追憶・四

 大獄丸は田村麻呂の直刀を見た途端、今まで背負っていた悪玉をあっさりと放り投げた。

 このまま尻尾を丸めて逃げればよかったが、そのまま手を掲げたのだ。

 大獄丸の宝蔵から、ひと際大きな大剣を取り出したと思ったら、いきなり大獄丸はその数を増やしていったのだ。

 田村麻呂はその姿を見て、目を細める。


「なるほどなあ……貴様、分身の術まで心得ているという訳か」

『貴様のようなものと、まともに戦ったところで、倒せるとは思えんからなあ。鈴鹿は帰してもらうし、その女もいただく』

「いい加減にしておけ。強欲は身を滅ぼすぞ」

『黙れ……!』


 増えた大獄丸は、一斉に田村麻呂に襲いかかってきた。

 大剣を大きく振り回した大獄丸に、火の鳥が突っ込んでくる。が、その火の鳥を大獄丸の大剣が霜柱で受け止め、一瞬動きを止めたところで大きく薙ぎ払ってくるのだ。

 しかしまだ残っている大獄丸たちが、丸腰の田村麻呂に向かって襲いかかってくる。

 田村麻呂は、背中の弓矢を取り出すと、ひとり、またひとりと打ち貫いてくる。本来、鬼は怪我をしてもすぐに治るというのに、治す隙すら与えずに、首を打ち貫いて仕留めてくるのだ。

 その一騎当千たるや、この場にいる鬼女たちがぽかんと眺めるものである。

 悪玉はその背中を黙って見ていた。

 大きな背中に、弓矢を放つ腕。いつも悪玉を大切に労る手が、今は敵を倒すために動いている。

 高天原で、戦の神は常に乱暴者と相場は決まっていたが、彼は乱暴者と切って捨てるものとはなにかが違うような気がする。

 最終的に、最後に残った大獄丸に、田村麻呂は火の鳥から元に戻した騒速丸を、奴の首に押し当てる。


「……き、さまぁぁぁぁぁぁ!!」


 大獄丸は呻くが、田村麻呂は淡々とした様子だった。


「悪いな、貴様を屠るのが、俺の仕事だ」

「……首を落としただけで、俺が死ぬと本気で思っているのか?」


 大獄丸は言う。それに田村麻呂は目を細める。


「なんだ、鬼は大概は首を落とせば死ぬ。違うか?」

「ああ……一度はなあ。だが、何度でも何度でも、蘇って貴様を血祭りにあげようぞ。貴様、名をなんと申す?」


 その言葉に、田村麻呂は遠くを見た。

 答える義務はない。放っておいて首を切り落としたほうが賢明だ。だが。いの一番に自分を殺しに来てもらい、他のなにも関係ない無辜の民が殺されても後味が悪い。


「坂上田村麻呂と申す」

「……覚えたぞ、坂上田村麻呂……貴様は、絶対に俺の手でぇ…………!!」


 田村麻呂は黙って首を刎ねた。だが、まだ大獄丸は逃げ出そうと首を蠢かせる。

 それを一部始終見ていた悪玉は、辺りを見回した。そこにはちょうど都から盗んできたらしい宝を入れていた桐箱があった。

 悪玉は中身を傾けて出すと、それを田村麻呂に差し出した。


「……首を、この中に」

「こんなもの、すぐに出てきやせんか?」

「私が封印します。これでも私は、天照大神の眷属でしたから。封印くらいでしたら、なんとか……」

「ん、ではお願いするか」


 田村麻呂に取られた首は、桐箱に詰め、蓋をされる。悪玉は自身の指を噛み切ると、血を垂らして封印と化した。

 それに田村麻呂は鼻で息をする。


「一応は、これで終わりか」

「……はい。あら?」

「どうした?」

「……ぬし様と一緒にいらっしゃった女性はどちらに?」

「……鈴鹿か」


 大獄丸の首を落とす前まではたしかにいたはずだが、いつの間にやら、彼女は忽然と姿を消していたのだ。

 囲われていた彼女は、帰る場所もなければ住む場所もないのだとしたら、せめて都に連れて行って、嫁のもらい手を探すことくらいは手伝えたが。

 田村麻呂は複雑な思いをしながら、悪玉と共に都へと戻ることとしたのだ。

 悪玉の髪を、田村麻呂は労るように指を滑らせる。最初に出会った頃の彼女は、美しい姿かたちをしているにも関わらず、食が貧相だったがために、どことなくがさついた印象があったが、このところはまともに食を摂れていたらしく、髪に艶が戻り、頬もふっくらと丸みを帯びてきていた。

 彼女を鈴鹿山の麓に置いてきた馬に乗せ、桐箱を括り付けると、そのまま帰っていった。


 もしもあのとき、鈴鹿の行方を追うことをしていれば。

 もしもあのとき、騒速丸を捨てていれば。

 もしもあのとき、大六天魔王の娘について、もっと疑問に思っていれば。

 これからの悲劇は防げただろうが。

 たらればは歴史の上では意味をなさない。

 田村麻呂と悪玉が引き裂かれるまでは、あと──。


****


 田村麻呂に都に連れてこられた悪玉は、子をなした。

 子は男子おのこであり、ふくふくとよく育った。

 金色の髪、蒼い瞳も受け継がれ、それに田村麻呂は複雑な面持ちだったが、悪玉が励ましたのだ。


「いいじゃない、どこの誰もあなたの子だとわかるのだから」

「だがなあ……大陸の血が濃いとなにかと苦労するからな。千熊丸せんくままるはそのような苦労をしなければいいが」

「そうね、ぬし様と同じく、武勲を立てられれば、あるいは……」


 都でこそ平穏無事ではあるものの、一歩外へと出ると、荒くれ者たちが徒党を組んで乱闘をしている時代だ。

 武勲を立てる機会もいつだってあるものだが。

 田村麻呂も、妻子を得た今でも、平定のために軍を動かし、あまりにも人死にの多かった場所には寺社を建てて祀るなどを繰り返していた。まだまだ、平和とは程遠かった。

 戦ばかりしている武官ではあるが、こうして都に帰ってきたら妻子が待っている。そう思うと背筋も伸び、自然と士気も高揚とするものだったが。

 田村麻呂は、鬼女の恋のことについてすっかりと忘れてしまっていた。

 鬼女の恋は濃い。離れていたとしても、幾年いくとせごときで忘れるものではない。

 田村麻呂が再び都を離れたときに、その悲劇は訪れた。


「──報告します! 都に荒くれ者たちが徒党を組んで襲い、火を付けたと……!」


 その日も平定を終え、都に報告を部下に伝えるよう出したところ、とんぼ返ししてきた部下が、そう震えた声を上げた。

 都で火事は、あまり珍しいものでもあるまい。


「付け火の犯人は?」

「わかりませぬ。ただ、朝廷にはまだ火は回っておりませんが、左京が……」


 田村麻呂は一瞬だけ、蒼い瞳を吊り上げた。

 左京は、田村麻呂の邸宅も存在している地区だ。あそこには悪玉とまだ幼い千熊丸がいる。


「犯人は見つけ次第処罰しろ。すぐに都へと戻るぞ」

「はっ……!」


 馬を走らせ、息を切らせて戻った都の惨状は、想像を絶するものであった。

 火が放たれ、あちこちで人の悲鳴が聞こえる。火事場泥棒たちが、ここぞとばかりに女子供を奪っていく様が見えるが、田村麻呂の姿を見た途端に逃げ出していく。

 田村麻呂は、自宅まで走って行く。


「悪玉! 千熊丸! 無事か!?」


 大声を上げ、自宅へと向かう中、「ぬし様……」と弱々しい声が響いた。

 普段の艶やかな髪が乱雑に乱れ、着衣も煤で黒ずんでしまっている。そして目は腫れぼったい。


「悪玉! 無事か……千熊丸は……?」


 彼女は首を振って、はらはらと泣く。田村麻呂は泣く彼女の目を拭おうとしたとき。手が止まった。


「……ぬし様?」

「……貴様、何者だ。俺の妻と子をどこへやった?」


 姿かたちこそ、烏の濡れ羽のような美しい黒髪、黒い印象的な瞳、白い雪のような肌ではあるが。悪玉ではないと、田村麻呂の直感がそう訴えていた。

 なによりも、自分の知っている悪玉なら、屋敷を壊して回りながらも、子供を探してからでなかったら、屋敷から出てこない。

 やがて、彼女は悪玉の姿を取って、くつりと笑った。


「……本当にぬし様はつれぬ方。たしかにあなたのよさを知った女は、誰もあなたを放ってはおかぬでしょう。でもぬし様。わらわの刀を持ったままわらわを捨てるなんて、ひどいではありませぬか?」

「……なにを」

「ぬし様の大切なものは、全て綺麗さっぱり掃除しておいたぞ。もうぬし様とわらわは、夫婦になるしかなかろうぞ。ほうら」


 彼女はくつくつと笑いながら、ようやく姿を解いた。

 あの真っ黒な髪に烏帽子の、白拍子姿になったかと思いきや、彼女は自身の刀を引き抜いたのだ。

 その引き抜いた刀は、大通連だいつうれん

 騒速丸の夫婦刀のはずである。


「……なんだ。都を焼いて、まだなにかするというのか?」

「ええ、ええ。これくらいじゃ帝は痛くも痒くもないだろう。どうせ人はまた生まれるのだから」

「その考え方は好かぬ」

「だが、ここで」


 途端に、田村麻呂の刀が、勝手に引き抜かれた。それがいきなり浮き上がったかと思ったら、いきなり地鳴りが響きはじめたのだ。

 砂が舞い、地面が揺れ、火事以上に辺りに悲鳴が響きはじめた。

 目の前の鈴鹿は、全く動じてはいないが。


「……貴様、いったいなにをした!?」

「これくらいお安いご用。星を都にぶつけようぞ」

「……星を、だと……?」


 途端に、なにかが降ってきたのだ。

 最初は、鈴鹿の宝蔵の武具かと思ったが、違う。

 降り注いできたものは、人の頭ほどの石だったのだ。

 火事、地震、そして石つぶて。

 既に大通りではどこにどう逃げればいいのかわからない民衆の叫び声、悲鳴、絶望で逃げ惑う人たちの声が轟く。

 この鬼女は。目の前の男以外はどうでもいいのだ。

 悪玉と千熊丸は以前、出てこない。

 だが。田村麻呂は目を閉じた。燃える邸宅の中で、かろうじて呼吸が聞こえる。

 まだ、ふたりは生きている。

 しかし、都は鬼女ひとりの手でこんな惨状では、もう保たない。依然、外で荒くれ者たちがのさばっているのだ。攻めてこられたら、もう滅びるしかないだろう。


「……悪玉、千熊丸」


 この鬼女の手を振り払えば、都は落ちる。

 この鬼女の手を取れば、妻子を裏切る。

 田村麻呂は、ギリリと歯を食いしばって彼女を睨んだが、恍惚の顔でこちらを見てくるばかりであった。


****


 パチパチと柱の爆ぜる音が響いていた。

 悪玉は着衣を脱ぎ、軽くなったわずかばかりの襦袢姿で、千熊丸に自身の脱いだ衣を被せて走っていた。

 煙で前が見えず、いったいどこまで歩けば外なのかがわからない。

 千熊丸はまだ幼く、しゃべることすらおぼつかないが、悪玉はその子を抱き抱えて必死であやす。


「大丈夫よ、父様ととさまがもうすぐ帰ってくるから」

「かかさま」

「はい、母様かかさまはここよ」


 しばらくあぐらを掻き、神通力を使うのを怠っていたため、悪玉は神通力で屋敷を吹き飛ばして脱出するという術がない。だからといって、このまま蒸し焼きになって死ぬのはごめんだった。

 外はいったいどうなっているんだろうか。助けは来ないんだろうか。

 そう思いながら必死で出口を求めて歩いている中。柱がぐらりと傾く。……このままだったら、柱に押し潰される。

 鬼の悪玉だったら、そう簡単に死ぬこともないだろうが、千熊丸は田村麻呂の血が濃い。このままだったら、この子が死ぬ。


「……私はどうなってもかまわない。この子は、千熊丸だけは……!」

「……その言葉、しかと聞き届けたぞ」


 その声には、聞き覚えがあった。

 悪玉は千熊丸を抱き締めたまま、声の方向に振り返った。

 真っ黒な髪の白拍子が、この場に立っていたのだ。


「あなたは、たしか鈴鹿……」

「貴様はいらぬ。が、わらわはぬし様が欲しい。しかしぬし様はどうしてもいけずで、わらわとはどうあっても夫婦にはなってくれぬとおっしゃる。都に火を放ち、星を降らせてもなお、わらわのものにはならぬそうじゃ。だからわらわは決めたのだ」

「……いったい、なにを?」

「ぬし様は、わらわに気が向くまで、しばし休まれよと。そしてわらわはぬし様の気が変わるよう、お手伝いをしようと思ったまでだ」


 いったい、彼女はなにを言っているんだ。

 悪玉は必死で千熊丸を抱き締めるものの、鈴鹿はするりと彼女から千熊丸を奪い去る。そしてうっとりとこの子を見た。


「稲穂の髪、海の瞳……この子はぬし様そっくりだな」

「……ぬし様に、なにをした? 千熊丸に、なにをするつもりだ?」


 彼女は、危険だ。

 悪玉はそれに気付いたとき、柱は折れた。

 大きな火花を散らして倒れるそれを、鈴鹿はいともたやすく自身の大通連の姿を解かして水に変え、火を簡単に消失させる。

 今までの息苦しかった場所に、急に新鮮な空気が戻ってきた。

 鈴鹿は絶世の美女の笑みを浮かべた。


「貴様をぬし様の目の前で消失させてくれようぞ。わらわは大六天魔王の娘、鈴鹿。地獄にも天にも、貴様の居場所などないと思え」

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