甥御

 田村家は裏稼業こそ公表していないものの、表向きは士族であり、警察の上層部に食い込んでいる家系である。

 そこに嫁いだ高子は、最初こそ裏稼業の存在を知り驚いたものの、彼女が生んだ子供はどれも男児。彼らは誰ひとり、田村家に代々伝わる刀、顕明連けんめいれんを鞘から抜くことすらできなかった。

 それに高子は落胆するのと同時に安心したのだ。

 時代錯誤も甚だしい魑魅魍魎との戦いに、自分の子が身を投じることはないと。現に三人の息子は、自分と同じく魑魅魍魎を見ることも感じることもできなかったのだから。

 しかし安心していたところで、田村家現当主の生野せいやが突然、女児を連れてきたのだ。

 日本人特有の真っ黒な髪に、白い肌。薄い地味な着物。古着にしても生地が擦り切れ過ぎている。そしてひどく存在感が希薄な女児であった。


「あなた……この子は?」

「……めかけが死んだから引き取ってきた。今日から彼女も田村家の一員だ」


 高子は頭を殴られたような衝撃を受けた。

 警察の高官が、まさかよそに妾をつくって子供をつくり、あろうことか引き取ってくるなんて思いもしなかったのだ。

 自分が、女児を生むことができなかったから。よそで妾をつくってきた。

 高子の中でぐわんぐわんと音が鳴るが、女児の立ちすくんだ姿を見て、我に返った。父親の裾に縋りつくこともなければ、手を引かれることもなく、ただ立ち尽くしているのだ。

 女児は生野の後ろで、頼りない顔で高子を上目遣いで見るものの、彼女の顔を見た途端に視線を地面に落としてしまった。

 彼女もまた、どうして自分がここにいるのか、わかってないような顔をしていた。

 そこまで自分はおそろしい顔をしていたのだろうかと、高子は自身の顔に手を当てる。

 やがて溜息をつくと、みずほに笑いかけた。


「お名前は……?」

「み、みずほと……もうします」

「みずほね」


 息子しかいない田村家に、初めて来た女児で、最初こそ田村家の三兄弟も、末の妹として可愛がっていたのだ。

 今、一日の半分を離れで過ごし、滅多に母屋にまで足を運ばない彼女。どこでどう歯車を噛み違えたのかは、高子もわからない。

 心当たりが、多過ぎるのだから。


****


「……千年前の豪族の復活。それが四鬼の復古のために弱い魑魅魍魎を操って死体を回収して回っていた……か」


 今までの猟奇殺人は、顔を剥いで誰の遺体かわからなくしていただけ。本来は鬼をつくり出すために、それぞれの遺体から部分部分を抜き取っているのを死体を荒らすことで誤魔化していたのだ。

 連続女学生殺人事件の首謀者は発覚したものの、肝心の首謀者である藤原千方ふじわらのちかたは逃走してしまった。みずほが結界で探索を阻まれた場所まで足を運んだものの、見つかった邸宅はもぬけの殻で、みずほの日傘頼りの探索から逃れようと、執拗なまでに結界で情報遮断をされていたために、とうとう行方を追うことはできなかった。

 浄野は報告を上げられて、心底頭が痛いという顔をする。


「この間の絡新婦じょろうぐもの一件といい、藤原千方の復活といい、眠っていたものがわざわざ起きるような事象って、いったいなんなんでしょう……」

「うん。この状態で、お前もよく無事で帰ってきてくれたね。本当に……よかった」


 浄野にそう言われ、みずほは歯噛みする。

 命が無事だっただけで、なにも解決していないしなにも終わっていない。

 実際のところ、みずほは脇腹を抉られて大出血したものの、その傷は塞がってしまった。ただ大量出血で貧血に見舞われていたために、帰ってきた翌日は寝込んでしまい、朝の鍛錬も朝餉づくりもできなかった。

 浄野が母屋から朝餉を持ってきてくれなかったら、食べることすらままならなかったのだから。


「……これ以上、皆さんの犠牲を抑えたかったのですが……申し訳ありません」

「前にも言ったと思うがなあ、みずほ」


 みずほが俯く中、浄野の持ってきたお膳のものを怪訝な顔で見て、匙ですくって首を捻っている朔夜が言う。


「別にお前さんは万能じゃない。お前さんの刀が届かないことにまで責任を取る必要はない。少なくともお前さんは首謀者を追い詰めた。それで充分じゃないか?」

「ですけど……私ひとりでは、あの鬼をつくった罰当たりが、千年前の豪族だというところまで特定できませんでした……朔夜さんが三体の鬼と戦い、私が一体の鬼と戦ったから、その情報を元に推測ができただけです」


 朔夜と同年代の存在だと言われなければ調べることもできず、朔夜に伊藤のところまで行って調べてもらってようやく特定できたことだ。全てがみずほの手柄ではない。

 浄野も警察に報告を上げ、千方の行方は追ってもらっているものの、相手は外法を極めた呪術師なため、捜査網に引っかかってくれるかは未知数だ。

 みずほがまた落ち込むのに、浄野は気を遣った口調で続ける。


「うん、僕もそこまでみずほが気にすることはないと思うよ。もちろん安心ができる訳ではないけれど、少なくとも四鬼は朔夜様とふたりで倒したのだろう? それに遺体を集めなかったらつくれない鬼なら、殺人事件を引き起こすか火葬場を荒らすしかないからね。新しい鬼をつくらせなかったら、向こうも手立てはないはずだよ」

「そう……だといいんですが……」

「うん。じゃあ、みずほも今日一日はしっかりと休んで英気を養いなさい。義姉さんがつくってくれたから、それを食べてあとはちゃんと休むんだよ?」


 そう言って、浄野は下がっていった。

 みずほはお膳の上に載せられたものを見ると、朔夜は首を捻って皿を指さす。


「これは血の色しているが、食べられるのか? お前さんが普段つくるものとはずいぶん違うんだが」

「これは洋食です。お義姉様、洋食に凝っておられるので。これは私が貧血だというので気を遣ってくださったのでしょうね。トマトシチューとパンです」

「とまとしちゅ? ぱん?」

「ええっと、トマトという異国の野菜でつくった汁物と、異国の主食です」


 パンは焼き立てで千切るとほかほかと湯気が出るし、トマトシチューも野菜と肉がごろごろしていて柔らかく炊き上がっている。それをみずほは目を細めて食べた。

 普段から食事は全て自分でつくっている身からしてみれば、人がつくってくれたものはなんでもおいしい上に、瓦斯がすがなければつくれない洋食をわざわざ用意してくれたことがありがたい。

 母屋の春子に心底感謝しながら、みずほが夢中で食べているのを、朔夜は首を捻りながら口にして、やっぱり首を捻っていた。


「ふむ……外つ国の料理というのは、本当に変わっているなあ。酸っぱいのか甘いのか塩辛いのか、よくわからん」


 どうも朔夜は、トマトシチューはお気に召さなかったようだった。


****


 昼間、こうして布団で横になっていることは滅多になく、朔夜が敷居に使っている机の上から、横になっているみずほのほうをずっと眺めてくる気配がある。

 みずほは寝返りを打って、わざと敷居を背に向けるものの、視線が消えることはないので、嘆息する。


「……私は今日、動けませんから。朔夜さんはお小遣いあげますから松葉ちゃんのお店にでも行っててくださいよ……」

「俺は子供か。そもそも我が妻が弱っているのを放っておいてどこかに行く奴があるか」

「そんなの知りませんよ……」


 みずほは朔夜の言葉に、どう返答すべきかわからなかった。世間一般の怪我人とお見舞い客の関係なんて、彼女はちっとも知らないのだから。

 そんな中、ふとパタパタパタッという足音が響いてきたことに気付いた。そこで朔夜の気配が動く。


「……離れに知らぬ気配が入ってきたが」


 朔夜が少し警戒心を滲ませた声をするので、みずほは少しだけ上半身を起き上がる。

 小さな足音は、子供のものだ。そしてよく知っている気配。


「乱暴は辞めてください。あの子、私の甥です」

「甥……?」

大野ひろの異母兄様にいさまと義姉様の子なんです。大馬おおま。どうしましたか?」


 みずほがそう声をかけると、襖に遠慮がちに手をかけて、引く音が響いた。立て付けが悪い襖はガタガタと大きな音がするので、「ひゃっ」とびっくりした声を上げるので、みずほはくすくすと笑う。

 やがて姿を現したのは、黒い髪に黒い瞳の丸まるした頬の子供であった。シャツに半ズボンという洋服の出で立ちはまだ珍しいが、これは欧米趣味の高子のものだろうと察することができた。


「……今日は一日ねてるって、おじさまからきいたから。みずほちゃん、だいじょうぶ?」

「ああ……」


 久々に母屋に入って洋食を離れに運んでいる浄野を捕まえてきたらしい。

 そのことにくすくす笑いながら、みずほは頷く。


「今日一日だから大丈夫ですよ。心配かけて申し訳ありません」

「みずほちゃん、なんでねてるの? かぜ?」

「風邪ではないですね……具合は悪いですが」


 まさか昨晩激しく戦ってきて、貧血気味だなんて説明する訳にもいかず、当たり障りない言葉を選んだが、それでも心配そうな顔でみずほのことを覗き込んでくる。


「ほんとう?」

「はい。ちょっと休んでたら大丈夫ですから。でも……ここに来てしまっておばあ様に怒られませんか?」


 みずほと高子の微妙な関係で、可愛がっている大馬が怒られてしまったら可哀想だと思い、みずほが気を遣うと、無邪気な大馬も祖母は怖いらしく、少し肩を跳ねさせる。


「だ、だいじょうぶ! みつからないよう、こっそりきたから……!」

「あまり大丈夫とは思えないので、早めに戻ったほうが……」


 そう言っていたら、まじまじと朔夜が大馬を見ていることに気付いた。そこでようやくここにみずほ以外もいることに気付いた大馬は、ぱっとみずほの前で両手を広げて盾になった。


「だ、だれだっ!?」

「んーっと、そうだなあ。我が妻の夫だな」


 そう朔夜が恥ずかしげもなくみずほを指さして言うと、みずほは目を吊り上げる。

 子供の、それも甥御の前でなにを言い出すんだ、この男は。


「違います! ただの居候です!」

「み、みずほちゃんをいじめたらゆるさないんだからなっ!」


 大馬が少しだけひるんだあと、声を張り上げると、朔夜はにやりと笑って、声を張る。


「ほほう、小童が俺にたてつくか。この千年前の大鬼を前にしていい度胸だ」


 本当になにを言い出すんだ、いい加減にしてほしい。

 みずほが目をさらに吊り上げる前に、大馬は涙目で言う。


「おになんか、たいじするんだからな! ぜーったいに、だめなんだからな!」

「もう! 朔夜さんいい加減にしてください! なんですか、急に大人げないことばっかり言って!」


 みずほはとうとう大馬を抱き締めて朔夜を睨むと、当の朔夜はからからと笑っている。みずほからしても大馬からしても、訳のわからない男にしか見えない。


「ははは……すまんすまん。なかなかみずほの甥御は見所のある男だと思っただけだ。名は?」

「……田村大馬」

「いい名だ。俺は朔夜。怒られない程度に遊びに来ればいい。まあ……祖母殿に怒られない程度に、だが」


 やがて、中庭のほうで母屋で働いている使用人たちが泣きそうな声を上げて声を上げているのが聞こえてきた。


「坊ちゃま! 坊ちゃまー! どこに行かれたんですか!? そろそろ家庭教師の先生がいらっしゃいます! かくれんぼはおしまいの時間ですー!」


 大馬はギクリとした顔をしたあと、みずほをまじまじと見上げた。


「……みずほちゃん、さくやも言ってたけど、また遊びに来てもいい?」

「大馬。朔夜『さん』。でしょう?」

「うー……さくやさんも言ってたけど、また遊びに来てもいい?」

「いいですよ。でも、お母様もおばあ様も悲しませてはいけませんよ。私のところに来るということは、そういうことですから」

「……おれは、みずほちゃんがわるいひとには、見えない……」

「ありがとうございます」


 大馬は名残惜しそうな顔をしつつも、「おだいじに……」と言って離れをあとにしていった。

 みずほは少しだけ満足して、再び布団に横たわる。そして敷居越しに朔夜に問いかける。


「珍しいですね。あなたが私の家族に優しいのは」

「なんでだ? 俺も敵意を向ける相手は選ぶし……あれにはなんの素質もないから安心しただけだ」

「……またそう言って人を勝手に不安がらせるんですから」

「別に不安がらせるつもりはないが」


 朔夜は大馬が来てから、どことなく機嫌がよさそうであった。


「あれは鬼になる素質は全くないからな。今代を生きるのにふさわしい人間だ。お前さんこそ、あまり母屋の人間と話をしていないようだが、甥御とはしゃべるのだな?」

「ああ……」


 それにみずほはなんとも言えない顔になる。


「……あの子は、私のことを怖がりませんから。私だって変に堂々とした結果、家族のことを怖がらせたくはありません。たとえ繋ぎだとしても……私はここに、いたいんです」


 最後のほうは、みずほの声もすぼんでしまった。

 言ってもしょうがないことだ。自分の体質も、力も、必要だからここにいられるのだ。

 必要がなくなったら、自分はここに居場所がなくなる。

 家族の平穏を望んでいるのに、誰よりもこの家に女が生まれることをおそれているのは自分だ。その浅ましさを、とてもじゃないがみずほは口にすることができなかった。

 ただ、曖昧な言葉でお茶を濁すのだった。

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