第12話

「おお、栗原くりはら、こっちだ。随分早かったな」


「いえ、遅くなりました。やっぱり渋滞から抜けられなくて。近くのコンビニに停めて、そこから走って」


「あの上等そうな車をか。大丈夫か」


「最新式の盗難防止装置イモビライザー付きですから、大丈夫ですよ」


「そうか。新車は違うねえ」


「そんな事より、葛木さんこそ、どうしてこんなビルの屋上に。下からは高過ぎて見えないでしょ」


「それだよ」


「それ……え? ビールですか。飲んでたんですか、ここで」


「誰にも言うなよ。ここ、穴場なんだよ。本庁にも近いだろ。下の管理人が知り合いでな。本庁に行く用事がある時に、ちょっとした休憩に使わせてもらっている」


「で、ここで缶ビールを飲んでたんですか。勤務中に。しかも、こんな朝っぱらから。マズいんじゃないですか、それ」


「だから、誰にも言うなと言っているんだ。大丈夫だろうな」


「ええ。誰にも言っていません。言われたとおりに。ですが、出勤時間が……」


「バカヤロウ、そんなものは後でどうにでもなる。俺が署の方に話してやるし、だいたい、こういう緊急事態だ。署長も人事係も分かってくれるさ」


「頼みますよ。で、その自殺しようとしているのは、あの人ですか」


「ああ。今は右手と柵を手錠で繋いである。まったく、ここで静かに一本飲んで帰るつもりだったが、とんだのに出くわしちまった」


「本庁のキャリアだと仰ってましたね。厄介ですね」


「ああ、本庁二課の安西警部だ。よく知った顔だよ。美人で有名な警部だからな。だから、大げさな事にはしたくない。内密に、俺たちだけで完結させよう。どういう事情があったのか、まだ何も訊いてはいないが、まあ、どう間違っても同僚だ、詮索するのはよそう。なんとか彼女を説得して、この柵の内側に戻して、後は自宅に送り届ける。それさえ出来ればいい。とにかく、この鉄柵の内側に戻さねえとな。力ずくでも。それには、俺一人では無理だ。相手は若いし、女だし、俺たちの上司だ。ぶん殴って気絶させる訳にはいかねえだろ。だから、おまえを呼んだんだ」


「……」


「溜め息なんぞ漏らしてないで、さっさとこの柵を乗り越えろ」


「ここで、ですか。向こうから、彼女の後方で外に出て、二人で挟み撃ちにした方がいいのでは」


「馬鹿。相手は警部殿だぞ。そんな失礼な事できるかよ。それに、警戒もしている。手錠で柵に繋いではいるが、当然、彼女も鍵を持っているはずだ。俺たちの目の前で現職のキャリア警官に飛び降りられてみろ。俺もおまえも、警官としてはおしまいだぞ」


「分かりましたよ。まったく、何で僕まで……」


「気をつけろよ。そこ、少し滑るからな。ま、こんな事を頼めるのも、義理の息子のお前くらいしかいない。それに、おまえも知ってのとおり、俺は嫌われ癖が付いちまってる。女にもモテねえしな。彼女を説得するのは、歳が近そうなおまえの方がいいし、こういう事は、イケメンのおまえの方が適任だ」


「うわ、危ないな。押さないでくださいよ。くわあ、やっぱ、外に出ると視線が違うせいか、高さを実感しますね。お義父さんもよくこんな所に」


「いいから、前に進め。時々、強い横風が吹くからな、気をつけろ。柵から手を放すなよ」


「分かりました。行きますから、押さないで」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る