第六天の魔女 ~紅奇譚

橘はじめ

序章

第1話 第六天魔の洞窟

 平安の都に白い揚羽蝶あげはちょうの軍旗が高々とはためいていた頃―――。


 都から遠く離れたこの深い森に一人の少年が彷徨さまよっていた。

 そこはけわしく切り立つ山々が連なる山岳地帯。深く暗い森が広がっていた。


 村の住人たちもめったに足を踏み込む事がないこの深い山奥に、明々と無数の松明たいまつの火がかれ、揺れる灯りがゆっくりと移動するのが遠目に見えた…………。


「まだとらえられんのかっ―――!」


 馬にまたがり大鎧を身に着けた髭の男が苛立いらだたし気に怒鳴りつけた。

 

 後ろに付き従っていた武者むしゃの男がビクリッと首を縮める。


「子供一人を捕えるのに、どれ程かかっておるかっ!」


「村の者に命じよっ。もっと多くの者どもを山狩やまがりりに加えさせえぃっ!」


「よいかっ―――!」

「奴らをあの国境から越えさせてはならんぞっ」


「生死は問わん!」

「捕えて御上おかみに身柄を差し出すのじゃっ」


 髭の男は、後ろに付き従う武者の男に吐き捨てる様に命令するとむちを一振り。馬はいななきを上げ、陣旗の見える陣所の方へ駆けていった。


 ◇◇◇ 


 槍を手にした鎧武者たちが、数人の山伏姿やまぶしの男たちを遠巻きに囲んでいた。


「お前たちは、右へ回れっ!」

「絶対に取り逃がすなよ!」

「必ず捕えるのだっ!」


 鎧武者の兵士たちは山伏たちを囲んでいた包囲網を縮めつつ、ジワジワと迫り来る。


「きさまらっ! ―――観念せいっ!」

「もう逃げ場はないぞっ!」


 槍を構えた兵士たちは狙いを定め山伏姿やまぶしの男に迫る。


 山伏の男は、荒い息をあげ傷を負いながらも追手を振り払おうと杖を振るう。


「くそっおおおっ!」

 一人の山伏やまぶしが、囲みを破ろうと兵士たちに斬り込んだ―――。


 激しい金属音が鳴り二、三合、太刀が交差する。

 

 短い悲鳴。山伏姿の男が苦し気な声をあげ、兵士に斬り倒された。


若君わかぎみっ! ―――早く逃げなされっ!」

「ここは、わしらが食い止めます」


 山伏姿の男たちは、小さな山伏姿の少年を護る様に自ら盾となり、敵をふさぐ。


「ええいっ―――!。 けっ!」


 一人の荒武者が薙刀なぎなたを振り上げ、壁となった山伏たちに突進する。


 薙刀を振り回し、勢いに乗って中央を割った荒武者の後を周り兵士たちが声をあげ一気になだれ込んだ。


 勢い押された山伏たちは打ち払われ、次々に地面に薙倒されていく……。


「若君っ。早く……早く逃げなされぇ……」


 ◇


 木々の間を必死で逃げる山伏姿の少年―――。

 しかし、迫り来る兵士に追いつかれ、後ろから組打ちされ、地面に引き倒された。


「おとなしくしろっ!」


「無礼者めっ!」「放せっ放せっえ―――」

 少年は必死で抵抗したが、後ろ手を取られしばりあげられる。


 そして、抵抗できなくなった少年は兵士たちに引き立てられていった。


 ◇◇◇


「さっさと歩け!」

 捕まった少年は後ろ手に縛られたまま、大鎧を着た髭の男の前に引き出された。


「たわけっ!……もっと丁重ていちょうあつかわぬかっ」


 少年を連行して来た兵士に、髭の男は叱咤の声を上げるが、揃えた顎髭あごひげを満足気にでる。


「顔を上げろっ」

「…………」


 髭の男は体を乗り出し、足元に組み伏せられた少年を見据えた。


「若様―――」

「お久しゅうございますな」

みやこの御屋敷で何度か、あなた様とは御会いしましたが……」

「まさか……この様なかたちで……また御会いするとは……」

 

 男は、山伏姿やまぶしすがたの少年の泥とほこりで薄汚れた顔を目を凝らし凝視する。


「―――きっ、貴様っ!」


 怒りで手が震える。


「貴様っ! 影武者かっ―――!」


 髭の男は立ち上がり、怒り震える手で腰の太刀を握る。


「くそおおおっ!」「山狩りじゃあ!」


「何をしておるかっ―――!」

「もう一度、山狩りじゃあ!」


「くそっ!」

 怒鳴り散らすと、座っていた將基しょうぎ椅子いすを怒りに任せて蹴り上げた。

 

 ◇◆◇◆ 第六天魔の洞窟


 少年が息を切らせ、木々の生い茂った細い山道を登って行く。

 気づかぬうちに張り出た枝木で切傷を負い、流れ出た血は固まり少年の白い肌に張り付いていた。

 衣服は破れ、束ねた髪はほどけ、血と汗で衣服は汚れていた。


 ふと少年の足が止まる。

 目の前に古い崩れかけた赤い鳥居とりいが現れた。

 

 目を凝らすとその先には、人が入れる程の大きさの洞窟どうくつが口を開けている。

 少年は大きく息を吐き急ぎ足で洞窟の入り口に向かった。

 

 ◇


 洞窟の入り口には、風化した石碑が一つ。

 刻まれた文字は雨風に削られ判別は出来ない。

 洞窟は暗く深く奥へと続いていた。

 

 暗闇からひんやりと冷たい風が吹きあがってくる。


 少年は、暗く続く洞窟へ足を一歩踏み出したところで足を止めた。

 

 大きく深呼吸をすると目を閉じ拳を握る。

 そして、目を見開くと暗闇の中へ一歩前へ踏み出した。


 ◇


 どれ程、洞窟の中を進んだだろうか。

 緩やかになった勾配を進むと、広い間口の場所に出た。

 少年は辺りを見回す。

 

 正面に一段高い台座があり、石の地蔵じぞうが一体鎮座している。


 荒くなった息を細かく吐きながら、少年は地蔵の前へと進む。


 年代物の古びた石地蔵。

 かなり風化し半身が崩れ落ちている。


 少年は片膝をついた。


 大きく深呼吸をすると目を閉じ、両手を合わせる。

 そして、目の前の石地蔵にいのった。


第六天だいろくてんの魔王様―――」

「……我の願いをかなえ給え」


 そう言うと腰に差した短刀を抜き、左の手の平にやいばを当てた。

 そして、その刃を握り込むとスッと短刀を引いた。


 真っ赤な血が握った拳から一滴、二滴と滴り落ちる……。

 流れ落ちる血は、地蔵の頭から顔を伝い口元にゆっくりと流れた。


「ポタリッ……ポタリッ……」


 体中の力が抜けていく感覚……。


 過酷な山道の逃避行。力尽きたか少年のまぶたがゆっくりと閉じていく。

 …………すっと意識が遠のき、少年は頭を前にうな垂れた。


 ◇◇◇ 言霊


 少年は戦火で逃げ惑う人々の姿を空から見ていた……。


「き・さ・ま・か……」


われを……眠りから呼び起こしたのは……貴様きさまか……」


 少年の肩がピクリッと跳ね上がり、同時に全身の毛穴が逆立った。


 ―――夢っ!


 少年の背後。耳元から声が聞える。

 地の底から絞り出す様なかれれた声である。


 背筋がゾワリッと震え、少年は反射的に両腕を抱き身を縮めた。


なつかしい響きよ……」


「……第六天だいろくてんの……魔王」


「…………」


貴様きさまの望みは……何じゃ……?」

 

 背後に聞えるかれれた声が問う。


 少年が恐々と背後の声の主に振り返ろうと肩を動かした。


「後ろを振り向くなっ―――!」

いのちは無いぞっ!」

 

 殺気を秘めた言葉に、また少年は身を縮めた。


 少年は肩を震わせながら拳を握る。


「一族郎党のかたき……」

「無念に命を落とした多くの者たちのかたきを取りたい……」


「憎き―――クッ! ―――憎きっ平家へいけを亡ぼす為にっ!」


「―――魔王様の御力をお借りしたいっ!」


「敵は強大―――私の命と引き換えにっ!」


 まだ年端もいかぬ人生経験の浅い少年の言葉がうったえる。

 この少年が命からがら危機を脱し、この洞口まで辿たどってきた道のりが、悲痛な叫びが、信念ごとく言霊ことだまとなって暗い洞窟の中に響き渡った。


「ふっ」

「残念じゃが……我は……第六天魔王などでは無い」


「しっ、しかしっ……ここに来れば……」

「第六天の魔王様に……願いをたくせると……」


「小僧っ―――!」

 耳元の枯れた声が、いかりを含む殺気を放つ。


「貴様っ自分の信念を他人にたくすのか?」

かみのごとく力で全てを解決しようとするのか?」


「…………」


「しかしっ……私には何も残って無い……」

「親兄弟や家人たち、力や名すらも……」

「私は……非力ひりきな私は……ただ逃げるしかなかった……」


「もう―――この身をささげるしか……」


 少年が肩を震わす。


「……」

「貴様……『第六天の魔女』の名を聞いた事があるか?」


 少年は目を閉じ、歯を食いしばり考える。


「第六天の魔女……?」


「確か……数百年前……この地方に古くから伝わる伝説」


「鬼や盗賊たちを配下におき、朝廷と闘い仇名す魔女……」

 

 少年はハッと背筋を伸ばし、首をもたげた。


 ……耳元の枯れた声がささく……。


「貴様がおのれの力で進むなら―――」

われが貴様の願いに合力ごうりきするとしようぞ……」


「しかし……貴様に合力する代償だいしょうとして……」

「貴様の左腕ひだりうでを申し受ける―――」


「―――!」


「貴様に覚悟かくごがあるか?」

「変わらぬ信念しんねんはあるか?」


「……意が決すれば―――その左腕を差し出せ……」


 少年は、乾いたのどをゴクリと鳴らす。


「…………」


 そして少年は目を閉じ、拳を強く握ると左腕を前に突き出した。


 

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