第17話 交流戦

「今日は交流戦だ。男子はバスケット、女子はハンドボールだ。総当たりでやるからおまえら一つでも多く勝ってこい」


 島田は朝のホームルームで生徒に声をかけたあと、誠司を呼んだ。


「無理しないで休んだほうがいいんじゃないか?」

「大丈夫。俺、やれます」


 幼少の頃から父の道場で鍛えられている誠司は、多少得手不得手はあるものの、スポーツ全般をそつなくこなすことができた。

 バスケットボールならば、どちらの手でもドリブルのできた誠司は、あまり右手に負担を掛けずに試合に参加できそうだった。


「でもなあ」


 先日、誠司の右手のことについて父親から詳しいことを聞かされていた島田は、やや渋い顔を見せた。

 誠司自身の希望もあり、右手がもう元には戻らないことは、他の教師や生徒にも伏せていた。

 だからなおさら、余計にこういった行事に参加していないと、そろそろ怪我が治ってもおかしくない時期なのにと、周囲から勘繰られそうではあった。


「分かった。でもあまり無理はするなよ」

「はい」


 最後に教室を出て行った誠司の背中を島田は見送る。


「頑固者め……」


 誠司が本当のことを言わない理由に島田は気付いてはいたが、歯痒い思いでただ見守ってやることしかできなかった。



 体育館で数人の男子生徒がウオーミングアップをしている。

 慣れた手つきでボールを操る感じを見ている限り、その生徒たちがバスケットボール部のメンバーであることは誰もが想像できた。

 その中でひときわ目立ってる背の高い少年は、少し額に汗をかくぐらいに熱心に体を温めていた。

 梶原俊かじわらしゅん。夏休み前に引退したが、バスケ部のエースだったその男子生徒は、スラリと均整の取れた容姿の、俗にいうイケメンで、女生徒の間でもそれなりに人気を集めていた。

 そして、この少年は時任ひかりのことを昔から知っていた。

 とはいっても、そこまで親しい訳ではなく、ただ同じ地区に住んでいたことで、ひかりとは子供達の集まる児童公園で自然と顔を合わせていた。そんな関係だった。

 友達と呼ぶにはかなり希薄な幼馴染。ひかりは梶原という少年をそう認識していた。しかし、梶原にとってひかりはずっと特別な存在だった。

 言い換えると、梶原はひかりのことをずっと前から異性として意識していた。そっけなく友達ほどでもないぐらいにしか相手をしてくれないひかりを、いつか自分のものにしたいと考えていたのだ。

 そして今まで、梶原は何度もひかりに告白して、その度に断られていた。

 ひかりにはまるで相手にしてもらえない梶原だったが、中学、高校と、言い寄ってくる女子には不自由しなかった。

 そして、梶原が付き合ったのは全てひかりと接点のある女生徒だった。それは、少しでも視界の周りをうろうろして関心を引いてやろうという、梶原なりのひかりに対する偏ったアピールだった。 

 他にも梶原は、ひかりに対する好意を、ともすれば偏執的ともとれる行動で表現していた。

 陸上に打ち込んで男子を一切寄せ付けないひかりにも、高校生になって、やたらと告白する輩が増えてきた。

 梶原はライバルを牽制するために、自分たちは親しい間柄なんだと、聞こえるように周囲にほのめかしたりしていた。

 ひかりには誤解されること言わないでと何度も注意されたが、友達の間には付き合ってるようなものと、自分から宣言していたのだった。

 それで良かった。いつかひかりが自分に関心を持つ日が来ると思っていた。

 二学期に入るまでは……。


「高木誠司……」


 梶原俊は視線の先にいる誠司の姿に忌々いまいましさを隠せなかった。

 幼馴染のひかりに一方的に好意を持っていた梶原にとって、誠司の出現は許し難いものだった。

 ひかりが何となく誠司に好意を持っていることを、小さい頃からひかりを見てきた梶原は気付いていた。

 ひかりが誠司の鞄を持ってやってたり、靴箱から靴を出してやっていたり、楽しそうに話していたり、決して自分には見せない表情を見せるひかりの視線の先にいる誠司が目障りでしょうがなかった。


 それに、いつも高木の周りにいる坊主頭のあいつ。

 あの空手部の新勇磨のせいでなかなか近づきにくい。あいつ人を殴るのが趣味って噂だし。


 そんな歯がゆい気持ちを抱えていた梶原にとって、今回のバスケットボールの交流戦は降って湧いたような機会だった。

 総当たりの交流戦、必ず高木のクラスとも当たる。

 梶原は歪んだ冷たい笑いを口元に浮かべた。



「今のところ三勝一敗、頑張ろうぜ」


 順調に試合は進んでいき、クラスの雰囲気は段々と優勝を意識するまでに盛り上がりつつあった。

 二組は団結していた。誠司はずっと怪我で動いていなかった割にはクラスの勝利に貢献していた。


「高木、お前すごいな、運動部でもないし怪我あけでそんなに動けるとは大した奴だ」


 クラスで普段話さない連中も集まって誠司の頑張りを認めた。

 誠司の父親が合気道の師範で、きつい道場の稽古で幼少期から鍛え上げられているのを知っているのは、学校の生徒では勇磨とひかりぐらいだろうか。


「よし、つぎ最後六組と試合だ。張り切っていこう!」


 少し開始時間がずれこんでいた六組の試合が終わるまでの間に、三組の勇磨が誠司の様子を見に来た。


「二組頑張ってるな」

「ああ、勇磨のとこは?」

「俺のとこは全然ダメ。バスケ部一人しかおらんし。ほかのクラスのいいカモだよ」


 勇磨はもうすでに最下位確定だとため息をついた。


「それより今、うちのクラスの女子試合やってんだ。観に行こうぜ」

「え? ああ、どうしようかな……」

「六組の試合待ちなんだろ。終わってから十五分の休憩も有るし、大丈夫だよ」



 半ば強引に勇磨に連れられてハンドボールの試合を見に来た。

 少し風のあるグラウンドでは、お互いに譲れない二勝同士のクラスが熱い盛り上がりを見せていた。


「ほらあそこにいるぜ」


 勇磨の指さす先にひかりはいた。髪を後ろでくくり真剣な表情で必死にボールを追いかけていた。

 誠司はひかりから目が離せない。

 ひかりは声を上げて味方にボールを要求する。

 飛び交う声援の中、ロングパスが上手く通った。

 ボールを手にしたひかりは一気に飛び出す。そして駆けだした。

 その走り出したひかりの姿に誠司は目を奪われる。何度も美術室の窓から見ていた光景。


 君は走り出すとぐんぐん加速していくんだ。

 いつの間にか君が走る足音まで覚えてしまった。誰よりも速く誰よりも遠くに翔ぶ風のような少女。


 その加速に誰も追いつけず、ゴール前に躍り出たひかりの手からボールが勢いよく放たれた。

 ひかりのシュートがゴールネットを揺らす。そしてひかりの周りにみんなが集まってくる。

 はじけるような笑顔。誠司が大好きな何に代えても守りたいものがそこに確かにあった。


「俺、行くよ」


 誠司は仲間に揉まれるひかりに背を向けて体育館に向かう。


「もう行くのか、まだ試合まで時間あるんだろ」


 勇磨の声に誠司は振り向かず、片手を上げただけで行ってしまった。



 六組との試合が始まった。

 もう引退している者が殆どだったが、バスケ部の多い六組はこの総当たり戦で最も厄介な相手だった。

 開始早々から激しい攻防が繰り広げられていた。

 二組もバスケの経験者は多い方だったが、やや押され気味に見えるのは梶原の存在が大きいと言えるのだろう。

 誠司のクラスはやや後を追う展開なっていたが、何とか食らいついて善戦していた。

 そんな中で、勇磨は誠司の応援を兼ねて試合を見ていて気付いたことがあった。


 梶原ってあいつだよな。


 楓から聞いていた、ひかりにしつこくちょっかい出してたバスケ部のキャプテン。

 さっきから変な動きをしている。誠司がボールを持った時、露骨に右手を狙ってボールを奪おうとしているように見えた。


 気に入らねえな。


 勇磨は奥歯を噛み締める。

 そして勇磨の思っていた最悪のことは突然起こった。

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