ショートストーリーは突然に B面

月美 結満

ベイカー ベイカー パラドクス

ベイカー ベイカー パラドクス 壱

周りに聞こえる様に彼を追い込む上司。

その上司の聞きたくもないネチネチ声に周囲は疲弊する。


彼は入社してから7年間、この上司の下で何とかしがみついて来たが、とうとう会社に来なくなった。


別に私は彼と同じ部署でも無ければ、同期でもない。けれど、壁1枚も隔てないお隣の部署ではある。


この7年間、良く耐えたなと同情してしまう。

そしてこの7年間良く耐えてこれたのは、このだだっ広い壁1枚も隔てないオフィスのお陰かもしれない。


初めこそ、叱責される様子を周りに聞かれて羞恥心でいっぱいだったかも知れない。

しかし、いつしか私の上司が彼の味方になり、隣接する周りの部署の人が彼を陰ながらフォローする様になっていた。


彼はどうして集中砲火を浴びるのか。

考えてみた。


いち

段取りが悪いと、その上司は良く言っていた。(自主的に段取りを組んでも、それはそれで「勝手に何をやっている」と言うくせに)


良く考えろと、その上司は良く言っていた。(セッカチな上司の“良く考える”時間の長さは、精々頑張って15分。リミットが過ぎると、早く答えを出せと責付く)


さん

直ぐに行動に移せと、その上司は良く言っていた。(上司の承認決裁は遅すぎるため、決裁がおりた頃には、全ての段取りが後ろ倒しになる)


そういえば、集中砲火を浴びせる時は自分の真横に彼を座らせている。(彼の身長は180センチはあるだろう。上司は、私より少し低いくらい。唯の妬みとか、では無いことを願う)


上司は頭の回転が速い故、最善を導ける。

その最善の道筋から横に逸れてしまう彼や、その他が許せないのだろう。


そんな上司の会社の評価は高い。

自分がやるべき仕事は速いし、難しい性格の偉いさんにも臆せず対応する。

一部ではあるが、そんな上司のイズムを継いでいる部下もいる。


「やばいよねクラッシュ上司、これで何人目?」


便座に腰を落として聞く、誰かがが付けた上司の異名。


「これで処罰対象にならんのがなな不思議だわ」


何それあと6個が気になる。


化粧室から2つの声が消えた。

トイレを流し、ズボンを上げる。


化粧室でも女子会と化すコミュニティ能力には感心する。

残念ながら私にそれは備わっていないが、存在を空気と同化させ、聞き耳を立てることは得意である。


卑怯な女だとは思うが、この頃は気遣いと呼んで納得させている。

楽しそうな会話の雰囲気を私が現れることで白けさせたくない、という気遣い。


手を洗い、備え付けのペーパータオルを2枚引き抜き水分を拭き取っていく。


まぁ、他言する訳ではないので許容して欲しいところだ。


ペーパータオルを捨て、ふぅっと息を吐く。

鏡に映った自分の生の無い目を見る。


あと3時間もすれば退社時刻だ。そして明日は休暇が控えている。

あとはそうだ。期間限定のビアガーデンに行くと決めていた。


瞼が持ち上がり、生を取り戻した自分の目を見て、「よし」と小さく呟き化粧室を後にした。

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