第38話 聞かない
「ディルですか!?」
ザーナ姫だった。満面の笑みだ。それを見ただけで、来たかいがあったと思ってしまったディルは、自分でこれは末期だなと苦笑いした。
「やっぱり!今日さすらい人の一団が王都に来たと聞いたのです。もしかしたらと思って、こちらの塔の警備は手薄にしておきましたわ」
そう言って、ザーナ姫は温室内のベンチに座りディルにもそうするよう指し示した。夜明け近くまで二人は語り合い、次の日も来るとディルは約束して帰った。
そうして、王都にいる間は真夜中に毎日姫のもとを訪れた。王都を離れてまた戻ってきたときにも必ず訪ねていった。姫の方でも必ずディルを待っており、土産話を楽しみにしていた。
姫との時間は本当に楽しかった。鳶の塊での生活に不満があるわけではない。しかし、姫と話している時は普段の生活では味わえないような喜びがあった。ディルは心の片隅でこんなこと続けていても仕方がないという思いを持ちつつ、やめることができなかった。
ある時、また王都を訪れるとお祭りのようだった。この時期には祭りはなかったはずだが……と都のあちらこちらに立っているのぼりを見ると「ザーナ姫成人の祝」と書かれていた。姫は十八歳になるのだ。
王族の誕生日は毎年祝われているが、成人する年は格別盛大にお祝いすることになっている。ディルは今晩訪ねるときに何かプレゼントとして渡そうと考えた。それと同時にもう会うのは最後にしようと覚悟を決めた。
成人した王族は結婚へと本格的に動き出す。さすらい人の自分は絶対に姫の相手にはなれない。今後の姫の幸せを願うのならば、もう離れなくては。
夜中、また例の温室での密会時にディルは小さな花束を姫に渡した。
「まあ!この地域では珍しいムラサキアゲハモドキですわね。嬉しい……!」
以前話したときに、本物を見てみたいと姫が言っていたものだった。興行が終わってから、こっそり森へと探しに行ったのだ。姫は花束に顔を埋めるようにして匂いを嗅いでいる。
「ザーナ姫」
いつになく真剣なディルの声に、姫はゆっくりと顔を上げた。すでに目に涙が溜まっている。何を言われるのかわかっているのだ。それでも、言わなくては、とディルは自分に喝を入れた。
「今日で最後にする。姫はもう成人する。これから更に王族としての責任を果たしていかなくちゃならない。俺は……もうここには来ない」
姫は俯いた。ぽとりと涙が花束に落ちた。
「ええ…あなたがそう言うであろうことはわかっていました。あなたは正しい。本来は、私からお伝えすべきことなのに……。今まで命がけで何度も会いに来てくれました。それを私は止めませんでした」
ごめんなさい、と姫は泣きながら謝罪した。ディルは謝ってほしいわけではないと姫の顔を上げさせた。
「『歴史の後半』俺の真名のヒントだ。真名をさすらい人以外に伝えることは禁止されているから、流石に直接は言えない。けど、簡単な言葉遊びだから、賢い姫にはすぐわかると思う」
姫のあふれ出た涙は、ディルの心に突き刺さった。
「私を……さらってください!城の生活に未練はありません。常闇の鏡の封印は、兄もできるのです。私は……あなたと生きたい」
姫はディルの胸に体を預けた。ずっと触れないようにしようと思っていた――が、ディルは思わず抱きしめた。か細く頼りない、華奢な体だった。しかし、温かく優しい香りがした。
ずっとこうしていられたらいいのに……とできないとわかっているがゆえに、強く願った。
しばらくして、ディルはそっと姫を押して離した。
「姫、あなたが一番わかってるはずだ。そんなことはできないって」
ディルは無理やり笑顔を作る。姫の涙の勢いは少しだけ収まってきた。
「ではせめて、私の真名をあなたと共に連れて行って下さい。あなたが私にしてくれたように」
「それは……俺の真名とじゃ重みが違う」
せめて真名だけでも、という姫の気持ちが痛いほどわかったが、聞くわけにはいかなかった。姫に危険が及ぶ可能性があることは絶対にできない。
「それでも、私はあなたに知っていてほしいと思うのです。私の真名は……」
「ダメだ!そんな風に軽々しく言ってはいけない!」
ディルは慌てて姫の口を手で塞いだ。姫はそれを全力で引き剥がした。
「軽々しくはありません!私の心からの気持ちなのです」
ザーナ姫の真剣な表情からは想いがあふれ出ていた。ディルの目にも涙がにじんだ。本当はこんなやり取りをしていないで、連れ去ってしまいたい。どこかで二人で穏やかに暮らして、真名で呼び合える関係になれたらとどれ程夢見たことか。
「私の真名は……」
ディルは耳を塞ぎ、姫から目を背けた。
「ザーナ姫、俺は……心から姫のことを想っている。これからも、あなたの幸せを願っている!」
そう叫んでディルは全速力で温室をあとにし、決して振り返らなかった。姫の涙にぬれた顔が、ディルの胸にいつまでも残った。
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