第2話 引っ越し挨拶
用心しぃのめーちゃんほどじゃないにせよ、私だって筋論者の怖いおばあさんにご挨拶というのは緊張する。岡田さんは私なら大丈夫だって言ってくれたけど、こういうのは相性もあるからなあ。
二人揃って、ぴきぴきに緊張した状態で門の前に立った。クラシックな作りの古い大きな家で、門構えもいかめしい。いわゆるお屋敷だ。ただ、意識してよく見るとあちこちに違和感がある。
「あれ?」
「どうしたの?」
「いや、庭が空っぽだなあと思って」
「あ、ほんとだ」
こういう和風のお屋敷って、松がーとか盆栽がーとか、そういうイメージだったけど、一面芝生が広がってるだけで他に何もない。広いけど、殺風景なんだ。おっと、人んちをじろじろ見るのは失礼だ。さっさと挨拶してしまおう。
ごっつい門柱に古びたインターフォンが取り付けてあるけど、これって機能してるのかな。おっかなびっくり呼び鈴を押すと、スピーカーからすぐに女性の声が返ってきた。
「はあい。どなたー?」
「あ、あの。近くに越してきたものですー。ご挨拶に伺いましたー」
「あらあ、それはご丁寧に。ちょっと待ってねー」
スピーカーが古いせいか音がちょっとひずんでたけど、どこかで聞いたことのある声だなあ。で、玄関の戸ががらっと開いて出てきた人を見てのけぞってしまった。
「わ! お花見の時の」
「あらあ、あなたたち」
びっくりなんてもんじゃない。うそお! 八十過ぎ? 絶対にそんな年には見えない。六十少し越したくらいにしか……。この前と同じでスポーツウエアだし、身のこなしもきびきびしてる。
しばし呆然としてたけど、主目的を思い出して慌てる。
「そこの平屋の家に越してきました。よろしくお願いいたします。小賀野類と言います」
「わたしは矢口萌絵ですー。これから二人とも大学に通いますー」
真顔で私たちを見比べていた佐々山さんが、ふっと首を傾げた。
「ご夫婦?」
派手にずっこけてしまう。とほほ、そう見られても仕方ないのかなあ。
「違いますー。家を二人で借りてるんです。シェアハウスっていう……」
「ああ、そういうことか。ご時世ねえ。わたしの孫も友達とシェアで暮らしてるって言ってたから」
「わ! そうなんですか」
身を乗り出しためーちゃんを見てにこっと笑った佐々山さんが、私たちを手招きした。
「わたしは佐々山初江です。知らない仲じゃないんだし。中で話しましょ」
「いいんですか?」
「お弁当をごちそうになったからね。それにまだ風が強いわ。北風に変わっちゃったし、寒くてかなわない」
「あ、確かに」
昨日ほどじゃないけど、時折強い風がつむじを巻いて通り過ぎていた。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「お邪魔しますー。わあい」
めーちゃんは、挨拶の相手がこの前のおばさんだったことを知るやいなやいきなりガードを下げてしまった。本当に極端だよなあ。まだ地を丸出しにするのは早いんだけど……。はらはらしてしまう。おっと、渡しそびれるといけない。さっき買ったお菓子を渡そう。
「これ、どうぞ召し上がってください」
「気を使ってくれてありがとね。いただくわ」
佐々山さんは、すんなりとお菓子を受け取ってくれた。筋論者って聞いたけど、尖ったところのないごく普通のおばさんだよね。その佐々山さんを怒らせるんだから、他の人たちが相当ひどいってことか……。佐々山さんより、それ以外の人たちを警戒した方がいいかもしれない。
◇ ◇ ◇
「うわあ! すっごーい! わたしもこんな風にしたーい!」
めーちゃんが、目をきらきらさせながら室内を見回してる。私もびっくり。外見が純和風だから中もそうなのかと思ったら、モノトーン基調の洋間だ。徹底してシンプルかつシャープな印象。北欧風ってのはこういうのを言うのかな。
「おしゃれですねえ」
「そう? 家が古いから、生活空間くらいは快適にしとかないとね」
紅茶を入れてくれた佐々山さんは、ソファーに腰を下ろすなり私たちに探りを入れ始めた。
「いつ入居なさったの?」
「十日くらい前です。私も彼女も事情があってばたばたしていたので、ご挨拶が遅れました。すみません」
「事情?」
隠し事をしない原則はここでも通したい。佐々山さんが筋論者だと言うのなら、特にだ。
「前のシェアハウスで同居人が突然離脱しちゃったんです。時期的に物件選ぶ余裕がなくて。不動産屋さんにずいぶん無理を言いました」
「わたしは、親が実家から出るのを認めてくれなくて……」
「ああ、実力行使したのね」
佐々山さんが察してくれた。
「はい。ルイさんには迷惑をかけてしまいました」
「あら、小賀野さんがサポートしたの?」
「私は成人していますから。二浪なんです」
「それでか。一日の長ということね」
ぱちんとウインクされる。笑ごまするしかないね。ははは。
「で、矢口さんのご両親は下宿を許してくれたの?」
「はい! この前、シェアハウスを見てもらいましたー」
「ちゃんと公認にしたんだ。えらいわあ。うちの孫にも見習ってほしい。なんでも事後承諾なんだから」
渋い顔をした佐々山さんがぶつくさ文句を言った。
「お孫さんは学生さんなんですか?」
「今は社会人。大学時代にアパート暮らししてると思っていたら、それが実はシェアでねえ」
「へえー」
「親からせしめていたアパート代より家賃がずっと安かったのに、無申告。差額を遊興費に使ってたのよ。まったくっ!」
「ちゃ、ちゃっかりしてるー」
目をまん丸にしためーちゃんを見て、佐々山さんがひょいと両手を掲げた。
「そういうご時世なんでしょ。でも、時代の変化は決して悪いことではないと思ってる。でこぼこはあっても、全体としては価値の多様性を認めてくれる方向に動いてるからね」
「そっかあ……」
納得顔のめーちゃんを見て、佐々山さんがくすっと笑った。
「これがン十年前なら、未婚女性が男性と同居生活なんて親だけじゃなく、誰も認めないわよ」
「う……」
ほらほら、言わんこっちゃない。ちゃんと用心しなきゃ。筋論者っていうのはいろいろなところにアンテナ張ってるんだからさ。
まあ、私たちの場合は普通のシェアじゃなく、いろいろな特殊事情が背景にある。で、それを逐一佐々山さんに説明してもしょうがない。めーちゃんへのツッコミがきつくなる前に、話題を逸らしておこう。
「あの、佐々山さんにいくつか伺いたいことがあるんです。私たちはこの辺りの事情に疎いので」
「なにかしら?」
「一つはゴミステーションのことなんですけど。二丁目のはどこにあるんでしょうか。だいぶ探したんですが見つからなくて」
もちろん、裏事情を調べてあるなんてことはおくびにも出さない。知る知らんの出し入れは駆け引きのうちやで……店長に教わったテクだ。
「ああ、見つからなかったでしょ?」
「はい。で、シェアハウスを斡旋してくれた岡田不動産てとこの社長さんに聞いたら、五丁目にあるって言われて」
「あはははっ! 岡田さんたら、キビシイわねえ」
「岡田さんをご存知なんですか?」
「いいオトコだからね」
ぱちん。佐々山さんがウインクした。うう、きっと私が出さなかった手札もわかってるんだろうなあ。佐々山さんの方が一枚上手だ。
「二丁目はうち以外賃貸で住んでる人ばかりなの。マナーがすごく悪くてね。ゴミは個別に回収してもらってるの」
「そうですか……」
「よかったら、あなたたちの分も一緒に出してあげるわよ」
やりいっ! た、助かったあ。
「すごくありがたいです。ゴミの仕分けとかまとめるのとかお手伝いします」
「助かるわ」
いや、助かるのは私たちの方です。ほっ。
早速ゴミ収集日を教えてもらって、一番厄介なゴミ問題は無事にオチがつきそうだ。やれやれ。ほっとしたついでに、もう一つの重大案件についても情報収集しておこう。岡田さんとつながっているなら、ある程度事情を知ってるかもしれないし。
「あと、もう一つ伺いたいことがあるんです」
「なにかしら」
「今借りているシェアハウスなんですが、前に住まれていた方をご存知ですか?」
「前って……最近?」
「いえ、岡田さんが言うには、あの家には誰も住みたがらないって。私はどうも気になっていて。長いこと、あの家に住まれていた方がいたんじゃないかなあと」
岡田さんを知っているなら、その岡田さんが扱っている物件が事故物件だということも知っているはず。で、私たちはそれを承知の上であの家に住んでる。佐々山さんは勘が鋭いみたいだから、私の探りの背景は読むだろう。
「何があったかってこと?」
隠してもしょうがない。正直に話そう。
「岡田さんが言うには、『出る』っていうんですよ。これが」
うーらーめーしーやー。
私の格好を見て、佐々山さんが苦笑した。
「うーん、私が知る限り、幽霊が出るようになる凄惨な事件とかは何もなかったわねえ」
「そうなんですか!」
「ええ。あの家はずっと賃貸だったらしいけど、同じ人が長く住んでたわ。わたしよりは一回り以上若い方。それでも今は六十をすぎてるかな。三村さんていう独身の女の人」
「その方、今は?」
「もう退去されたわ。三年以上前ねえ。勤められていた会社を定年で退職されて、同時にあの家を出たって聞いてる」
そうか。岡田さんは夜逃げ物件だと言ってたけど、その三村さんて人が夜逃げしたとは限らないんだ。次の人が家賃踏み倒してとんずらすれば、結局夜逃げ物件だもの。
「その三村さんて人とは行き来があったんですか?」
「ないわ」
佐々山さんが、ぴしりと突き放した。
「マナーの悪い傲岸な人ではないんだけど、とにかく陰気で覇気がないの。自治会にも入ってなかったし。道で会った時に軽く挨拶するくらいかしらねえ」
「今どうされてるかはわからないってことか……」
「ええ。でも」
佐々山さんが、そういえばという感じで腕を組んだ。
「ごくたまに、スーパーで見かけるのよね」
「えええっ?」
じゃあ、まだこの辺りが生活圏ていうことなのかな。
「雰囲気が昔からずっと変わっていないから、声をかけられなくてね」
「そうかあ……」
面識のない人に話しかけるだけでも相当ハードルが高いのに、ましてやその人が陰気で人付き合いの苦手な人だとなあ……。接点をこさえるチャンスがない、か。残念。
他になにか手がかりになりそうなものはないかなあと考えていたら、ぽんと佐々山さんに聞かれた。
「ねえ、小賀野さん」
「あ、はい」
「怖くないの?」
「幽霊が、ですか?」
「ええ」
興味津々で突っ込んできたから、さらっと返す。
「怖くないです。私が一番怖いのは生身の人間です」
「へえー」
「だってそうじゃないですか。幽霊になにかされたっていう話は、フィクション以外では聞いたことがないです。でもリアルな人に何かされたっていうのは、実体験含めていっぱいあるので」
「それもそうか」
うんうんと頷いた佐々山さんに向かってもう一言足す。
「私も岡田さんも、心配しているのはむしろそっちの方なんですよ。女の子がいますから」
「当然ね。しっかりしてるわ」
佐々山さんは、シェアハウスの幽霊話が面白いネタだと考えたんだろう。いきなりひょいと立ち上がった。
「あなたたちがよければ、シェアハウスを見せてみらえる? わたしは今まで一度も立ち入ったことがないから」
「構わないですよ。まだがちゃがちゃですけど」
「最初はそんなものよ。組み立てる楽しみがなかったら、すぐに飽きちゃうわ」
「そうですよねっ」
喜色満面で、めーちゃんがぶんぶん頷いた。めーちゃんは、佐々山さんを話のわかるおもしろいおばさんと位置付けたんだろう。文学の話で盛り上がってたし、これから行き来が増えそうな気がする。
私はまだそこまで楽観的にはなれない。一抹の不安を覚えるんだけど、先回りして心配してもしょうがないよね。紗枝さんが言っていたように、致命的な失敗でない限りいろいろ経験して学んでいくしかないんだろう。それは私だって同じだ。
「じゃあ、いらしてください」
「あ、ちょっと待って。メモ帳と老眼鏡を持ってくるから。ああ、わくわくするわ! はっちゃんちぇーっく!」
年寄りの一人暮らしは刺激がないのようと節をつけて口ずさみながら、佐々山さんがいそいそとリビングを出て行った。その後ろ姿を見て、めーちゃんがしみじみ呟いた。
「なんか、おもしろい人だなあ」
「てか私たち、おもしろい人にしかぶち当たってないような気がする」
爆笑しそうになっためーちゃんが、両手を口に当てて必死に堪えた。
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