第20話 これは、出番です

 目の前でひたすら泣き続けるふたりを見て、わたしは頭を抱えていた。

 ちら……と横目で見たファブニールさんは、耳をふさいでいて、手伝いを期待できそうにない。


 わたしは大きく息を吸うと、覚悟を決めて歩き出した。


 よし。保坂恵、二十三歳! 保育士歴三年! 行きます!


 まずは原因がわかりやすいカラちゃんに近づき、ぎゅっと抱きしめる。


「カラちゃん。わたしは怒っているわけじゃなくて、注意しただけなんだよ」


 そのまま泣き声に負けないよう、声を張り上げた。


「想像してみて。もしカラちゃんが飛びついてきた時に、わたしが受け止めきれなかったら……先生がケガしちゃうかも」


 その言葉が届いたのだろう。カラちゃんがわたしを見た。


『メグてんてぇ……ケガ? カラちゃんのしぇいで、ケガしゅるの?』

「カラちゃんが勢いよくジャンプしてきたら、そういうこともあるよ。もしくは他の子を下敷きにして、みんながイタイイタイってなっちゃうかも」

『ピュイ……。そ、それはヤダ……』


 よしよし、いい調子だぞ……!


 カラちゃんの泣き声が小さくなっているのを感じて、わたしは慎重に口を開いた。

 経験上、幼児には代わりを提案すると、気分が変わって落ち着きを取り戻す子も多いのだ。


「だからね、飛びつくんじゃなくて、わたしのことぎゅーって抱きしめてほしいな! そしたら誰もケガしないから、みんな幸せだよ!」

『だきちめる……。でも、でも、それってだっこじゃないよね? カラちゃん、おおきくなったから、もうだっこちてもらえないの?』


 うぐっ! しまった!

 さすがに突然巨大化なんて経験したことがないから、どう答えたらいいかわからないよ! え~っとえ~っと、ここはわたしが気合で鍛えて、若ドラゴンを抱っこできる腕力を身に着けるって言うべき!?


 わたしが悩んでいると、それまで耳をふさいでいたファブニールさんが助け船を出してくれた。


『それなら変化の術を使って、前の姿に戻ればよかろう』


 えっ!? そんなことできるんですか!?


「ピュイ……!?」

『我々ドラゴン族はもともと持っている能力だ。カラよ、頭の中で念じてごらん』


 ファブニールさんの言葉に、カラちゃんが眉間にぐっと皺を寄せた。それからしばらく唸ったかと思うと——パァァッと光って、みるみるうちに体が縮んでいく。


 やがて光が消える頃には、元の小さい、赤ちゃんのカラちゃんが立っていた。


「ピュイッ!」


 喜びの声を上げながら、カラちゃんがわたしに飛びついてくる。


「わっとと……!」


 それを受け止めて、わたしはぎゅーっとカラちゃんを抱きしめた。

 うんうん、やっぱりこのサイズなら、今まで通り抱っこできるね! カラちゃんもうっとりした顔で、スリスリとわたしのほっぺにくちばしをこすりつけてくる。


「よかったぁ……! ファブニールさんありがとうございます、本当に助かりました!」

『かまわぬ。わたくしも、あの音量で泣き続けられてはかなわぬからな』


 確かに、あの声量はすごかった。


 わたしは苦笑いしながら、今度はまだヒュンヒュンと腕をムチのように振り回しているスーちゃんのもとに行った。


『イヤアアアア! ヤアアアア!』


 こちらは絶賛イヤイヤ期、続行中。


 こういう時は、嫌になった原因を取り除いてあげるのが一番なんだけれど……スーちゃんは何が嫌だったんだろう。幼児だと、実は自分で靴下をはきたかったとか、お支度の順番がいつもと違ったとか、そういうところに答えがあることも多いんだけれど……。


 わたしはあごに手をあててうーんと考え込んだ。


 そういえば、スーちゃんは泣き出す直前に自分の頭を触っていた気がする。

 スーちゃんの頭はいつもぷるんぷるんで、触るとやわらかくてゼリーみたいなんだけど、今のスーちゃんは水晶玉みたいにカチンコチンだ。


「……もしかして、硬くなっちゃったのが嫌だったのかな?」


 そう聞くと、ムチの動きが一瞬止まった。


『……イヤアアアアア!!!』


 すぐさままた腕を振り回し始めたけれど、多分これが正解っぽい!


『ふむ……。なら、スーよ。おまえも元の姿に変化すればよかろう。スライムなのだから、それこそ得意技のはずだぞ?』


 ファブニールさんの声は泣き叫ぶスーちゃんにも届いたみたいで、おててがぴたりと止まった。それからカラちゃん同様、眉間にしわを寄せてふるふるっ……と震えたかと思うと、光に包まれる。


 しばらくして。


 ――スーちゃんは無事、ぷるんぷるんのゼリーボディを取り戻していた。


「よかったねスーちゃん! またぷるんぷるんだよ!」


 その言葉に、スーちゃんが触手を伸ばしてぺたぺたと頭を触っている。ぷるるんと揺れる手触りに満足したのか、スーちゃんはにっこりと微笑んだ。


 わたしはふぅ、とため息をついた。


 アークドラゴンとダイヤモンドスライム……だっけ? のイヤイヤ期とギャン泣きは強烈すぎる。落ち着いてくれて本当によかった。


 わたしが安堵していると、また草むらがガサガサッと揺れて、今度はターンッという音とともに、わたしの頭上を巨大な狼が飛び越えていく。


 うわあ!? 今度は何!?


 構えるわたしの前に、狼がスタッと着地した。

 その顔は凛々しくかっこよく、どことなく品がただよっている。青みどりっぽい毛は艶々と光っており、佇まいもすらりとして美しい狼だ。


『おや、久しいなダイアウルフよ』


 旧知の仲だったらしいファブニールさんが、狼に話しかけた。すぐさまダイアウルフさんが、女王に敬礼する家臣のようにぺこりと頭を下げる。


『ご無沙汰しておりますファブニール様。……そして突然で申し訳ないのですが……』


 おずおずと、ダイアウルフさんが続ける。


『どこかでうちの子、見ませんでした!?』


 ——うちの子。


 わたしは、さっきカラちゃんの泣き声で草むらに突っ込んでいった、緑色の子犬を思い出していた。

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