第82話 嵐の前の下準備

お待たせしました!

今日から2章完結までまた毎日走ります!

頑張って書いたので最後までお付き合いいただけますと嬉しいです! 

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席替えをしてからしばらく。今日は休日。太陽からの熱視線が日に日に強くなるこの頃、外に出るだけでも汗がすぐに出てきてしまう。


 水も滴るいい男を演出するにはいい環境かもしれない。なんて変なことを考えてしまうくらいには暑さで頭をやられやすい状態。もうすぐ夏とか嘘だろ? もう夏じゃん。今がこの暑さで夏来たら溶けるんだが?


 こんな日はクーラーが効いた家で大人しくしていたいんだが、今日はそうもいかない事情がある。


「ったく……こんなクソ暑い中呼び出しやがって」


 隣を歩く眼鏡に悪態をつく。


「それでも来てくれるのは八尋の良いところだ」


 暑いはずなのに、このダテ眼鏡は相変わらず涼しげな表情を崩さない。


「ま、友達の誘いだしな。それに俺も今日は暇だったし」

「相原との予定はなかったのか?」


 こいつが気を遣うとは珍しい。


 我が道を好き進む選手権があれば県代表くらいにはなれそうな逸材なんだけどな。時折こうして気を遣ってくれるから県代表くらいが妥当。日本代表はそう甘くないんだよハカセ。何の話だっけ? 暑いと思考も溶けちゃうよね。


「美咲の方が用事があるらしくてな。今日は家でぐったりしてる予定だった」

「そうか」

「それに、ハカセが俺を誘うなんて珍しいし。どんなとこに連れて行かれるのか興味ある」

「ふ……まあ楽しみにしていろ」

「へいへい」


 ハカセはフンと鼻を鳴らした。自信満々なご様子。


 今日はハカセから特に用事が無ければちょっと付き合ってほしいと言われて招集されている。


 集合場所に行けばそこにはハカセしか居なくて、他に誰も来ないことをそこで知ったくらいだ。まあいたとしても佐伯くらいしか考えてなかったけど。美咲は用事だし、篠宮は……ハカセが誘うとは思えなかった。ハカセも俺も交友関係狭いな。狭く深くってやつ。できないわけじゃねぇから。


 まあそれほどまでに俺は何も知らないということ。


 これからハカセが俺をどこに連れていくのか、それも楽しみとしてあえて聞かないでおく。


 ハカセに案内され歩くこと少し、街のメインストリートから外れ、華やかな街並みから少しアンダーな雰囲気に変わったところでハカセは止まった。


「着いたぞ。ここだ」

「ここは?」


 随分年季が入った外観で、看板の文字が掠れていて一部読めない。


 辛うじて何ちゃらステージとだけ読めた。


「ライブハウスだ」

「ライブハウスか……ライブハウス?」

「ああ、今日は俺の推しのライブに八尋と行きたかったんだ。たまたま知人が行けなくなってな。それで八尋を誘った」

「なるほど。ちなみになんのライブ?」


 間違いなく俺が知っている様なアーティストのライブでないことはたしか。


 前提として、記憶を失っている俺の芸能知識はゴミみたいなものだ。というかゴミ。


 まず音楽自体をあまり聞かない。それにテレビで音学番組を見ることも少ない。だからそういった知識は同年代のそれよりかなり劣っている。


 クラスでたまにあのバンドの曲良いよね。みたいな会話があっても俺にはちんぷんかんで話にまったく入っていけない。そもそも俺と話してねぇから関係ないか。ただ周りの会話が聞こえるだけだから。寂しくないもんね。


 それでも、訊くだけ訊いておこうと思った。過去のハカセの話を聞いていれば、大方の予想はついているけど。


「よくぞ聞いてくれた。ここは『ストームリリィ』のライブ会場だ」

「へぇ、そうなんか」


 やっべ全然予想と違うわ。ハカセが常日頃から豪語してたあの人かと思ったけど違った?


 いやでもまだグループの可能性はあるから。そっち訊いてみるか。


「それってもしかしてハカセの推しのまゆたんのライブだったりする?」


 まゆたんはハカセ曰くこの世に舞い降りてきた天使。


 俺でいう美咲のような存在であるらしい。まあ神々しさで言えば美咲の圧勝だけど。


 比べる次元が違うんだよ。所詮この世に生を受けた人では到底太刀打ちできない。天使ってそういうことだぜ? 格が違うんだわ。


「その通りだ!」

「うわ急に近いな⁉︎」


 ハカセはまゆたんの言葉に反応したのか、急にグイッと顔を近づけてきた。


 とりあえず、やっぱりまゆたんだった。お前がライブって言ったらそうだよな。


「さすが八尋だ! お前は既にまゆたんの素晴らしさに気づいているんだな! ユニット名だけでまゆたんに辿り着くのはもう好きな証拠に他ならない!」

「だあ近い近い‼︎ 少し離れろ!」


 このまま行けばキスする勢いで迫り来るハカセを押しのける。ファーストキスが男とか絶対に勘弁だからな! 相手は決めてるんだよ俺は!


 でも、あれ以来まだ手も繋げてないんだよなぁ。あれとは当然体育祭。


 おそらくチャンスはいつでもあるんだけさ。まあ今その話はいいか。


「八尋もストリリのファンだったか」

「話が飛躍しすぎだろ? ストリリ?」

「ストリリと言えばストームリリィの略称に決まっているだろう。ファンの間では常識だぞ」

「いや何でそんなことも知らねぇんだよ? みたいな感じで話すのやめろや。俺はファンじゃねぇからわかんねぇよ……」


 当然だろって目をするな。俺は素人だぞ。今日初参加だぞ?


「だがまゆたんのことは知っていたじゃないか」

「そりゃ普段から語る奴がいるからなぁ」

「ほぉ、殊勝な心掛けを持っている奴がいるんだな」

「……そうだなぁ」


 こいつの場合、これを本気で言っているのか冗談で言っているのかわからない。


 俺基準では普段から語っているレベルだと思うけど、ハカセ基準ではそうではないかもしれない。その場合、こいつは本気で自分のことだと認識していないおそれがある。


 だからこそあのセリフの真意が全く読めない。これが篠宮であれば容易に読めるが、ことハカセであれば人間の常識はあまり当てはまらない。


 それでも、ハカセは本気でわかってないと俺は思う。ハカセはそういう奴だ。うん。


「あれ?」


 俺はそこで一つの違和感を覚えた。


「これからライブなんだよな?」

「そうだが?」

「そのわりには全然人が居なくないか? ライブ開始前って人でごちゃごちゃしてるイメージだけど?」


 そう、ライブ前だと言うのに辺りに全然人の姿が見えない。人っ子一人見えないのはさすがにおかしい。


「ストリリってそんな人気ない感じ?」


 ハカセの目が細くなる。


「馬鹿を言うな。ストリリは最近勢いに乗っているグループだ。人気が無いわけないだろう」

「じゃあ尚更人がいないのは不思議だな」


 人気のグループであれば、尚のこと人がいないのはおかしい。特にライブ前なんてのは戦闘態勢が整った猛者どもが徘徊している印象を持っているんだけど。


 カラフルな棒、あれはサイリウムって言うんだっけか。それを何本も持ったり、缶バッジを鬼の様に付けたりした連中がどこにもいない。


 ネットでチラッと見ただけの知識だけど、それらしき人影が一つもないと本当にここでライブが行われるのか不安になる。


 これはハカセの壮大な妄想ドッキリなんてことはさすがにないよな。いくらハカセでもそんなことはしないよな? きっと。


「人が居ないのは当然だ。ライブが始まるのは3時間後だからな」

「へぇ、そうか…………は?」


 さも当たり前の様な感じで言われたセリフに、俺の思考は一瞬固まった。


「ライブが始まるのがなんだって?」


 俺の聞き間違いかもしれないので、念のため確認する。


「ライブが始まるのは3時間後だ」


 聞き間違いじゃなかったわ。


 そりゃ人いねぇのも納得だよ‼︎ さすがにそんな早くから来る熱心なファンはお前くらいだよ‼︎


「なんでそんな早くから連れて来たんだよ!?」

「まずは会場に案内したかったと言うのがひとつ」


 そして、と前置きして続ける。


「初めて参加するなら、予習は必要だろ?」

「えぇ……」


 俺はその後2時間以上、喫茶店でストリリの魅力と、ライブの時の合いの手を叩き込まれたのだった。真面目に語るハカセの姿、冗談を言ったらマジで怒られた空気感での教育は、もはや洗脳と言っても過言ではなかった。


 疲れた。これからライブとか嘘だろ?

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