どっちに賭ける

 忍野密香の意識は、段々覚醒してきた。ズキン、ズキン、と、全身に鈍い痛みが走っている。それに顔をしかめたが、どうやら自分は五体満足であるようだ。てっきり、腕や足の1本くらいは毟り取られていると思っていたが。手錠に繋がれ、足は縛られているが、それでも無事だ。


 ゆっくり、目を開く。それでようやく、自分が床に倒れていることに気が付いた。そして視線の先にいるのは……誰かの足。

 その人物は、密香が目を覚ましたことに気が付いたのだろう。密香へ歩み寄り、しゃがんで密香の顔を覗き込む。


 密香がなんとか顔を上げると、そこにいたのは……夜道で自分を襲って来たやつだった。


 特に特徴もない、ぱっとしない顔。普通に小綺麗だとは思うが、それだけだ。すぐに忘れてしまうような、どこにでもいそうな少女。

 だが密香は、その顔に見覚えがあった。名前はおろか、どこで会ったかも思い出せないが。……密香は基本的に興味のない人物は忘れてしまうが、流石に何度も会うと自然と覚える。だから、それなりに何度か顔を合わせたことがある人物だと思うのだが……。


「あ、目が覚めた? ……忍野くん、案外目を覚ますの遅いから、待ちくたびれちゃった」

「……お前……」


 密香は思わず声を絞り出し、それで口が封じられていないことに気づいた。つまり、彼女には対話の意思があるのだろう。

 それをいいことに、密香は次いで言葉を紡ぐ。幸いと言うべきか、彼女は密香が何を言うのか楽しみにしているような様子だった。


「……お前は、なんだ」


 密香が疑問を吐き出すと、彼女は驚いたように目を見開く。……しかしすぐに、微笑んだ。


「……まあそうだよね。君が私のこと覚えてるわけないか。私は目立たない方だったし、君はそもそも他人に興味なんてないよね」

「……」

「私は上迫うえさこ花温かのん。別に思い出さなくてもいいし、覚えなくてもいいよ。……どうせ君は、最終的には死ぬんだし」


 そう言うと、少女……花温は立ち上がり、吐き捨てるようにそう告げる。……一方密香は、その名前をもとに記憶を巡らせた。今は、少しでも情報が必要だったから。現状の打破のために。

 すぐに、記憶の片隅にあった記憶を取り出すことが出来た。上迫さんが、と誰かが自分に対して話していた。誰が? ……青柳泉だ。


「……同級生か? 高校の……」

「お。正解。よく思い出せたね~」


 密香が声を出すと、花温はわざとらしく賞賛の拍手を密香に送る。馬鹿にされていることは嫌でも分かり、密香は微かに舌打ちをした。


「今は『触覚』なんて呼ばれてるし、いいように使われちゃってるけど……まあ、そのお陰で君に会えたから、結果オーライかな。ていうか君、青柳くんの部下なのに、指名手配犯のこと知らないってヤバくない? 大丈夫なの?」

「……俺は警察じゃねぇし……」


 花温がペラペラと饒舌に喋っている間に、密香はこっそり手錠の解除と、足の縄抜けを試みる。しかし、何も出来ない。まず、花温が自分から目を離さないこと。そして……この手錠には、かけられた人物が異能力が使えなくなるような技術が凝らされている。「Noxiousノークシャス」が使えれば一発で脱出できるのだが、そう出来なかった。

 異能力を使わずとも、どうにかすれば自力での脱出が不可能……なわけではない。


 でも、タイムリミットが分からない。相手の目的も分からない。……いや、相手は自分を殺すと言っているわけだし、とにかく、生存率は絶望的だと言ってもいいだろう。


「……お前は、俺を殺すのが目的なのか?」

「そうだね。君を始末するよう言われてるし……私としても、君のことは殺したいからね」

「……お前に恨みを買われた覚えはないが」


 自分は、恨みを買いやすい人間だということは、よく分かっている。

 詐欺は働くし、弱者からは搾取だってする。殺してやると叫ばれたことも、1度や2度ではない。


 でもそういった逆恨みを買いやすいと分かっているからこそ、今までそういうことで関わった人の顔や声は、忘れないようにしていた。


 だけど、この人物は覚えていない。そもそも、学生時代は比較的大人しくしていたのだ。。……だから、彼女から恨みを買った覚えはない。


 密香の言葉を、花温はあっさりと肯定した。うん、そうだね。と。だから密香は余計に困惑する。だが彼の困惑に構わず、彼女は続けた。


「分かってるよ、ちゃんと。これは一方的な思い。……逆恨みって言うのかな? 私が君を、勝手に敵視してるだけ」

「……なんで」

「君が私から、青柳くんを取ったから」


 そう言って花温は……密香の頭部を、思いっきり踏みつけた。

 すると予想の数倍以上の痛みが密香を襲い、思わず悲鳴を上げかける。しかしそれはプライドが許さず、舌を噛んで耐えた。激痛だ、だが、耐えられないほどの痛みではない。


「……君って本当にしぶといね。ゴキブリみたい」


 花温はそう言い、ぐりぐりと足を動かし、更に密香を押し潰す。彼女が足を動かすたびに激痛が走り、その度に密香は舌を噛んだ。

 流石に気づく。この度を過ぎた痛み。これが彼女の異能力だと。


 力強く噛んだせいで、口の端から血が垂れる。そのタイミングで、花温は密香から足をどけた。


「……いっけない。危うく踏み殺しちゃうとこだった。君には、まだ頑張ってもらわないといけないんだから」


 別に、あれで殺せるとも思えないが。密香はそう思いつつも口には出さない。というか、舌が痛いのでなるべく喋りたくない。耐え方をもう少し考えなければ、と現状に対して見当違いのことを考えた。

 あまり反応を示さない密香に花温はつまらなそうにしてから、再び密香の前に座り込む。


「忍野くん。君に現状を教えてあげる。……私は君を殺すよう頼まれて、君を誘拐した。でも、今すぐ殺すわけじゃない。賭けをしているんだ」

「……」


 賭け? と、心の中で繰り返す。すると花温はポケットから2枚の紙を取り出した。


「これ、1つは私から青柳くんに出した手紙。まあ……君を誘拐したから、この時間までに助けに来ないと殺しちゃうよ~って内容。……もう1つは、私の協力者から青柳くんへの手紙。こっちには、この件に青柳くんは関わっちゃいけないってことと……もし関わるなら、『湖畔隊』は解散だよって内容」

「……!」


 密香は思わず、目を見開く。ようやく反応を示した密香に、花温は嬉しそうに笑った。


「私の賭けはね、青柳くんがここに、君を助けに来てくれるかどうか。……ねぇ、君はどっちに賭ける?」


 花温は、密香を指差す。とても楽しそうに、笑って。

 密香はその指の先を、じっと見つめていた。

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