1-5、私に戦う力が無かったから……

 彼は会社帰りに奇妙な風景に出くわした。人間が、宙に浮いていたのだ。


 何から何まで奇妙であった。2人の人物が相対し、異常な緊張感が張り詰めていた。


 1人は、黒いシルクハットと黒の燕尾服を着た男で、深緑色の外套を翻しながらゲラゲラと下品に笑い声をあげていた。

 もう1人は、落ち着いた色の赤いローブの上に、なんと猫耳フードのついた白いマントを羽織った少女で、ゲラゲラと笑う男を射殺さんばかりな勢いで睨みつけていた。


 そんな奇天烈な服装の二人が、地上10mほどの高さに浮かんでいるのである。



 ──このまま見ていて大丈夫なのか?



 彼がそのことに気が付いたときには、すでに遅かった。

 突然、二人の周囲に水晶のような物が5個ずつ出現したかと思えば、両者ともに暴風を伴うオーラを吹き荒らし始めた。



 緑マントの男が緑と黒のオーラを手繰り寄せ、虚空から数匹の怪物を出現させる。

 猫耳フードの少女が火炎弾を討ち放ち、それらの怪物を焼き殺す。

 猫耳フードの少女が焔を纏う騎士を呼び出せば、緑マントの男が巨大な樹木でできた怪獣を呼び出し、両者は激しい攻防戦を繰り広げた。



 これはなんだ!? あまりに超常な事態の連続に、彼は理解が及ばなかった。だが、宙に浮かぶ両者の、この激しい状態は、おそらく"戦闘"であり、今まさに、自分を含めた周囲のあらゆる存在が、その戦闘に巻き込まれているのだ。



 ──逃げなくては!!



 そう気が付いたときには、すでに逃げることもままならない状態へと事態は進行していた。

 様々な怪物が次々と出現し、炎の玉や燃えた石が雨のように降り注ぐ。断続的な微震が彼の足を掬う。



 やがて、猫耳フードの少女が放った強烈な一撃が、緑マントの男に命中し、ドンッ!という激しい炸裂音と共に、緑マントの男を吹き飛ばし、男は瓦礫の中へと墜落した。



『IGIYAAAAAAAAAAA!!』

 緑マントの男が悲鳴を上げながら、瓦礫から立ち上がる。しかし、その腕がボロボロと、まるで手編みのセーターが解れていくように消えていく。


 猫耳フードの少女は、止めを刺すべく男に向けて手をかざし、その手の中に白熱した光球を生み出した。が、それが射出されることはなかった。

 なぜならば、緑マントの男の体から光があふれ、周囲すべてをその光に飲み込んだからだ。


 彼は光に飲まれる瞬間、自分同様に戦いに巻き込まれ、今また同じく光に飲み込まれようとしている人物が"2人"居たのを見たような気がした……。



****************



 白く染め上げられた視界の先、ヴァレトが視たのは、地球という惑星に住んでいた誰かの記憶。これは彼の前世の記憶。


 だが、そんな記憶はすっかり忘れていた。忘れてしまっても何の支障もなかった。そう、今までは。

 今世での両親が死に、今また、自分に新たに"家族"を与えてくれた人たちに危機が迫っている。



 前世の最後に見た光の中、世界を超えたときに得た、彼の力。それを認識したとき、ヴァレトはその力を理解した。自然と口から言葉が紡がれる。


顕現せよレベラータ・アバタル無能の化生ロレム・V・イプスム






 目の前に迫る魔物たち、多数のゴブリンたちをかき分け、オーカラに近づいてきたのは、ゴブリンに比べて二回りは大柄なホブゴブリンだった。ホブゴブリンは舌なめずりし、垢だらけで汚い手をオーカラに近づける。

 この後、自身に降りかかるであろう境遇に、オーカラは眩暈を覚え、そのまま目と耳を塞ぎ、座り込んでしまいたい衝動に駆られる。しかし、自分は少しでもここで存在感を示し、箱馬車に忍ばせた"荷物"を気取られないようにしなければならない。あの子の母親として、最後の矜持である。


 彼女は力強く立ち続け、その汚物のような手を受け入れ──


 瞬間、ホブゴブリンの顔が、クッションのようにへこんだ。



「GYO?」

 何が起きたかわからないホブゴブリンは、自分の顔に両手を当て、綺麗に陥没し、今までとは全く造形の変わってしまった顔を撫でまわす。

「GYOGYOOOOOOUUUUUU!!」

 それは悲鳴なのか。奇声を上げるホブゴブリンに、さらなる攻撃が降り注ぐ。全身にクレーターのような陥没痕を残し、ホブゴブリンは数十m先へと吹き飛んでいった。そのまま木に激突し、ピクリとも動かない。


 オーカラは、今起きた事態がすぐには理解できなかった。いや、オーカラだけではない。敵である魔物たちですら、何が起きたのか理解ができていなかった。が、彼女は、自分の横に立つ"何か"が、今の事態を巻き起こしたことは理解していた。


「Shiaaaaaa……」

 横の"何か"から、空気を漏らすような音が聞こえた。オーカラは恐る恐るその姿を視界に収めた。


 焦げ茶色の陶器状の素材で全身が構成された、人形のようなモノが、拳を突き出した姿で静止していた。顔には辛うじて目や口らしきものがあるが、とても表情を形作る機能があるようには見えない。とても無機質な表情だ。


「すべて殺せ、ロレム……」

 オーカラの背後から、聞き覚えのある、しかし、あまりに残忍な色を含む声が聞こえた。彼の声に呼応し、"ロレム"と呼ばれた人形は、目にもとまらぬ速度で突進した。


 その拳闘士ロレムは魔物の群れへと飛び込み、その拳を叩き込み、その足で蹴り、潰し、魔物の群れを蹂躙していく。

 気が付けば、ヴァレトも拳闘士ロレムを追って、魔物の群れへと飛び込んでいた。剣を抜き、魔物を切り伏せる。背後からヴァレト飛び掛かったゴブリンは、拳闘士ロレムの回し蹴りを頭部に受け、首と体が泣き別れした。

 前の敵にひたすら剣を振るい、剣が折れれば柄で殴り、やがて素手で殴り、蹴り、ひたすらに魔物を屠り続ける。


 いつの間にか、ヴァレトは笑っていた。大声で笑っていた。

 逃げ惑う魔物たちを拳闘士ロレムで捉え、手足をへし折り、自分の足で首をつぶして絶命させる。彼のために、拳闘士ロレムはひたすらに魔物たちを行動不能にしていく。ヴァレトはそれらの止めを次々と刺していく。


 魔物が恐怖の表情を浮かべている。奴らの気持ちなどヴァレトにはわからない。だが、そんな表情を向けられているように感じられた。


 ヴァレトはさらに憎悪を燃やした。



 ──お前たちが! お前たちが母さんと父さんを殺した!!



 頭を踏みつけ、顎を砕く。

 魔物が命乞いのように悲鳴を上げる。



 ──助けを求めた人に、情けなどかけないくせに!!



 首に体重を乗せ、首の骨をゴキリと押し砕く



 ──すべて殺す、一匹たりとも残さない!




「もういいの! もう終わったから!!」

 突然、背中に柔らかい温もりを感じ、ヴァレトは止まった。マテリが背中からヴァレトに抱き着き、必死に彼を止めようとしていた。

「私も、お母様も、もう大丈夫、だから、もうやめて……」

 マテリは悲痛な声を上げる。


 ヴァレトは、降りしきる雨でも落ちきれないほど、泥と血に塗れていた。見渡せば、一面の血の海だ。その一部は、彼らを守ろうとした騎士たちの亡骸であり、そして大半はヴァレトが殺し、潰した魔物の残骸であった。


「ごめん、ごめんなさい。私に戦う力が無かったから……。ごめんなさい」

 マテリはヴァレトの背中に顔をうすめ、か細い声で謝罪を述べる。


「お嬢、様……」

 ヴァレトは、自分の胸に回されたマテリの手に、自分の手を重ねようとして、自身の手が血まみれであることに気が付いた。

 彼はその手を下ろし、ただ、雨がやまない空を見上げた。




=================

<情報開示>


無能の化生ロレム・V・イプスム

・3等級(顕現に必要な煌気オドは3ポイント)

・属性<無色>

・攻撃力:高 防御力:高 耐久性:高

・能力 なし?




+++++++++++++++++

<次回予告>


 前世の記憶を取り戻したヴァレト。暗黒の意思に飲まれ、暴走するという"黒歴史"を生み出してしまったことに身もだえる!!

「ぐはぁぁ! この年になって新たな黒歴史を作り出すなんて!! いや、8歳なら別にいいのでしょうか!?」


 次回:右手と瞳に宿る黒歴史


 (これは嘘予告です)



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