瀬戸を見送った後すぐに、蝉が薫の部屋にやってきた。蝉も客を見送った直後なのだろう、いつものがちゃがちゃした装飾品は身につけておらず、シャツの上に派手な振り袖を羽織っただけの姿だった。

 「瀬戸さんは、あんたのこと随分気に入ったみたいだったよ。」

 そうですか、と、薫は小さく呟いた。

 きみは、両方だね。

 その言葉がまだ頭の中を回っていた。

 蝉はしばらく黙っていた。

 薫も黙ったまま頭の中を回る言葉を押さえつけようと努力していた。

 すると唐突に蝉が右手を伸ばし、薫の背中を抱き寄せた。

 「瀬戸さんに、女を捜してる話、したみたいだね。」

 はい、と、薫はまだぼうっとしたまま頷いた。

 「女が見つかったからって、前借金を返さない限り、あんたはここを出られない。それ、分かってる?」

 はい、と、また薫は頷いた。蝉にきつく身体を抱かれながら、ふわふわと。

 「そんなに瀬戸さんはよかった?」

 「……え?」

 「たしかにあの人はセックス上手いけど、そんなによかったかって聞いてんの。」

 そこでようやく薫は、蝉の勘違いに気がついた。

 あくまでも薫は、きみは、両方だね、との瀬戸の台詞が忘れなくて呆然としているだけであり、蝉が思い込んでいるように、瀬戸とのセックスの余韻に浸っているわけではない。

 しかしその勘違いについて説明するのも躊躇われ、薫は咄嗟に言葉が出ず、黙ったまま身体を硬くして蝉に抱かれていた。

 また、短い沈黙が落ちた。

 その後蝉は、自嘲気味に小さく笑った

 「馬鹿だと思ってるでしょ。あんたに客はつくたびにこうやって嫉妬するつもりなのかって。」

 どう答えていいのか分からず、それでも蝉が苦しげなことだけは分かって、薫は自分でもどう動かしたいのかわからない唇をただ数度空回りさせた。

 「馬鹿、だよね。分かってる。」

 薫の沈黙をどう捉えたのか、蝉は薫を抱きしめたまま、長い口づけをした。

 薫はまだ呆然としたまま、蝉の唇をただじっと受け入れていた。そこには快も不快もない。蝉の切実さだけが虚空に浮かんでいた。

 「俺は馬鹿だから、あんたが誰かに抱かれるたびに嫉妬する。それが客でも同じことだ。俺は、馬鹿だから。」

 唇を離さないまま低く言った蝉は、そのまま薫を畳の上に押し倒した。

 そして薫を抱いた後、蝉は薫に40分間分の代金を支払った。

 薫は一瞬の逡巡の後、その金を受け取った。

 受け取らなければなにかが特別になってしまう。そのことを恐れたのだ。





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