてきて柔く私の二の腕をつまむから変な悲鳴が出てしまった。非難を込めた視線を向けてもミアはどこ吹く風、首を傾げたんだか頷いたんだか微妙な角度で首を振っている。
「ど、どうだった………?」
「うーん、あんま分からん」
「分かんないんだ………」
「人間って生温くてキモいからあんま触ったことないしね」
「笑顔でそういうこと言わないでよ」
へらへらした笑顔と釣り合わないことを言われてちょっとだけ寒気がした。冗談じゃないからたちが悪い。
「どうしても気になるならレイズ・ブートキャンプしてもらったら?」
「それ私が着いていけるやつ?」
「大丈夫だ、死体になっても着いてこさせるから」
「ちょっと!」
いつの間にリビングに入ってきたのか、体を曲げてソファの背もたれに肘をついたレイがそんな物騒なことを言いながら人差し指にひっかけた車の鍵をくるくる回した。本人は気にしてないけど、胸元がだいぶ開いてるから前傾姿勢をとられるとこっちがそわそわしてしまう。
「もうみんな準備できてるみたいだし、車庫から車回してもいい?早く着いたら六本木うろつこうぜ」
「いいね、そうしよっか」
「賛成!私が車運転しようか?」
「勘弁してくれよ………ストリートレースに出場するわけじゃないんだぞ………」
「へ?」
善意から運転手に立候補したのにめちゃくちゃ嫌そうな顔をされてしまった。どうして?
「なんで本人がなんにも分かってない顔なんだよ」
「巻奈は自覚ないからどれだけ言っても無駄だってば」
「あっそ………とにかく今日の運転手は私だから!」
びし、と人差し指をこちらに突き付けて、レイがさっさとリビングから出ていく。人を指さしたらいけないんだよ、と注意する以前の早業だった。
「レイって運転好きだよねぇ」
「ノーコメントで」
「どうして!?」
ミアがさっぱり構ってくれないからちょっと寂しくなってしまう。ただそのおかげで大事なことを思い出した。
「エルとアールのご飯準備してくる!」
「はいはい、いってら~」
気の抜けた声と一緒にひらひらと手を振られて玄関に向かう。玄関の扉を見つめて廊下の左右に分かれて座っている二匹の頭をわしゃわしゃと撫でた。うん、今日もとってもいい毛並み。
「晩御飯置いとくから七時になったら食べるんだよ」
「ばう」
「よしよし」
エルとアール用のご飯の器にできるだけ均等になるようにドックフードを盛り付けながら話しかけると、お行儀よく伏せをした二匹からいい子のお返事が返ってきた。私たちがレイトショーの試写会を見る以上、いつもの時間には帰ってこれないのでこうしてご飯だけは用意しとこうと思っていたのに、さっきまでさっぱり忘れていた。どうせ玄関を出る時には思い出しただろうけど、せっかく早く出かけれるならレイが車を取ってくるまでの間にできる準備はしとかないと。
「ギルベルトさんに声かけなくても大丈夫?」
「大丈夫だよ、夜には帰ってくるしね」
軽い足音と同時に後ろからユウリの声が近付いてきた。声の発生源からして、さっきまで洗面所にいたのかもしれない。
「上映時間長いから結構遅いよ」
「………なんで上映時間が三時間半もあるんだろうね?」
「パンフレットには希望と絶望のスペクタクル超大作って書いてあったから、そういうことなんじゃない?」
「ユウリは前作を見てどうしてそんなに前向きなっ………!」
後ろに立つユウリを振り返って息を呑む。当の本人はどうして私が途中で喋るのをやめたのか理解できないみたいで首を傾げていたけれど、場違いな日本家屋の中でさえ彼女の異質さは際立っていたので私がこんな反応をしてしまうのもしょうがない。
「ユウリ、すごく綺麗だね………」
「どうしたのいきなり」
「いや、ごめんちょっとびっくりしちゃって………ちゃんと見てもいい?」
「別にいいけど………何々、ちょっと怖いって」
二匹の前から立ち上がって後ろに立つユウリの周りをくるくると回ってみる。華奢な肩とデコルテが露出した深い緑色のドレスは形も綺麗で、ユウリの雪みたいに白い肌によく似合っていた。お化粧も普段とは違う、目鼻立ちがはっきり見えるアイラインと真っ赤なリップが華やかだ。会場に着いたら写真とか撮らせてほしいなぁ、なんて考えながらその姿をじっと眺めていたら、ユウリがほんの少しだけ私から離れた。
「あんまり近付かないでよ巻奈」
「え、ごめん嫌だった?でも本当に綺麗だなって思ってて、」
「そういうのじゃなくて」
そう言って浮かべたちょっと困ったような笑顔がいつもと全然変わらなくてちょっと和んだ、ユウリったらどれだけ着飾ってもユウリなんだから。でもその瞬間。
「――――あんまり近付かれると殺しちゃう」
「………………」
す、と一歩下がって自分から距離をとる。「殺しちゃいそう」じゃなくて「殺しちゃう」。言葉にすれば数文字程度の違いだけど、そこには明確な差異がある。
「ごめんね………」
「いや、うん、私の方こそごめん。でもあんまり近付かないでくれると助かる」
「そうだよね」
あまりにも平和な生活をしすぎて忘れてた、ユウリは呼吸をするように人を殺せるんだ。今私たちと一緒に………というか、そもそも人間社会で生活できているのは、そういえば彼女の並外れた努力の成果だ。
「………もしかして、その恰好してると昔の感じに引っ張られるの?」
「そうかもしれない………あんまり近付かないでほしい………特に巻奈は弱いから」
「ユウリはじゃあ、助手席、っていうかレイの隣に乗る?」
「そっちの方が助かるけど、いい?」
「全然いいよ!レイにしときな!」
細い眉を寄せて眉間にぎゅっとしわを寄せたユウリが本当に困ったみたいに言うから、私は何度も頷くしかなかった。まさかB級サメ映画の試写会に行くまでの車中でこんな緊迫感を味わうことになるとは思ってなかったけど、よく考えて見たら普通のことだ。私みたいな日本人の価値観から言うと、全国に八百万もいる様々な神様のうち、確かに存在するであろう「人殺しの神様」に誰よりも愛されたのが
「なんか丸く収まってるところ悪いけど、私なら殺していいってことにはならなくない?え、大丈夫そ?」
「だってレイは殺されても死なないじゃん」
「それはそうかもしれないけどさぁ………」
玄関の前に車をつけたレイがハンドルに片腕を預けながら「なんか納得いかない」とぼやいているが、何事も適材適所なのでその呟きは黙殺させてもらおう。
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