第18話

「ええと、お主、名は……?」

「リオです」

「リオか、ワシは……」

 名乗ろうとしたトレンスキーをリオは笑ってとどめた。

「お客さまの名前はお聞きしません。聞いても覚えてられないですし。逆に、印象に残った方のことは絶対に忘れたりしませんから」

 特に、とリオはちらりとトレンスキーを見る。

「不思議な赤い服を着た女性や、この季節に急にアップルパイを注文されるお客さまなんて。五年後に来たって絶対に覚えてますよ」

 そう言って屈託くったくなく笑うリオに、トレンスキーもつられて苦笑した。

「リオはパイも作れるのじゃな、すごいのう」

「昔から母さんによく手伝わされていましたから。うちの名物だったんですよ」

 それを聞いたトレンスキーは口をつぐんだ。少し迷った後でそっとリオに問いかける。


「リオの、ご両親は?」

「つい先日、亡くなりました」

 生地に向き直ったリオが短く答えた。


 鍵のかけられた宿と灯りの入らない食事処。暗いリオの表情に薄々そうではないかと思っていたトレンスキーは顔を伏せた。

「そんな大変な時だというのに、本当に申し訳ない」

「いいえ、そんなこと。それに、臨時で泊めるのはこれで二組目ですから」

 トレンスキーはふと、二つある部屋の片方は使用されたままだとリオが話していたことを思い出した。

「リオが帰りを待っておったのは、もしかしてその者か?」


 トレンスキーの言葉に、生地をねるリオの手が止まった。


「……父さんと母さんが死んでから、招来術師しょうらいじゅつしの方が村に来たんです」

「招来術師じゃと?」

 トレンスキーが驚きに目を見張る。

「ではまさか、お主の両親は……」

 リオが小さく頷いた。

「裏の山で招来獣しょうらいじゅうに。他にも村の女の人が二人。父さんは、母さんの遺体を村に運ぶ途中に襲われて、その時に……」

 淡々と告げるリオの内心を思い、トレンスキーはぎゅっと眉を寄せた。


「その人、山に消えた招来獣を退治しにきたって。でも、村のみんなにひどいことを言われて、石を投げられて。そのまま結界の外で野宿しようとしてたので、そんなの危ないから、こっそりこの宿に案内したんです」


 天井を向いて何度か瞬きをした後で、リオは畳んだ生地を布で覆った。

「死んだのが僕の両親だって知って、その人、本当に申し訳ないって。絶対に招来獣を倒すからって山に向かって、……二日経ってもまだ帰ってこないんです」

 リオはくるりと背を向けると、手についた粉を流し場で洗い落としてゆく。しばらくして、流れる水にまぎれるような小さな声で呟いた。

「いい部屋だねって、言ってくれたんです」

 トレンスキーは息をのむ。背中を向けたリオの肩は小さく震えていた。


「その言葉を聞いて、僕、この宿を続けていかなきゃって思ったんです。父さんと母さんのことは、……辛いけど」

「リオ」

「僕一人じゃもう無理だって、諦めようかと思っていたけど。ここは父さんと母さんが、本当に、大事にしていた宿だから……っ」

 涙を拭うリオの側に寄ると、トレンスキーはその背中を労わるようにさする。

「あの人が帰ってきたら、それを伝えようと思って。でも、もしかしたら、あの人まで招来獣に……っ!」


 トレンスキーを見上げたリオは、つっかえながら言った。

「無事、でしょうか? 帰って来て、くれるでしょうか?」

「まだ二日じゃ、帰ってくる可能性は十分にある」

「でも、動けないような怪我をしていたら? 招来獣がいるかもしれない山の中で、あの人を探してくれる人なんて、誰も……」

「大丈夫、大丈夫じゃよ、リオ」

 トレンスキーはリオを落ち着かせるようにゆっくりと肩を抱く。まだ細い少年が一人で抱えるには重すぎる気持ちだっただろう。そう思い、トレンスキーの表情も苦しげに歪んだ。


 リオと向き合うトレンスキーの視界に、不意に白いものが横切った。

 いつから聞いていたのだろう。若草色の目をした白鼠は厨房の床から体を伸ばすと、リオの背中越しに真っ直ぐにトレンスキーを見上げた。


 薄青色の瞳と若草色の瞳が無言で視線を交わす。

 トレンスキーは白鼠に向かって深く頷いた。

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