#04 I love you without magic.

 ヴェルザンディは熱く『羅生異端録らしょういたんろく』を語る。

 彼女から、話の詳細部分まで聞かされて満腹なはず。それなのにウートガルザ・ロキは飽きる様子もなく、律儀に聞いて、相槌を打っていた。

 腕時計の針が一時を過ぎ、空腹で腹が鳴る中、チカゲは再度二人の様子を一瞥いちべつした。まだ話が続いている。

 ——嫌な顔をせずに、ヴェルの話をよく聞いてるなぁ。

 飲み切った飲み物をテーブルに置く。

 トイレに行ったついでに、自動販売機で飲み物を買った。それから帰ると、ホワイトボードを使って、いまだに熱弁していた。

 ——特にやることがない。

 日本の大学に来る機会は、今後ないだろう。

 どうせなら校舎を探検しようと、二人に断ってからゼミ室を出た。





 日本の建造物は近代的だ。

 この大学の外壁にはレンガが使われていた。リノベーションをしているのかと思ったが、そうではないらしい。日本は地震が多く、古い建物は揺れに耐えきれない為、取り壊されることが多いのだとか。

 新築の匂いと共に、冷たい空気を肌で感じながら校舎を歩いてみるが、あまりすれ違う人はいない。


「全体的に緑が少ないな」


 観葉植物が少なく感じた。

 ドアを開き、隣の棟に足を進めていく。

 そして、大きな部屋に入った。そこは電灯が点けっぱなしで、たくさんのテーブルとイスが並んでいた。

 チカゲが学食かと思った時、イスに座って、パソコンを打ち込む人影に気づいた。その隣のイスには、赤いリュックサックが置かれている。


「あれ。あのリュック、どっかで見たことがあるような」


 頭を捻ってみるが、なかなか思い出せない。

 うーんと唸っていると、イスを引きずる音がした。


「“あ!”」


 女の声が聞こえ、チカゲが目を向けると、彼女はこちらを凝視していた。

 黒い髪に、焦げ茶色の瞳——やはりどこかで見たことがある、チカゲがそう思った時、女は急に叫んだ。


「“あああああああああ‼︎”」

「え……?」


 指をさして近づいてくる女に、チカゲは驚いた。周りを見渡すが、チカゲ以外に人はいない。


「“この前のお兄さん! ずっと連絡くれるの、待ってたのに!”」


 彼女は悲しそうな表情をする。だが、日本語を知らないチカゲは返事のしようがない。

 すると突然、女はリュックサックの中からある物を持ってきた。それは前にチカゲがマップを描いた紙だった。


「あぁ。駅を探してた、あの時の……」


 確か名前は、江ノ垣えのがき生駒いこま


「“あ、そっか。日本語が通じないんだった”」


 彼女は慣れた手つきでスマートフォンに打ち込む。そこで翻訳された文章をチカゲに見せた。


「“ずっと私はあなたからの連絡を待っていました。酷いです”」


 今、彼女が口に出した言葉と、画面に写っている文章は恐らく同じだろう。

 チカゲはばつが悪そうな顔をした。


「ごめん。でも……」


 何と謝ればいいのだろう。彼女に説明する言語も持ち合わせていない。

 悩んでいると、彼女の視線が一点に集中していることに気づいた。明らかにチカゲの左手の薬指を見ている。


「“……既婚者………やっぱり指輪、付けてたんだ………”」


 彼女はボソリと呟き、文章を打ち込んだ画面をチカゲに向ける。


『あなたは既婚者だったのですね。すみません』


 チカゲが読み終える頃には、鼻をすする音が聞こえた。視線をずらすと、涙をポロポロと流す生駒の姿があった。


「え⁉︎」


 女の涙に動揺を隠しきれない。

 チカゲはなぜ彼女が泣いているのか理解できなかった。既婚者だったことが、それほど涙を誘うような事柄だろうか。

 ショルダーバックから無地のハンカチを取り出し、彼女に手渡す。


「はい、これ」

「“ぇ……私に?”」


 きょとんとする彼女に、チカゲは受け取れと前へ突き出す。


「“あ、ありがとう、ございます”」


 生駒は素直にハンカチを受け取り、それで涙を拭く。

 その様子を見て、チカゲは少し息を吐いた。目の前で泣かれると、自分が悪者になった気がして、気が重い。

 俯きながら、生駒はハンカチを握る。


「“初恋、だったのにな……相手が既婚者とか、希望がないじゃん”」


 目元にハンカチを当てながら、彼女が呟く。

 だが、その言葉の意味がわからないチカゲは、黙って様子を伺うだけだった。


「“なのにハンカチを貸してくれて、優しいとか……やだぁ、諦めたくない……”」


 拭っても拭っても溢れ出る涙。

 すぐには泣き止みそうにない生駒を前に、チカゲは焦っていた。

 もし生駒がヴェルザンディだったら頭を撫でると良いのだろうが、下手に彼女に触れると変な誤解を招きかねない。

 ——ソール様、助けてー!

 心の中で叫ぶが、決して届くことはない。


「“まさか、また会えるなんて思ってなかったから、奇跡だと思ったのに”」


 生駒はゆっくりと画面に打ち込みながら、声をあげて泣き出した。我慢していた感情が爆発したのだろうか。

 オロオロと狼狽するチカゲ。


「“もう不倫でもいいから付き合いたいよ……!”」


 何を言っているのかわからず、チカゲは生駒が泣いている間に、そっと逃げようとした。だが、逃げるなといわんばかりに、彼女が握っていたスマートフォンが不自然に落ちた。

 それを拾い上げる素振りを見せない生駒に、チカゲが仕方なく拾うと、その画面に書かれた翻訳に驚く。


「不倫……? 付き合いたい……?」


 ——まずい。

 彼女が泣きながら打っていたのは、『不倫でも良いので、私はあなたと付き合いたいです』という意味だったのだ。

 ここまで直球な愛の告白だと、さすがのチカゲも頬が熱くなる。

 だが、嫉妬深いヴェルザンディに気づかれると、非常に厄介だ。

 偶然とはいえ、また女に会っているということと愛の言葉に、ヴェルザンディがどんなふうに暴れるのか想像ができない。


「まずいな」


 背中に冷や汗が流れる。

 拾ったスマートフォンをすぐに彼女に持たせた。

 チカゲはあまり流暢りゅうちょうな英語で話せないが、


「‘友達なら’」


 つたない発音で恥ずかしい。

 踵を返し、ヴェルザンディたちがいるゼミ室に戻ろうとした時、背後から抱きつかれた。背中を通して、柔らかい体を感じる。

 思わず、チカゲは困り果てたように眉を八の字にして、頭を抱えた。

 フレイヤ神の再来デジャブか、と。


「“好きです……好きです好きです好きです! 大好きなんです!”」

「あーーーー」


 ——何かの言葉を繰り返してるよ。

 言葉の意味はわからないのに、どうしてこういう時の言葉は何となくわかってしまうのだろう。


「チカゲくーーーーーーーん♡」


 ドアのある方向から、やけに元気なヴェルザンディの声が聞こえた。

 大輪の花が咲いたような笑顔なのに、至るところに青筋を立てたヴェルザンディが、ドアに寄りかかって立っている。

 ——死んだ。

 チカゲは血の気が引いた。

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