3.死者からの手紙
『実は、うちにも似たような怪文書が届いてるの』
「なんだって?」
渋谷のカフェ・シャルルマーニュで怪しげな「警告文」を受け取った翌朝。出社直後の木下に、金野から電話があった。
自分のデスクで通話しては周囲に筒抜けなので、木下はそそくさと会議室を確保し、陣取った。天井まであるパーテーションで区切られただけの簡易的な造りなので防音はあまり期待出来ないが、副編集長に聞かれる距離で女性と電話する気にはなれなかったのだ。
金野の用件は、「凍れる世代」の連載を読んだという感想、彼女が独自に調べた安田の情報とも合致するという報告など、極めて事務的なものだった。が、一通り話し終えると金野の雰囲気が変わった。
ほんのわずかの沈黙の後、彼女の口から飛び出したのが、「安田君のことで、何かおかしな手紙が届いてない?」だったのだ。
「金野は、差出人に覚えはないのか?」
『無いわ。そもそも、安田君の件で色々な人に連絡は取ったけど、自宅の住所は限られた人にしか教えてないの。その人達がこんなことをするとも思えないし』
どうやら、金野宛の「怪文書」は彼女の自宅住所に届いたらしい。自分でさえ知らない彼女の住所を、どこの誰とも知れぬ「犯人」が知っていることに、木下は複雑な感情を抱いた。
「文面は、どんな?」
『ええとね……「これ以上、安田について調べれば、知りたくなかった事を知ることになるぞ」って。それだけ』
「知りたくなかった事、ね。なんだか俺の方に来たのより、具体的な感じだな」
木下が受け取った「警告文」は、『安田のことを これ以上 調べるな 後悔 するぞ』と『警告はしたぞ 一度目までなら見逃す これ以上探るな』だ。
警告と脅しだけであり、「何故、安田のことを調べてはいけないのか」が全く書かれていなかった。
それに対し、金野のもとへ届いた警告文は、「知りたくなかった事を知るから、調べるのを止めろ」というような内容であり、やや具体的だ。
ただし、どちらも茶封筒に何の変哲もないA4コピー用紙という似たような組み合わせだ。送り主が同じと考えた方が自然だろう。
「誰か、俺以外に、金野が安田のことを調べてるのを知ってる奴は?」
『結構いるわ。駄目元で中学時代の同級生や、安田君と同じ高校に進学した人に沢山連絡したから。その道のプロにも何件かお願いしているし』
「プロ? 探偵とか、そういうアレか?」
『そんなところ。あ、言っておくけど田奈くんの所じゃないわよ』
「分かってるさ」
自分と同じく、金野も田奈のことを全く信用していないのだなと、思わず嬉しい苦笑いを浮かべる。仮令、田奈の会社が本当に優秀な調査会社だとしても、頼む気にはなれなかった。
「容疑者は沢山、か。無駄かもしれんが、俺や記者Kが連絡を取った人間のリスト、送ろうか? 金野が連絡を取った人達と重なる部分があれば、ある程度絞れるかも」
あくまでも自分と記者Kは別人という建前を守りつつ、木下が提案した。
『え、いいの? 社外秘とかじゃないの?』
「殆どはSNSとかで拾える情報だよ。別に秘密でも何でもない」
『そっか。じゃあ、お言葉に甘えて。……安田君のことを知りたいだけなのに、なんでこんなことになったのかしら。彼の過去に、一体何があったのかしら?』
「さあな。就職先が潰れてからの安田の足跡は、残念ながら追えてない。手掛かりだと思ってた奴にはすっぽかされて、代わりとばかりに怪文書を置いてかれたからな。おまけに電話も通じなくなっちまった。知りたくても手詰まりだよ」
大中原とは、あれ以来連絡が取れていない。それどころか、驚くべき事実も判明していた。
安田の就職した会社には、確かに「大中原」という名字の男がいたらしい。だが、安田の元同僚達の話によれば、その男は数年前に既に亡くなっているというのだ。
事前に裏取りをすればよかったと、木下は少し後悔していた。だが、まさか死人の名前を堂々と名乗って連絡をしてくる人間がいる等と、普通は考えないだろうとも思った。
『死者の名を騙る何者か、ね。二重の意味で不審ね。――けど、そっかぁ。木下君の方も手詰まりなのね。私も、同じような所でぷっつり糸が途切れちゃったわ。後は、プロの人達の報告待ち。そっちも駄目だったら、お手上げね』
「役所関係から情報が引っ張れれば楽なんだがなぁ……」
完全なホームレスになって行方知れずにでもなっていない限り、日本国内で働いて生きていれば、役所側に痕跡は残るものだ。社会保険料や国民年金の支払いもある。だが、一介のゴシップメディア従業員である木下では、そういった個人情報を引き出すことは少々難しい。
悔しいが、金野が雇ったという「プロ」に期待した方が無難だろう。
「ま、なんにしてもお互いしばらくの間、身の回りには気を付けようぜ」
『そうね。……うちは娘もいるから、ちょっと心配だわ』
「えっ、娘さん、いたのか」
初耳だった。そもそも、木下は金野が結婚しているのかさえ知らない。
『あら、言ってなかったっけ? もう二十歳になるのよ』
「へぇ」
生返事をしながら、頭の中でざっと計算をする。二十歳というと、金野自身が二十歳そこそこだった頃に出来た娘になる。晩婚化が著しい木下達の世代においては、早い妊娠・出産だ。学生結婚や避妊の失敗、もしくは何か「やんごとない事情」でもありそうな気配がした。
「年頃の娘さんがいるとなれば、余計に心配だな。男手は?」
「旦那は?」とは聞かない。木下なりに気を遣ったのだ。だが――。
『ん~、二人暮らしだからなぁ。ちょっと不安。あ、でも大丈夫! ボディーガードの伝手はあるし、うちのマンション、セキュリティはしっかりしてるから!』
当の金野の方から自身の個人情報が次から次に漏れてきてしまった。木下は金野と、まだ見ぬ美しいであろう彼女の娘の身を案じた。
***
金野との電話から数日が経った。あれ以来、新たな「警告文」は届いていない。が、安田に関する新情報も届いていなかった。
「凍れる世代」の連載のネタのストックはまだ尽きていない。第三回は大学時代と大学院時代を、第四回は就職活動とその後を書く予定だ。だが、その後がもう続かない。不定期連載という断りを入れてはあったが、あまり更新頻度が低いと、折角の読者が逃げてしまう。木下の焦りは募るばかりだった。
(どうせなら警告文がまた届かねぇかな? 今度はそっちをネタにしてやるのに)
そんな益体のない考えまで浮かんできてしまう。金野からも追加の情報は来ない。木下が送ったリストもあまり役に立たなかったようで、安田のことも、警告文の送り主のことも、何一つ進展がないままだった。
少し前までは忙しく社外を駆けずり回っていたのに、今やオフィスチェアに根を張ったかのように、木下は動けずにいた。
「暇そうだな、木下」
そんな木下の様子をニヤニヤと眺めながら、副編集長の伊藤が嫌味を言ってくる。木下の取材が順調でないことが喜ばしいらしい。
「とんでもない。釣りと一緒ですよ。今は、準備万端整えて仕掛けが終わった段階です。獲物がかかるのを待ってるんですよ」
「へぇ、そいつは。坊主にならないことを祈ってるよ」
木下の強がりを見抜いたのか、それともそもそもどうでもいいのか。伊藤は木下への興味を失ったかのように自分のパソコンに向き直り、日課のネットサーフィンを始めていた。
オフィスに、伊藤がマウスをクリックするカチ、カチ、という乾いた音だけが響く。
――と、木下のスマホが突然ブブブ、ブブブ、と振動を始めた。金野からの着信だった。
木下は素早く会議室へ移動すると、そっとドアを閉め通話アイコンを押した。
「もしもし」
『もしもし、木下君? 無事!?』
「聞いての通りだけど……まさか、そっちに何かあったのか?」
『え、ああ、うん。私は大丈夫なんだけど、ちょっととんでもないことが分かって』
「とんでもないこと?」
『うん。ええとね、安田君のお葬式をやる時、連絡の付かなかった同級生がいたって話はしたわよね』
「ああ。電話が通じない奴が多かったんだよな」
その話は確かに以前聞いていた。それを知っていたから、木下は住所を頼りに手紙を送る作戦に出て、僅かながら返事をもらうことに成功していたのだ。
『そう。それでね、木下君から貰った例のリストとも照らし合わせて、全く連絡が取れない人だけをリストアップして、プロの人に行方を捜してもらったのよ』
「例の探偵?」
『あ~、そうそう。探偵。それでね、何人かはやっぱり転居先も分からなかったんだけど、十人ほど行方が分かった人達がいたの。それで……その……』
金野の歯切れが急に悪くなる。どうやら「とんでもないこと」というのは、その十人ほどが関係しているらしい。木下は無理に先を促さず、金野の言葉の続きを待った。
『その十人がね、みんな、亡くなっていたの』
「それは……ご愁傷さまだな」
――少し拍子抜けする。同級生が十人も死んでいるというのは確かに驚きだ。だが、四十代ともなれば病気や事故で亡くなる人間も増えてくる頃であるし、木下達の世代は何度も大きな災害に見舞われている。
震災や水害で死んだ人間は、木下の知り合いにも何人かいた。流石に十人は多いだろうが、それでも「とんでもないこと」とまでは思わなかった。あるいは、木下の感覚が麻痺しているのかもしれないが。
だが、問題なのは数ではなかった。
『それもね、みんな普通の死に方じゃないのよ』
「えっ……?」
『自殺が三人、孤独死が二人。あとの五人は火事で亡くなってるの。おかしいと思わない?』
「それは……確かにちょっと普通じゃないな。でも、流石に偶然だろ。それともなんだ。俺達の同級生が何か呪われてでもいるっていうのか」
『そういう超自然的なやつじゃなくて! だって、安田君の親類も殆どが亡くなってたり行方知れずだったりするんでしょう? いくらなんでも、不幸が重なり過ぎていないかしら』
金野の言いたいことは理解出来る。安田の両親の死から始まり、安田自身の死に至るまでのあれこれを調べていて、関係者にこれだけの死者が出ているというのは、確かに不気味だ。だが、木下はやはり考え過ぎだと感じた。
「それはあれだ。確証バイアスってやつじゃないか? だってさ、安田の関係者だけ見ても、多分だけど死んだ奴の数よりも、今生きてる奴の方が多いぜ。死んだ奴らのことばっかり注目してるから、なんか不気味に思えるんだよ」
『そう……かなぁ?』
「そうだよ。そりゃあ、十人はちょっと死に過ぎかもしれねぇけどさ、そもそも俺達の世代は酷い目に遭ってばっかりだろ? まともに就職出来なかった奴なんてザラだし、就職してもブラック企業でポンコツになるまで使い潰された奴だって沢山いる。デカイ地震や台風にも何度もやられてるし。自殺、孤独死なんて、氷河期世代には珍しくない死に方だよ。嫌になる話だけどさ」
『う~ん……』
結局、通話が終わるまで金野は納得していない様子だった。木下もその気持ち自体は理解出来る。元同級生が十人も――安田を加えれば十一人も不幸な最期を迎えていれば、そこに何か暗示や因縁のようなものを感じてしまうのは真理だ。
だが、木下が語ったように、彼ら氷河期世代にとっては、自殺や孤独死なんてものは珍しくもない。
昭和の残滓を引き摺った平成の世に社会へ放り出され、就職率は最悪レベルで、経済は全く成長せず、やれハラスメントだコンプライアンスだと次々に新しい価値観を押し付けられ、過労死するほど働いても収入はたかが知れている。
国にも企業にも救ってもらえず、上の世代からは「努力が足りない」と不当に見下され、数少ない同世代の成功者からも「要領が悪かっただけ」と嘲笑われる始末だ。これで世の中に希望を持って真面目に長く生きろと言われても、「ふざけるな」としか思えないだろう。
木下のように途中からでも正社員の身分を手に入れ、安いながらも安定した収入を得られている人間の方が少ないのだ。
(そりゃあ、自殺もすれば孤独死もするだろうさ!)
やり場のない怒りが沸々と湧いてくる。個人の力ではどうにもならない時代の流れの残酷さを思い返し、木下は段々と腹が立ってきた。
会議室から出て自席に戻る途中、悪しきバブル世代代表である伊藤が一心不乱にパソコンのトランプゲームを遊んでいるのが目に入る。こんな役立たずでも、前職では氷河期世代の殆どが一生得られないであろう高給をもらっていたというのだから、ズルいを通り越して憎たらしいことこの上なかった。
やや乱暴にオフィスチェアを引き、ドスンと座る。――と、デスクの上に見慣れぬものが鎮座していた。
ボール紙製のA4ファイルサイズの大きな封筒。俗にいうレター便だ。どうやら、木下が金野と電話している間に届いたらしい。差出人は「(有)オオイソ代行サービス」とある。知らない会社だった。
(また例の怪文書かな?)
恐る恐る封筒を振ってみる。音はほとんどしない。紙同士が擦れる音だけが聞こえるので、恐らくペラ一枚程度の中身だろう。
次に、ホワイトボードから拝借した磁石を近付けてみる。無反応だ。剃刀レターではないようだ。
(ま、考え過ぎか)
慎重になっている自分がバカみたいに思えてきたので、木下は普通に封を開けた。中には予想通り、A4のコピー用紙が一枚だけ入っていた。「また警告文かな?」と思いつつ引っ張り出してみると、どうも今回は様子が違った。
コピー用紙には文章ではなく、二次元バーコードが一つだけ印刷されていた。
「こう来たか……」
我知らず呟きながら、スマホを取り出す。二次元バーコードには基本的に文字列が埋め込まれている。しかもその殆どはURL、つまりインターネットのアドレスだ。この二次元バーコードにも、どこかのアドレスが埋め込まれている可能性が高い。やや危険かもしれないが、木下はアクセスしてみることにしたのだ。
スマホのカメラをかざし、二次元バーコードを読み込む。すると、案の定インターネットのアドレスが表示された。途中までは大手WEBサービスのアドレスで、その後ろにやたらと長いアルファベットと数字の羅列が続いている。
(共有ファイルのアドレス……かな?)
インターネットを介して画像などのファイルを共有するには、大きく分けて二つの方法がある。一つは、Eメールやメッセージアプリで相手に直接送る方法。もう一つは、ネット上にファイルをアップロードして、そのアドレスを相手に伝えてアクセスしてもらう方法だ。
Eメールやメッセージアプリでは、送信出来る容量に限度がある場合が多いが、後者の場合はアップロード先のサーバーに余裕さえあれば、ある程度大きなサイズのファイルでも共有可能だ。
もちろん、ただアップロードしたのでは関係ない第三者に見られてしまう可能性がある。多くのサービスでは、アップロード者が許可したアカウントだけがアクセス出来るようにする設定や、パスワードをかける設定が用意されている。もっと手軽に、長いアドレスを設定し「アドレスを知っている人間しか見られない」ようにした、簡易的なセキュリティもある。
果たして、木下のもとへ送られてきたアドレスの先にあるものは――。
(……ん? 『パスワードを入力してください』だぁ? そんなもの、どこにも書いてないじゃないか)
どうやらアクセスにパスワードが必要なタイプだったようだ。だが、木下のもとへ届いたレター便には、パスワードらしきものは見当たらない。
「ったく。パスワードも送ってくれなきゃ意味ないじゃんよ……」
再び無意識に独り言を漏らす。伊藤の舌打ちの音が聞こえたような気もしたが、無視を決め込んだ。どうでもいい奴の相手などしていられない。
駄目元でいくつかパスワードを入れてみるが、当然通らない。インターネット初期の頃は、パスワードに「PASSWORD」という文字列を設定してしまう初心者も多かったものだが、流石に送り主はそんな間抜けでもなかったようだ。
ランダムな文字列を生成するツールを使って、総当たりを試す手もあるにはある。だが、この手のパスワードは何度か間違えるとロックがかかり、数時間から数十時間ほど入力が出来なくなるものも多い。木下の記憶では、このWEBサービスもその類のものだ。
合致するパスワードを探るのに、一体どれほどの時間が必要になるやら、分かったものではない。
(……金野の方にパスワードが送られてるとか、そんな都合のいい話は、ないか)
もし、これが以前に送り付けられてきた警告文と同じ類の物であれば、金野の方にも何かが届いているかもしれない。木下は一縷の望みをかけて金野にメールを送ってみた。
すると、ややあってから返信が届いた。その文面を見て、木下は思わず右手の指をパチンと鳴らした。伊藤の舌打ちがオフィスに響く。
『届いた! なんか、暗号? みたいなのが書いてある紙が一枚だけ。これ、なんだろう?』
メールには写真が添付されていた。木下のもとに届いたのと同じようなコピー用紙に、十二桁の英数字と記号が印字されている。見るからに「パスワード」といった感じの文字列だ。
木下は金野へ事のあらましを伝えるメールを手早く返すと、先ほど開けなかったアドレスに再びアクセスし、金野から送られてきたパスワードらしきものを入力してみた。すると――。
(ビンゴ!)
今度は声に出さず動作にも出さず、木下は心の中でガッツポーズを決めた。
アドレスはどうやらファイル共有用のスペースだったらしく、いくつかの文書ファイルと画像ファイルが保存されていた。そのファイル名の一つに、木下は思わず目を見開いた。
『木下と金野へ_安田より』
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