第15話 コンディション

 アウェイでのアトランタとの四連戦。

 大介が加入して以降、ナ・リーグ東地区は、この二つのチームがポストシーズンに進出している。

 現時点ではアトランタが地区首位を走っている。

 もっともシーズンが始まってまだ半月ほど。

 独走と言うほどの差はついていない。


 ポストシーズンをより消耗することなく戦うためには、レギュラーシーズンで地区優勝することが大前提だ。

 それもリーグ内で、勝率は二位以内にいないといけない。三位では試合数が多くなってしまう。

 スーパーエースがいるチームは、そのエースを多く使えると考えるかもしれない。

 だが実際のところは、スーパーエースを万全の状態で使うためにも、消耗していない状態を保つべきだ。

 昨年の試合でメトロズが勝ったものの、大介が直史に勝ったとはあまり言われないのは、それだけ消耗した状態で、直史が投げていたからだと考えられている。

 本人たちはどちらが勝ったかなど、当事者が語るのは無粋と思っているが。


 そしてアトランタとの対戦、第一戦はオットー。

 敵地での試合のため、先攻はメトロズとなる。

 ステベンソンを出塁させると、大介と勝負しなければいけなくなる確率が高い。

 なので先頭打者から、警戒しなければいけないのがピッチャーにとってはプレッシャーだ。

 アレクや織田のような、高打率、高出塁率、そして俊足に長打も打てるバッター。

 去年は大介が打っていた打順だけに、昨今はここに万能型の強打者を置くことが多い。

 単純に一番、打席の回ってくる回数が多いからだ。

 

 現在は高出塁率のステベンソンがいるため、大介は二番に置いている。

 だが一番にまた戻る可能性も、ないではないのだ。

 データが集まれば、それは充分にありうる。

 とりあえず去年と比べれば、得点力は上がっているが。


 初回の攻撃、ステベンソンはクリーンヒットで出塁。

 普通のヒットよりも、フォアボールを選んだほうが価値は高いなどと思われている昨今であるが、フォアボールばかりを選ぶのは、やはりバッターの本能には反しているだろう。

 ランナーがいる状態で大介に回れば、それだけで勝負を回避する理由にはなる。

 ただここでは素直に申告敬遠はせずに、外のボール球を使ってきた。

 初回から勝負を避けることの、士気の低下を気にしたのかもしれない。

 もっともそんなことを考えるなら、メトロズも先発はそれなりに失点するオットーなので、素直に勝負しておいた方が良かっただろう。

 大介はここ三試合連続でホームランを打っている。

 ようやく下がってきたとは言っても、まだ打率は軽く五割をオーバー。

 昨年は惜しくも未達成であった、MLBのシーズン打率の更新が期待される。

 いや、一つぐらいは更新できなくても充分な気もするのだが。


 大介は外に外れたボールを、いつも通りに腰の回転で持っていった。

 レフト方向に、するどく低い弾道。

 レフト戦、レフトが追いつくこともなく、フェンスにまで直撃。

 サードがジャンプしたようなボールが、平気でフェンスにまで届いてしまう。

 それが大介の打球である。

 ノーアウト二三塁となって、バッターはシュミット。

 これを歩かせてしまうとなると、満塁で四番のグラントに回る。


 今年のメトロズは今のところ、得点力では去年をも上回る。

 だがそれ以上の投手崩壊で、なかなか勝ちきれなかったのだ。

 この数試合、特にリリーフにおいて、マイナーと入れ替わりがあって、わずかずつ結果が変わりつつある。

 オットーはクオリティスタート前後のピッチングをするピッチャーだ。

 なので序盤に、いきなり大量失点はまずい。


 シュミットへの警戒は、大介ほどではない。

 それでも状況が状況だけに、気が抜けるはずはなかった。

 しかし力の入ったストレートは、わずかにコースが甘かった。

 それを初球打ちしたシュミットの打球は、ライト前へのクリーンヒット。

 問題なくステベンソンが帰って、まずは一点先取。

 この後はグラントも外野フライを打って、大介がタッチアップで帰ってきた。

 もっともシュミットは機を窺っていたが、二塁へタッチアップは出来ない。

 五番の坂本も外野フライ、そして六番ラッセルもと、三者連続の外野フライ。

 ホームランを狙いすぎ問題である。


 ただこれで、まずは二点を先取した。

 オットーのピッチングがどうなるか、安定したいつも通りに投げられたら問題ない。

 しかし立ち上がりはピッチャーにとって、重要なポイントだ。

 ベテランのピッチャーでも立ち上がりに苦心して、失点するということはあるのだ。

 ある意味武史などは、安定しているとは言える。

 初回から二点以上取られたことはない。

 もっとも通算防御率が1を切っているので、それも無理はないことなのだが。




 オットーのピッチングは、悪い意味でフラグが立っていた。

 初回に二点を失点し、一気に追いつかれてしまう。

 ただ殴り合いであれば、メトロズの先取はお手の物だ。

 去年まではいなかったステベンソンやグラントも、もうメトロズ色に染まっている。

 取られた以上に取って勝つ。

 メトロズの基本である。


 ただ野球は重要な一戦になると、ピッチャーを含めた守備の力が絶対に重要になる。

 安定して抑えるのではなく、絶対的に抑える。

 武史がやっていることがそれに近いが、去年も今年もレギュラーシーズン、そこそこ点を取られている試合はある。

 ピッチングというのはそういうものなのだ。

 一人もランナーを出さないというのは、異常な事態なのである。

 

 二回の表、メトロズは無得点。

 そしてその裏に一点を許し、序盤で逆転された。

 ただ三回にはまた得点し、逆転に成功。

 シーソーゲームの様相を呈してくる。


 しかしオットーは、三回以降は失点することなく、リズムよく投げてくる。

 そしてメトロズの打線は、三回以降も着実に点を取ってくる。

 特に上位打線では、これを無失点に抑えるのは不可能に近い。

 ステベンソンがランナーに出たら、大介の危険度が極端に増す。

 最少失点で潜り抜けるのが、最適解と言っていい。


 結局六回までを、オットーは三失点のみに抑えた。

 この時点で既に、勝利投手の権利を獲得している。

 あとはリリーフ陣が同点に追いつかれなければいい。

 そういう状況はフラグであることが多いが、この時点でメトロズは三点もリードしている。

 普通に投げれば追いつかれないであろう。

 ……フラグではない。


 七回以降もメトロズリリーフ陣は、一点を返された。

 しかし打線はさらに得点し、8-4で最終的に決着。

 最終回に投げたアービングは、フォアボールを一つ出したものの、ノーヒットでスリーアウトゲームセット。

 一試合ごとにチームがこなれていっている。

 最初から強いチームもいいが、少しずつ強くなっていくチームもいい。

 何より若手が伸びていけば、王朝は長く続く。


 三年連続でワールドシリーズに進出し、そのうちの二度はワールドチャンピオンになっている。

 メトロズの黄金時代は、間違いなく今である。

 MLBの歴史を見ても、戦力均衡が上手くいくようになってからは、これほど強いチームは他にない。

 資金力が大きいのもあるが、その部分でのアンチも少ない。

 大介が色々と記録を更新していけば、話題はそれに埋め尽くされるからだ。


 もっともこの試合、大介のホームランは出なかった。

 長打はあったのだが、珍しく打点もなし。

 それでもホームを二回踏む活躍で、確実にチームには貢献している。

 大介がいるだけで、対戦するピッチャーはプレッシャーをかけられるのだ。




 第二戦はスタントン。

 成績はかなり異なる場合が多いが、評価はおおよそオットーと同じぐらいである。

 この二人はメトロズのローテを回すのに必須の戦力だ。

 圧倒するピッチャーではないが、クオリティスタートで試合を消化していく。

 去年などは援護が充分であったため、30個以上の貯金を作っていた。

 今年もスタントンは、投球内容はオットーと変わらないながらも、既に二勝0敗。

 負け越さなければそれでいい。


 武史と共に貯金を作ってもらう予定だったジュニアが、開幕序盤から離脱した。

 復帰一戦目は、あまりいい内容ではなかった。

 だがリリーフ陣が崩れなければ、打線が逆転もしてくれる。

 特に初回に、表の攻撃で先取点を取ってくれると、ピッチャーとしてもだいぶ楽になる。

 ジュニアもここから、先発のローテとして活躍してもらわなければいけない。

 投打のバランスが取れてこそ、チームは勝てるのであるから。


 この試合も、先頭ステベンソンが倒れた後、大介がゴルフスイングでインローの球を軽々と持っていった。

 ランナーがいない一回の表だから勝負する。

 常識的な判断であるが、非常識な相手にそれでは通用しない。

 アトランタにとってもメトロズに勝利することは、地区優勝のためには重要なことだ。

 そのためにシーズン序盤のこの時期に、あえて勝負にいったのか。


 長いバットを使っている大介は、逆にインコースが苦手だとも言われたりする。

 だがNPBのインコースに比べて、MLBはインコースのゾーンが小さい。

 そもそも腕が長くないので、コンパクトに振りやすいのだ。

 大介相手にインコースを投げるのは、間違いなく冒険である。


 この試合はバッター不調というわけでもないのに、お互いに好守が連発した。

 1-0というスコアのまま、スタントンの担当である六回が終わる。

 この流れだとピッチャーが交代した瞬間、試合は動き始める。

 そう予想していた者は多く、実際にそのように動き始めた。


 高めの甘い球をしとめ損なって、珍しく浅いフライを打ってしまう大介。

 しかしメトロズの得点源は、もう大介ばかりではない。

 大きく点が入っていくわけではないが、3-1で最終回のアトランタの攻撃。

 今日もアービングがクローザーのマウンドに立つ。


 エラーからヒットが出て、一点を取られる。

 一点差となってから、ここからの粘りが問われるのだ。

 クローザーは1イニングだけしか投げないので、一点でも取られれば一気に防御率は悪化する。

 しかし極論してしまえば、クローザーに防御率はあまり関係ない。

 セーブに成功したのか失敗したのか、それだけで判断したほうがいい。

 アービングは最後、ストレートで空振り三振を奪い、試合終了。

 3-2のロースコアゲームを、見事に制したのであった。




 四連戦の残りは、グリーンと武史。

 だがその三連戦の前に、武史には一つの情報が告げられていた。

 天気予想により、おそらく第四戦は中止となる。

 他のピッチャーであれば普通に、登板を一つ飛ばされてしまうのがMLBだ。

 しかし武史レベルであると、一日ずれた日程で使わなければもったいない。

 ただ調整していた他のピッチャーは、代わりに飛ばされてしまう。

 先発ローテの中にも、明確な格差がある。


 第三戦そのものは、まだ天気も崩れることはなく、普通に進んだ。

 グリーンはとりあえずローテを回すピッチャーで、それほどの期待はされていない。

 それでも今年は既に、勝ち星を上げているのだが。

 メトロズの得点力が、運悪くさほど発揮されない試合。

 前日もそうであったが、そんな試合もたまにはあるのだ。


 グリーンとすれば自分が投げるときも、それなりに打ってほしいとは思うだろう。

 だがそんなことを思わず、自分自身の力で勝ち星を得ようとしないと、結局結果は出てこない。

 まあサイ・ヤング賞レベルのピッチングをしているのに、勝利がつかないピッチャーもいるのだが。

(明日は中止か)

 試合が中止になるのは、MLBではとても大変なことなのだ。

 NPBと違ってドームも少ないのに、それでも三時間遅れでも、試合が開催されることはある。


 もしもここで中止になれば、いつに延期にすればいいのか。

 NPBであればシーズン終盤なり、月曜日に試合を入れて四連戦にすればいいだけだ。

 だがアメリカは、同地区のチーム相手でも、19試合しか年間に試合をしない。

 そして当然ながら、ホームのゲームはホーム、アウェイのゲームはアウェイでの試合となる。

 連戦の多い中、休養日も移動日に使うため、まず試合を行う暇がない。

 なのでダブルヘッダーが日本に比べれて多くなるのだ。


 レギュラーシーズンの開催期間はほとんど日本と同じなのに、試合数は162試合とMLBは多い。

 19試合も詰めて、試合をしなければいけないのがMLBだ。

 ただこのレギュラーシーズンの試合は少なくして、ポストシーズンの出場をもっと多くしようという試みは、もうずっと前からされている。

 理想としてはア・リーグもナ・リーグも、共に8チーム。

 そしてトーナメントをしていくのが、分かりやすいシステムである。

 たとえば同じ四大スポーツのNBAでは、上位8チームが東と西に分かれてトーナメントを行う。

 そして東西の優勝チーム同士の対決が、ファイナルと呼ばれるのだ。


 明日の第四試合が中止になるかは、本当にぎりぎりにならないと分からない。

 ただ武史はどうせスロースターターなので、直前まで待っても問題はない。

 もし明日の試合が延期になればと思って確認すると、五月の末にダブルヘッダーの対戦となる。

 ピッチャーのローテの運用は大変なものだ。


 いっそのことドーム球場を、せめて開閉型ドーム球場を、もっと作ればいいのにと武史は思う。

 だが今年で四年目となる大介には、ようやく分かってきている。

 今のスタジアムは新築、あるいは改装されても、古いスタイルの外観を残すことが多い。

 なぜならそれは、伝統であるからだ。

 古くからの歴史を持たないアメリカの、伝統へのコンプレックスは根深い。

 もっとも大介も武史も、それぞれ本拠地は甲子園と神宮であった。

 高校時代もマリスタでやっていたため、太陽の下での野球というイメージは持ってはいる。


 神宮はともかく甲子園など、特に左バッターの大介には、ホームランは出にくい球場のはずである。

 だが実際には大介は、甲子園を本拠地としながら、ホームランの記録を出し続けていた。

 魂に刻まれた部分で、やはり野天の球場を好むのか。

 武史としてはそんな感傷はなく、雨で中止にならない方が、予定がちゃんと進行していいものだと思うのだが。




 グリーンの投げた第三戦は、メトロズの敗北に終わった。

 五回五失点のグリーンは、そのまま敗戦投手へ。

 試合自体は終盤まで、どうにかぎりぎり逆転のチャンスは残っていたのだが。

 5-7というスコアで負けたのだから、六回三失点を保っていたら、おそらく勝てていた。

 もっともアトランタはやはり、しっかりとピッチャーを揃えていると言えそうだ。


 この三試合、メトロズの得点は、8、3、5となっている。

 メトロズとしてはかなり、ロースコアの得点と言っていいだろう。

 八点を取った試合だけは、それなりにハイスコアではある。

 しかし今季のメトロズは、三点と五点というのは、最少得点とその次の得点。

 あとの試合は負けていても、六点以上は取っていたのだ。


 アトランタは同じ地区の強豪なだけに、やはりかなりメトロズの分析をしている。

 そのためかなり冷静に、大介との勝負を最低限にしたのだ。

 ホームランを打たれないために確実なのは、申告敬遠。

 本当につまらない制度が出来てしまったものである。


 大介は三試合で、打点がホームランの一点しかつかなかった。

 それ以外は打たれたとしても、打点がつかないように投げている。

 極端に言ってしまえば、大介以外のバッターのほとんどは、どれだけの強打者であろうと、勝負した方が結果はまだマシなのである。

 大介だけは本当に、勝負をしない方がマシなのである。

 セイバー・メトリクスによる計算。

 それは敬遠の非効率さを証明することともなった。

 短期決戦ならばともかく、レギュラーシーズンであれば、強打者相手でも勝負した方がよい。

 それが統計の真実である。


 翌日、ジョージア州の中でも、アトランタの本拠地球場があるカンバーランドは雨。

 それでもグラウンドにはシートが敷かれ、ぎりぎりまで中止のアナウンスはない。

 メトロズは敵地アトランタでの試合の後、次はセントルイスとの対戦が待っている。

 開幕戦ではホームゲームであったが、今度はアウェイでの戦いとなる。

 そして同じリーグでも、地区の違うセントルイスとは、今年はそれで対戦カードは終了。

 なんとも偏った日程だなと、武史などは思う。

 四月の間にセントルイスとのカードは全て終了。

 さすがに19試合もある同地区チームとの試合は、そこまで偏ってはいないが。


 メトロズとしては同地区ライバルチームであるアトランタとの試合は、武史で確実に一つは勝っておきたかった。

 他のチーム相手に勝つよりも、一勝の価値が違うのだ。

 しかし本来の試合経過時間から一時間がたっても、天候が改善する余地はなし。

 ついに中止が決まったのである。


 これが日中の試合で、天候改善の予兆があれば、三時間以上も試合開始時間が遅れることもある。

 特にメトロズは翌日、移動日が休養日になっている。

 日本であればぶち切れ案件であるが、このあたりアメリカは野球の楽しみ方が違う。

 特にレギュラーシーズンなどは、のんびりと観戦している年配者が多い。

 野球は確かに他のスポーツに比べれば、見所が割りとはっきりとしているということもあるだろう。

 エースピッチャーが投げて、それを期待のバッターが打っていく。

 その場面は特に視聴率が高くなり、スタジアムでもそれ以外は、のんびりとくつろいでいたりする。


 アメリカの場合は交通手段の違いもあるだろう。

 日本の場合は球場近隣に、おおよそは駅が存在する。

 アメリカは日本よりもはるかに、車社会である。

 なのでこの日の場合は当てはまらないが、終電を気にせずに試合が続いていくこともあるのだ。

 日本と違ってアメリカでは、延長引き分けが基本的にないのだから。




 中止なら中止で、もっと早く決めてくれと思うのが武史である。

 日本ならセ・リーグであっても、東京、名古屋の二つの球場は、ドームなのでほとんどの悪天候に耐えられる。

 パ・リーグであると北海道、埼玉、大阪、福岡がドームである。

 もっとも埼玉の場合は、とんでもない悪天候なら中止もありうるが。


 試合の中止が決まり、ホテルに戻って就寝し、次の日には移動して、その次の日に試合。

 セントルイス相手のアウェイゲームである。

 開幕三連戦のホームゲーム、メトロズは負け越していた。

 しかし開幕戦だけは、武史が完封して、13-0という圧倒的な快勝であった。

 あのイメージを持ったまま、セントルイスと対戦出来るのか。

 武史は神経が鈍感な方であるが、試合中止による延期は、ややバイオリズムを崩してしまった。


 セントルイスに到着し、そのまま軽い運動。

 武史はほんのわずかにだが、体の動きに違和感がある。

 それは痛みとかそういう危険なものではなく、体全体がわずかに鈍いのだ。

 前日、試合が開催されるかもしれないということで、肉体は一度臨戦態勢に入っていた。

 それが延期ということで、一度電源を落としている。

 もう一度上げていこうとするのだが、どうにもそれが上手くいかない。


 NPBでも中止でローテがずれたことはある。

 武史の投げた試合は、ほとんどが勝てる試合になっていたからだ。

 しかし中止になるかもしれないという状態から、本当に中止の判断が下されるまでの時間、武史は試合への準備をしていた。

 それがやっぱり一日ずれますであると、微調整が利かないのだ。


 この日は移動日であるため、試合がないのは助かった。

 ただ明日には、ちゃんと先発が回ってくる。

 大丈夫だろうと思っていたのだが、試合当日になっても、まだ違和感は残っている。

 違和感と言うよりは、体の準備が出来ていない。

 高校時代や大学時代は、一日休んだだけでまた試合、というのは普通にあったことだ。

 しかしプロに入ってからは、武史は完全にローテのピッチャーとなっている。

 NPBでも負けた試合は、こういう感じではなかったか。

 試合前に武史のボールを受けていた坂本も、わずかな違和感を見逃していなかった。


 武史の場合は試合前に肩を作るのは、最低限にしている。

 試合が始まって実戦で投げた方が、しっかりと肩は出来てくるのだ。

 もちろんいきなりギアをトップに入れるわけにはいかないので、キャッチボールから徐々に力はこめていく。 

 しかし試合前にMAXに持っていくというのは、もう完全にしていない。

 無理をしないということが、長く先発を続けていくコツであるのだ。


「なんちゅうか、調子悪いがか?」

 坂本としては確認しないわけにはいかず、そして武史も強がったりするタイプではない。

「一度試合に合わせたのを、落としたのが悪かったかなあ」

 コントロールなどが悪いわけではないが、わずかにボールが来ない。

 それでも他のピッチャーが投げるよりは、ずっとマシな内容になるだろう。

 武史が無理をしない人間であるのを、坂本はもうよく分かっている。

 だからこそレギュラーシーズンの中の一試合であるこの試合、落としても取り返しは利くのだが。


 セントルイスも先発にエースクラスを持ってきている。

 武史がローテーションを移動するのは、あちらとしては計算外だったろう。

 強打のメトロズをどうにかある程度は抑えて、調子の悪い投手陣を叩く。

 それがあちらの計算であったはずだ。


 やはり武史は、休ませておくべきであったのか。

 ボールが来ない理由は、バイオリズムと言うよりは、メンタルにあるのではと思うのだ。

 臨戦態勢になってから、やはり試合はないと決まる。

 そこから数日をかけて、コンディションを整えていくのがMLBだ。

 NPBならまだ、さほど投げていないエースを中三日で使うなど、ブレブレの場面はなくはない。

 ただMLBは本当に、厳密にローテーションを守るのが本来の姿であるのだ。


 こういう直前の変更に、NPB出身のピッチャーなら慣れているはずだ。

 だが武史は、一年間でMLBの流儀に慣れてしまったらしい。

 このあたりがやはり、兄には及ばないと思われる所以か。

 それでも坂本には、武史で勝つ自信はあるのだが。


 調子が悪いなら、悪いなりのピッチングをすればいい。

 どうにか試合を作っていくのが、エースとしての役割である。

 ただ対戦相手が、優先順位はさほど高くはないセントルイス。

 坂本は念のため、メンタル的に切り替えが出来ていないとは、首脳陣に伝えておいた。


 そんな繊細なやつだったのか、と驚く首脳陣であるが、こういうことは繊細とか鈍感ではなく、単純に慣れの問題だ。

 先発とリリーフでは、心構えが違うのと似ている。

 先発はいつ投げるのかが分かっているので、その日にあわせて調整をしていく。

 リリーフはいつでもいける心構えをしておかなければいけないが。

 中止の判断が遅くなったのも、悪かったと言えるだろう。

 おそらく中止になるとは言われても、その最終的な判断が下されるのに時間がかかった。

 集中力のコントロールというのは、ピッチャーにとって難しいものなのだ。

 元はピッチャーである坂本には、それがよく分かる。


 そろそろ負けても仕方がないか。

 そう坂本は思うが、打線の援護があれば勝てる。

 最近はやや、得点力の落ちている打線。

 そのせいで武史に負けが付けば、また悪い雰囲気が訪れるのかもしれないが。

 なんとも今シーズンは、思ったとおりにいかないものである。

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