第11話

 おえ、とアウグストは胃からせりあがってくるものを必死で堪えた。こんなことになるなら腹いっぱい食べるんじゃなかった、と後悔したところで遅い。人前であからさまに咽るわけにもいかず、表面上はなにごともない風を装うのに苦労した。

「大丈夫? アーグスト、気分悪そう」

 手をつないでいたマスベルが心配そうにのぞき込んでくる。どうしてこういう時ばかり察しがいいのだ。アウグストは近くの壁にもたれながら「大丈夫なわけない」と吐き捨てるように言った。

「こんなに人がいるなんて聞いてない……」

 時刻は夜、場所は宿から見かけた街の中心地にある誰かの邸宅。アウグストたちは人身売買が行われていると思われる舞踏会に潜入していた。

 外から見てかなり広いと思ってはいたが、実際に中に入ると想像を超えていた。

 主な会場となる大広間は、豪華絢爛を極めていた。何本もの金の柱に支えられた天井はゆるく湾曲し、あまたの神々が見事な筆致で描かれている。そこから下がるシャンデリアには無数のろうそくが備わり、壁にはめこまれた鏡に反射してまばゆい光をあちこちに降らせていた。

 大理石の床は磨き抜かれ、ところどころに植物や虫、動物の抽象的な絵が見受けられたが、どれもここへ集った人々の足でまともに見えることはない。客人の間をせわしなく通り抜ける給仕人は常に笑顔を浮かべているが、アウグストには絶対にできない芸当だ。

「国内外から客を招いているんだ。これだけの人数が集まって当然さ」

 二人の前に立つロメリアが呆れたように言う。

「だから言ったじゃないか。『そんなにおやつを食べて大丈夫?』って」

「緊張するとおなかが空くんだよ!」

「普通は逆だと思うけどねえ」

「においだってすごいし……色んなにおいが混じってて気持ち悪い……」

「香水をつけてない奴の方が少ないからね。こればっかりは慣れるしかない。あら、ごきげんよう」

 顔見知りがいたのか、ロメリアが壮年の男性に話しかけられる。ずいぶん広い額に汗を浮かべ、あちらがかなり恐縮しているところを見るに、ロメリアの方が立場が上なのかもしれない。

「あなたさまがこういった場にいらっしゃるとは、天変地異の前触れでしょうか」

「まさか。今日の主役である伯爵夫人はわたくしの友人ですもの。その誕生日を祝う宴に出席しないだなんて考えられないでしょう?」

「そうだったのですか。ところで……そちらのお二人は?」

 男性の目がアウグストとマスベルに向けられる。思わず硬直するアウグストに一瞬だけ目をやってから、マスベルは典麗な微笑みを浮かべた。

わたくしの娘です。こういった場に不慣れなもので、少しばかり休憩していたところですわ」

「なるほど。初めまし、」

「ああ、そういえば」男性が挨拶しようとするのを遮り、ロメリアは唇の前で人差し指を立てる。「わたくしがここにいる、ということは内緒にしていただけますか? 夫人を驚かせたくて」

「もちろん構いませんとも。いたずら好きなところはお変わりないのですね」

 その後も一言二言交わして、男性は去っていく。しばらく黙って背中を見送っていたロメリアは、振り返った時、今にも笑いだしそうなのを必死にこらえる顔をしていた。

「良かったねえ、坊や。ばれなかったみたいだよ」

「なんだかすごく屈辱なんだけど……!」

 ぎりぎりと奥歯を噛みしめて、アウグストはいら立ちを発散するようにドレスを握りしめた。

『女装しろって、それ本気?』

 昼間にロメリアが購入してきた衣服を前に、アウグストは首を何度も横に振った。

『冗談じゃない! なんで僕がそんなかっこうしないといけないんだよ!』

『なんでって、面白そうだからに決まってるじゃないか』

 アウグストの文句など一切無視して、ロメリアは次々にドレスやワンピースをあてがってくる。逃げ出そうにも、ロメリアに指示されたマスベルによって羽交い絞めされているためかなわない。

『っていうのは半分冗談で、私たちは恐らく「女二人、男一人の三人組」って認識されているから、それを欺こうかと思って。大丈夫! 坊やは可愛らしい顔をしているし、ドレスも着こなせると思うよ』

『さりげなく人が一番気にしてること言わないでくれる? っていうか半分冗談ってことは残りの半分は本当に面白がってるってことじゃないか!』

 結局ロメリアの猛攻にはあらがえず、アウグストは大人しく着せ替え人形と化した。

 アウグストが着せられたのは裾がふわりと広がった空色のドレスだ。全体的に刺繍の白い花が咲き乱れ、天使のはねに似た袖はやわらかく二の腕を覆っている。鎖骨の下で揺れるネックレスは白と青の丸い宝石が交互に並んだもので、これはもともと付けていた青いイヤリングに合わせた。

 髪の短さはかつらと帽子で、胸のふくらみは詰め物でそれぞれごまかした。眼鏡は野暮ったいので外せと言われ、おかげで視界はひどく濁っている。マスベルと手をつないでいるのはアウグストがはぐれてしまわないようにだ。

 彼女はひと目見て気に入ったという例の紫色のドレスを身につけている。ただの紫ではなく、胸元から裾にかけて陽が沈む間際に似たグラデーションがかかっていて美しい。手首にかけて広がった袖口は釣鐘に似て、膝まで体の線をあらわにしたドレスはひざ下から広がり、人魚を思い浮かべたというのもうなずける。ロメリアも似たようなドレスをまとっているが、こちらは白にほど近い青色で、渦を巻くようにフリルがあしらわれている。

「ねえねえ、アーグスト。角ちゃんと隠れてるかな? 大丈夫かな?」

「問題ないよ。ちゃんと髪と飾りで隠れてる……と思う。よく見えないけど」

「えー! ちゃんと見てよぅ。どう? 可愛い?」

「大丈夫だって。隠れて……可愛い? ああ、うん、可愛いと思う」

「えへへ、やったー」

 マスベルの角はロメリアが髪型をいじることでどうにか覆ってある。長い髪の先にいるという蛇は普段よりも華美な装飾を施した布でそれとなく隠してあった。

 一番問題になったのはやはり瞳で、仮面舞踏会でもないのにそれをつけるわけにもいかない。さてどうするか、と悩んだ結果。

「……やっぱり間抜けだと思うんだよなあ……」

「なにが?」

「まぶたの上に目の絵を描くって、やっぱりおかしくない?」

 目をずっと閉じておいて、そこに本物そっくりな目を描いたらどうか、と提案したのはアウグストだったが、まさか「それはいい」と採用されるなんて思わなかった。いわゆるだまし絵だろう、とロメリアが得意げに絵を描いていたが、これがまた上手かった。先ほどの男性が気付かなかったのがその証拠だ。

「まじまじと見られたらそりゃあまずいだろうけど、壁際みたいな暗がりで、しかもちょっと顔を合わせる程度ならどうにかなるものだよ。坊やだって、男の子だとは思われなかっただろう?」

「喋ったらすぐに分かると思うけど」

「だから挨拶をしなくて済むように失礼を承知で遮ったんじゃないか」

「……ああ、そういうことか」

 さて、とロメリアがあたりを見回した。招待客は次から次にやってくる。主役だという伯爵夫人が登場したことで楽団による演奏も始まり、自然と中央部分にできた空間で踊りはじめる者も少なくない。

 事前に聞いた話によると、この大広間のどこかに競売会場につながる扉があるらしい。しかし誰でも中に入れるわけではなく、当然ながらひと目でそれと分かるようなものでもないだろう。

 しばらく待っていると、「あれかな」とロメリアが呟いた。目的のものを見つけたようだ。

 音もなく歩き始めた彼女に続いて、アウグストたちも移動する。向かったのは大広間の入り口横に設けられている階段だ。上った先には広間を見下ろせる二階があり、一階に比べて薄暗い。踊り疲れたり、人の波に酔った客人の休憩場所になっていると思われる。

 マスベルとつないだ手だけが頼りのまま、アウグストは必死についていった。かかとの高い靴を履いたことが無いわけではないが、女物は初めてだ。歩きにくいことこの上ない。

「ちょっと失礼」前から歩いてきた給仕服の男性に、ロメリアは少し困ったように声をかけた。「落とし物を見つけたのだけれど、どこへ届けたらいいかしら?」

 男性は愛想のいい笑みを浮かべたまま、胸の前に手を当てた。

「どういったものを拾われましたか」

「ケルピーのたてがみとピクシーの翅、それとカーバンクルの宝石を」

「!」

 ロメリアが流れるように口にした言葉に、男性は一瞬だけ瞠目するとすぐに元の表情を顔に張り付け、「かしこまりました。こちらへ」と三人をどこかに導いた。

 案内されたのは二階の中でも特に薄暗い一角だ。壁には一面に風景画が描かれているようだが、ぞろりと垂れたカーテンのせいでよく見えない。男性はそっとカーテンの一つをめくり、そこに描かれていた木の幹を軽く押した。

 すると音もなく木の周辺が凹み、横にずれた。現れたのはぽつぽつと燭台の明かりが灯る通路だ。男性は言葉もなく視線だけで先に進めと示し、ロメリアも迷うことなく進んでいく。アウグストたちもそれに続いた。

「……さっきのなに? ケルピーがどうのとか」

 背後で隠し扉が閉まる音を聞いて、アウグストは隠し持っていた眼鏡をかけながら問いかけた。ようやく視界がはっきりする。もう手をつないでおく必要はないのだが、マスベルが放してくれない。

競売オークションに参加するための合言葉だよ」

「なんでそんなの知ってるわけ」

「調べたからに決まってるだろう。私は坊ややマスベルに会う前から動いていたんだよ。それくらいのことは知っていたさ」

 しばらく歩くと重厚な扉に行き当たった。かなり重みがある。意を決して開くと、そこにあったのは異様な熱気が漂う広い部屋だった。

 広さとしては先ほどの大広間より少し狭い程度だろう。どうやらすでに競売は始まっていたらしい。客も大勢いた。中には素性を気にしてか、ヴェールや仮面で顔を隠している者もいる。香でも焚かれているのか、あたり一帯はもやもやとかげっていた。

 部屋の奥には一段高くなった床があり、そこに置かれた台の上で仮面の男が「さあさあ!」と客を煽っていた。壇上には物々しい檻が置かれている。猛獣でも入っていそうなそこで震えているのは、襤褸ぼろをまとった年端も行かない少女だった。後ろ手に縛られ、口には猿轡を噛まされている。

「次の〝商品〟はこちら! 秘境にて捕らえました純白の少女! 肌はもちろんのこと髪まで穢れなき白亜です! 唇と瞳の赤は血のごとく、羞恥に染まる頬はリンゴのよう! 背中にある傷だけは欠点ですが、天使が神に翼をもぎとられた証しと思えば凄艶でありましょう。おや、そちらの旦那さま。恥毛が何色かお気になる様子。それは手に入れた方に確かめていただくことといたしましょう。それでは金貨五十枚から!」

 男が合図をするや否や、いたるところから六十、七十と声が上がる。決して安い額ではないのに、瞬く間に金額が重ねられてアウグストは血の気が引いた。

 かんっと甲高い音がする。少女が落札されたようだ。少女は檻から引きずり出され、舞台袖に連れていかれてしまった。

「なるほど。今この場で引き渡すわけじゃないんだね」

 ロメリアは冷静に話しているが、アウグストはなんとも言えない怒りで体の横に下ろした拳を震わせていた。

「こ……ここにいる奴ら、なんなの? 金で人を買うって、そんな……買われた人はどうなるわけ」

「買い手によって様々だね。奴隷同然の扱いを受けたり、性欲処理に使われたり。最悪なのは『殺すために買う』って奴がいることだ」

「こ、殺すため? なんで?」

「世の中にはいるんだよ。坊やの常識が通用しない人間がね。他に人間を買う理由としては、材料にするって場合もあるか」

 材料――まさか。

「……幻獣を作るため、の?」

 ロメリアはなにも言わなかったが、まばたきをすることで肯定を示していた。さっと全身に悪寒がはしる。

「だからそうなる前に、助けたいんだ。攫われてしまった人たちを」

 彼女は腕を組んでじっと舞台を見つめている。見覚えのある顔が現れないか観察しているのだろう。

「……会場としてこの邸宅が使われているってことは、伯爵とかいうのも一枚かんでるのかな」

「確実に。部屋を貸すかわりに相当な額の賄賂を受け取っているはずだよ」

 あとで絶対に潰してやる、と聞こえたのは気のせいではない。

 げほ、とアウグストは咳きこんで鼻を腕で覆った。

 ――なんなんだろう、このもや。さっきより濃くなってる気がする。

 わっと会場が盛り上がった。次の〝商品〟が運び込まれたのだ。それを見た瞬間、ロメリアの表情がはた目に見ても分かるほど一変した。憤激を必死に抑えようとしている顔だ。

「続きましてはこちら! 海の先にあります星の国にて見つけた麗しの少女! ご覧ください、この墨を流したような黒い髪! 絹のごとき手触りはまさに極上。悲しげに伏せられた瞳は月明かりに勝るとも劣らないカナリア色! 花弁さながらの唇を開けば愛らしく囀ってくれることでしょう。それでは金貨三十枚から!」

「……あの子、知り合いなの?」

 値段はすぐに上がっていく。五十、六十とあちこちから聞こえる醜い声を忌々しそうに聞きながら、ロメリアは「ああ」とうなずいた。

「私が捜していたうちの一人だ。買い物に出かけた先で攫われたらしい。かわいそうに、すっかりやつれてしまって」

「じゃ、じゃあ、その、買ってあげないといけないんじゃ……」

「悪いけど、一時的にとはいえ人に値段をつけたくないんだ」

「それならどうするんだよ。このまま買われていくのを黙って見てるわけ?」

「さっき見ただろう。今すぐ買い手のもとに行くわけじゃない。いったん引き上げて整えて・・・から渡すんだ。そこを狙う」

「金貨三百枚! 三百枚です! 他はいませんか、三百枚です! ……決定!」

 男が手にしていた木づちを振り下ろし、部屋中に音が響き渡った。少女を落札したのはでっぷりと腹が出て脂ぎった男で、自慢げに胸を張っている。歓声と拍手がさざめく中で、時おり聞こえる舌打ちは落札を狙っていた者たちのものか。

 アウグストは再び咳きこんだ。もやが一層増している。壇上にいる男すら見えなくなるほどだ。

 ふと手のひらに汗を感じた。自分のものではない。ずっと手をつないでいるマスベルのものだ。

 ――そういえば、この部屋にきてから一言も喋ってないな。

 どうした、と声をかけようとして、アウグストは目を丸く見開いた。

「……マスベル?」

「――――うぅぅ……」

「マスベル、どうした?」

 彼女は俯き、空いている片手で両目を覆っている。唇は噛みしめられて血が滲み、ぎしぎしと聞こえてくるのは歯ぎしりか。全身もぶるぶると震えており、アウグストとつないだ手にも力がこもりはじめる。

 明らかに様子がおかしい。アウグストは彼女の前に回りこみ、肩をつかんで覗きこんだ。

「マスベル、大丈夫? 気持ち悪いのか?」

「………う…………」

「どうしたんだい」と異変に気付いたロメリアも眉間にしわを寄せる。

「さっきから様子がおかしいんだよ。マスベル、なあ、あんまり気分悪いなら外に――――」

「――――――アアァァァァァァァァァアアァァァァ!」

 マスベルの喉から放たれたのは、獣の咆哮だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る